「知ってるか? この世の生き物は皆等しく平等なんだってさ」
「誰がそんなこと言ったんだ」
「カミサマらしいぜ? ヒトの讃えている、カミサマ」
「……へえ」
砂埃が鬱陶しい。歩いている内にズレたゴーグルを直しながらラズワードは気のない返事を返す。苛々が募っているのか早足で砂の上を歩き続ける。あまり相手にされていないことは気付いているのかいないのか、そんなラズワードの後ろを付いてゆくグラエムはタバコを咥えながらぺらぺらと話し続けた。
「ラズー、聞いてる? せっかくオレが面白い話してんだぜー?」
「聞いてる」
「聞いてねえじゃん! これから面白くなんだよ、ちゃんと聞いてくれよー」
「……だったらさっさとその面白いところ言ってくれ」
不機嫌そうにラズワードは足を止める。ようやく話を聞いてもらえると思ったのか、グラエムの表情はパッと明るくなった。そしてラズワードが振り向くと、グラエムはにやりと笑う。
「オレたち、全然平等じゃなくね?」
「まあ、確かに」
「オレたちはこーんな金にもならねぇのに命懸けのクソみたいな仕事しかできないのに、ラクして金ボンボン稼いでいる奴もいる」
グラエムは、ふう、と煙を吐いた。ラズワードはその煙を正面からまともに直撃することになったが、慣れているのか顔色一つ変えない。
「ヒトによれば神様の使いのオレたちが……『天使』のオレたちが平等じゃない」
「……」
「それなのにカミサマは平等を説いているんだってさ。なあ、神様ってさ、すんげぇペテン師だと思わね? それか悪徳商法の詐欺師とか!」
言い終わった瞬間、グラエムは吹き出した。自分でいったことが面白くて仕方ないようだ。ゲラゲラと何かを馬鹿にしたように大きな笑い声をあげる。しかし、そんな笑い声もすぐに引っ込めた。ふ、と微かに吹き出すラズワードの声を聞いたからだ。
「あ、やっぱ? 面白くね? これ!」
「……いや、グラエムの笑い方が馬鹿っぽくて……」
「笑うとこちがくね!?」
馬鹿にされたと理解しながらも、グラエムはラズワードが笑ったという事実を嬉しく思った。ラズワードはあまり笑わない。いつもなんとなく無愛想で、話しかけてもその返事は淡々としている。ただ、そんなところが落ち着いているとも言えるし、決して気遣いができないというわけでもないので、それなりに好かれているのだが。
もう一つ好かれる要因があるとしたら、その目も眩むほどに美しい容姿だろうか。砂漠の中では少しわかりづらいが、茶色い髪の毛はサラサラとして風に靡く様子はまるで絹糸のよう。その肌も透き通るように白くて陶器を思わせる。華奢な体つきのおかげで何を着ても恐ろしく似合っていた。
そんなラズワードが、滅多に見せない笑顔を見せてくれたものだから、グラエムはなんとなく優越感のようなものを覚えたのかもしれない。なんだか心の中がふわふわと暖かい。
「でも、ちゃんと話も聞いていた。面白いと思ったよ」
ただ、その笑顔が可愛らしいかと問われれば頷けない。どこか皮肉を込めたようなその笑顔は、「花のような笑顔」なんて比喩はとてもじゃないが使おうと思えない。
「……反吐がでるくらい、面白いって思った」
「それ、面白いってことなのか?」
「もちろん。今の俺たちの生き方も、カミサマに与えられたってことだろう? ありがたすぎて笑えてくる」
「……おまえなんか今日饒舌だな」
「……グラエムが面白いこと言ったからかな」
「あ、やっぱオレ面白い!? よしよし、ラズ、今日飲みに行こうぜ!」
「……金がないし夜は予定があるっていつも言っているだろ」
「うへー、付き合いの悪さは変わんねえな、おまえ」
ぶす、と口を尖らせたグラエムを無視してラズワードは再び歩き出した。
しかし実際のところそんなにグラエムは苛立っているわけでもなかった。やはり、ラズワードがまともに自分と会話をしてくれたのが嬉しかったのだろう。ラズワードが自分を見ていないことをいいことに、ニヤケを止めるつもりはなかった。
「――まて」
ラズワードがはたと足を止める。ニヤニヤと頭を浮つかせていたグラエムはそのままラズワードに正面衝突してしまった。ラズワードはそんなグラエムを気にも留めずに、しずかにグラエムに言う。
「いたぞ」
「……あ、マジだ」
