二十九


 詠と白百合に見送られてから、暫く走った。

 出口も近くなってきたかという頃、鈴懸は腕のなかでもぞもぞと動く織の気配を感じ立ち止まる。

 裸でいるせいか、寒そうに身を縮こめている織。羽織でも着せればよかったと後悔して、鈴懸は織の体をきゅっと抱きしめてやった。



「大丈夫か? 織……」

「……すずかけさま」

「ん……?」

「……はなして、すずかけさま……」

「まだそんなこと言ってんのか。はなさねえよ、俺は」



 悲しいことを言う、織。鈴懸はそんな織に切なくなって、織の頭をよしよしと撫でてやった。そして、ちゅ、と額に口づけを落とす。



「すずかけさま……ん、……」



 こんなことを、している場合ではないのだけれど。

 あまりにも、織が悲しそうだったから――鈴懸は、織の唇を奪った。大丈夫、ずっと側にいるから……とそんな想いを込めて。ちゅ、ちゅ、と何度も何度も唇を重ねれば、織はぽろぽろと涙を流し初めてしまう。



「う、……」

「織……?」

「う、……うう、……」



 次第に、織の涙は大粒のものへと変わり、止めどなく流れ出す。声をあげて泣き出してしまって、鈴懸の胸に顔を埋めてしまった。



「織……おい、……織? 大丈夫か? このまま、この屋敷からでて、いいか?」

「……、こわい、……こわい、です……」

「怖い? 何がだ?」

「……このまま……幸せに、なることが……貴方の、そばで……幸せになることが、……こわい……」

「怖くなんて、ない……おまえは幸せになっていいんだぞ。大丈夫だから、……俺と一緒にいよう? 織……」



 玉桂から犯されたことを、引きずっているのか。淫らになってしまった体を、悔いているのか。織は頑なに、鈴懸を拒んだ。そして、やがて、――ゆらりと鈴懸の腕から降りると、自らの脚で歩き出す。

 その足取りは、覚束ない。まるで、何かに取り憑かれたようによたよたと歩いている。



「織……?」



 鈴懸は、そんな織を見つめて、不安げに名を呼んだ。なんだか今の織に既視感を覚える。こうして、ふらふらと歩いて……危なっかしい様子。

 そうだ――これは。



「織、待て――」



 織が、ある部屋の扉の前で立ち止まる。まだ、入ったことのない部屋だ。織は扉に手をかけて――そして、開けた。



「あ、……」



 なかに、広がっていた光景は。

 壁に金箔が張られた、豪華絢爛とした大広間。そして所狭しと広がる――大量の、紅いかざぐるま。畳に突き刺さった何百とあるかざぐるまは、風もないというのにからからと廻っている。間違

 いない――これは、咲耶のかざぐるまだ。



「なんだこの量は……」



 引き寄せられるように、鈴懸もその部屋へ入っていった。あまりにも、異様な空間。煌びやかな光景に反して、その部屋に漂う空気はひどく重い。今まで、咲耶のかざぐるまのあった場所で感じた空気のように……いや、それよりもずっとずっと、哀しい。

 異常なその部屋に、さすがの鈴懸も怖じ気付いた。たったひとつのかざぐるまにも咲耶の強い情念が込められていたというのに、この量のかざぐるまとなれば。そして、なぜこんなにもここにかざぐるまがあるのだろう。様々な思惑が鈴懸の頭を駆けめぐり、それに伴って警戒心も強まってゆく。



「……、ま、」

「え?」

「玉桂さま。玉桂さま? 玉桂さまはどこ?」

「し、織……?」



 ゆらり、織が振り向く。その表情に、鈴懸は息を呑んだ。

 覇気のない、壊れたような笑顔。そして、光を失った昏い瞳。よた、よた、と織は歩き……そして、鈴懸を押しのけて部屋を出て行こうとする。



「ま、待て、織! どこにいくんだよ!」

「放せ! 私はここで、……ここで、ようやく幸せを手に入れる! あの方だけが、私を幸せにしてくれる! 私を愛してくれる人なんて、ほかにはいない、玉桂さまだけが、私を……!」

「……っ、」



 鈴懸が後ろから羽交い締めにして織を止めようとしたが、織は言うことをきかない。必死に、部屋を出て行こうとする。

 鈴懸はそんな織をみて、恐怖のようなものを覚えた。激しく廻る、かざぐるま。カラカラカラカラと音をたてて廻るかざぐるまは、まるで咲耶の叫び声のよう。渦巻く情念、きっと織は、いつも

 以上に強く咲耶の影響を受けているのだろう。それが、どういう意味か――それを考えたとき、鈴懸は強い哀しみを覚えたのだ。

 咲耶の念は、織の心を煽るもの。ほんの少しでも、共鳴した部分から織の心に浸食してゆく。「人間から酷い扱いを受け、愛されることを知らなかったため、妖怪に愛を縋る」咲耶の念と、「他

 人との接触を拒み、愛される実感を得られなかったが、心の奥で愛を求めていた」織の心、それが共鳴し、この現象は起こっている。

 今――織の口から発せられた言葉、そこにあるのは。「愛されたい」という願い。それと同時に「愛されなかった」という事実。鈴懸は、織のなかにそれほど強い寂しさがあったのだと改めて気付いたのである。



「織……!」



 鈴懸は暴れる織を縛り付けるようにして、強く抱きしめた。ぎゅっと強く抱きしめて、身動きがとれないように。そして、織に語りかけるようにして……言う。



「愛してる、……織、愛してるよ。俺、おまえのこと、好きだから……織、おまえは一人じゃないから、……」



――声は、聞こえているのだろうか。

織は暴れることはなくなったが、泣き続けている。ずっと、哀しげに声をあげて泣いている。



「……織」



 このかざぐるまは、なんなのだろう。

 今までと同じかざぐるまなら、玉桂に抱かれた時点でかざぐるまは消滅しているはず。つまりこのかざぐるまはこの屋敷に住まう妖怪に向けて作られたかざぐるまではないということ。

 ……じゃあ、誰へつくったかざぐるまなのか。



「……こっちむけ、織」



 玉桂の嫁となり、人ではなくなってしまった咲耶。人間に愛されることはないのだという諦めがついたからこその、決断だろう。だから、咲耶は、ここで。

 「愛されてみたかった」と、独り、嘆いていた。



「俺を見てろ、俺のことだけを考えてろ」

「……、?」



――このかざぐるまは、哀しい哀しい「咲耶」という存在に向けてつくられた、かざぐるま。



「おまえを愛している男が、これからおまえを抱くからな」



 このかざぐるまから織を救うには。

 咲耶と織の「愛されたい」という願いを、叶えなくては、いけない。
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