「ただいまー」



 涙との関係が深まった。それは、思った以上に俺の中で大きな出来事のようだ。学校が終わっても、まだうきうきとしてしまっている。

 今度、うちに連れて来てみようか。放課後も涙と一緒に過ごしてみたい。そんなことを思いながら俺は、玄関で靴を脱ぐ。今日は課題も多いし、早いところ済ませてゆっくりしよう……そう思って早々に自分の部屋がある二階へいこうとした。そのとき。



「――きゃあっ」

「……?」



 二階から、母さんの小さな悲鳴が聞こえてきた。それと、ガラスが割れるような音も。

 二階には、兄さんの部屋もある。今の時間……兄さんは、部屋にいるはず。何かあったのだろうか――そう思って俺は慌てて階段を駆け上がった。



「母さん……?」



 階段を上った先には、母さんが顔面蒼白で立っていた。足元には、割れたグラスとこぼれた水。そしてばらばらになった、錠剤。



「うるせえんだよ! 部屋に入ってくんな!」



 開け放たれた扉の奥から、叫び声が聞こえてきた。俺はその声で、察する。――母さんは、兄さんに暴力を振るわれたのだと。

 兄さんは、俺よりもずっと歳上で、そして数年前に病院で「精神病」と診断されたらしい(正確には、もっと細かい名前がついていた)。知っているのは、精神病になって仕事もできず、長年こうして部屋に閉じこもっていること。



「……あ、裕志。おかえり」

「……ただいま。大丈夫?」

「大丈夫よ、ガラス散らばってて危ないから、裕志はちょっと下にいってて」



 兄さんは、年々やつれていっているように見える。俺が生まれたときから少し様子がおかしかったけれど、俺は彼が心配で仕方なかった。俺自身、彼に暴言を吐かれたりということをしていたけれど、いつ見ても兄さんは苦しそうで、俺は彼を救いたいとずっと思っていた。

――俺の夢は、精神医学者になることだった。そう、兄さんみたいな人を救うために。強い薬を出されるばかりで回復の兆しを見せない兄さんを見ていると、きっとほかにもっとこういった症状の人を救う手段があるんじゃないかと、そう思う。だから、そういったことを研究してみたい。それが、俺の夢だった。



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