ラズワードの言葉にグラエムは目を凝らす。そうすれば、前方に人間のふたまわり程もある獣の群れがある。
赤黒い毛並み、爛々と輝く瞳。隆々とした筋肉がその手足を覆う。アレに睨まれレでもしたら、きっと普通の人間はそれだけでも気絶してしまうだろう。しかし、二人は獣の群れそっちのけで会話をし続けていた。
「あれから全部とったらいくらになるんだろうな」
「さあ、精々一週間分の食費ってところじゃないのか」
「すっくねぇー!!」
緊張感の欠片もなく、ゲラゲラとグラエムが笑う。釣られたようにラズワードも少しだけ笑ってはみるが、その目はしっかりと獲物を捉えていた。
「おう、じゃあやるぜー」
「ああ」
ラズワードが頷くのと同時に、グラエムは首から下げていた笛を勢いよく吹いた。空気を震わせるような甲高い音が響き渡る。その音を聞いた獣たちの耳がピクリと動いた。そして、ジロリと二人を睨みつける。
その笛は獣を引き寄せる音を発するものであった。狩人を生業としているラズワードたちにとって必須の道具である。ラズワードたちは獣の心臓を獲ってそれを売ることで生活していた。獣は普通の動物とは異なる、魔獣と呼ばれる体内に魔力を宿した獣。その心臓を食せばその獣が持っていた魔力を我が物にできるといわれ、それなりの値段で取引されている。
「ありゃーなんの魔獣だ?」
「……少しくらい資料を読んでこい。あれはシュタールだ。魔力の種類は土。怪力を持っているらしいから、気をつけろ」
「ほーう、それにしても多くね? 流石にラズと一緒っつってもこえーわ」
グラエムは前を見据えながらダガーを鞘から抜いた。向かってくる獣たちは砂煙をまき散らしながら、獲物を食い殺さんとばかりに駆けてくる。まるで大津波のようなその光景に、グラエムの脚は僅かすくむ。
「こりゃ、アイツ等がこっち来る前に仕留めねぇとな!」
グラエムは冷や汗を流しながら、ダガーを強く握り締めた。そして、グ、と腕を引き勢いよく突き出す。
その瞬間、グラエムのダガーの周りに竜巻が巻き起こった。それはグラエムから離れて、砂を巻き込みながら獣たちに向かってゆく。鋭い風の刃は、やがて獣たちも巻き込んで、その肉をズタズタに引き裂いていった。血肉を撒き散らし、獣たちは死に絶えてゆく。
「……あれ、心臓も壊してないか?」
「あら? そうかもしんねぇな」
ラズワードにじろりと睨まれ、グラエムは照れ笑いをした。ラズワードはため息をついて、怒り狂う獣たちを見据える。
「グラエム、もう少し調整しろ。心臓は残してもらわないと意味がない」
「いやー、そんな細かいこと俺ができるわけないじゃん。魔術なんて勢いでぶっぱなすもんだろ?」
「……じゃあ、せめて狙いを定めて打て」
「へーい」
グラエムはケラケラと笑いながらもう一度ダガーを構えた。仲間を殺されて理性を失った獣たちは、二人を咬み殺さんとばかりに駆けてくる。ものすごい勢いで距離を詰めてくる獣たちをめがけ、グラエムは今度はダガーで横一文字をきった。そうすれば、先ほどの竜巻には威力が劣るものの、広範囲のかまいたちが獣たちをとらえる。狙いを定めろと言われた通りに、今度はその風は獣たちの頭だけを潰した。
「おし、見たか、ラズ!」
「うん、完璧だ」
「だろー! もっと褒めてくれよ! ……あー、でもさ、オレ」
「何?」
「……ちょっと、疲れたかも」
グラエムはラズワードに褒められて嬉しそうな笑顔を浮かべているが、そこには疲労の色があった。息も少しだけ上がっている。
グラエムが、魔力切れを引き起こしたのだ。大量の獣を一気に狩り取る魔術を連続でつかったグラエムの体内の魔力が限界に達してしまった。ラズワードはそれを悟り、グラエムの前に立つ。
「あとは俺がやるから、グラエムはさがって休んでいろ」
「え、んなこと言っても……あの量だ、お前一人で全部やるのは無理だ。心臓だけ回収してトンズラしようぜ? それに魔術の相性も……」
「大丈夫、本当に危なくなったら逃げよう」
グラエムを安心させるようにラズワードは微笑んで、獣たちを見据える。グラエムが数を減らしてくれたものの、獣はまだ半数以上残っている。ラズワードはそんな獣に物怖じすることもなく、ダガーを抜き、グリップを手に馴染ませるように手のひらの上でくるくると弄ぶ。
「ラズ……やっぱやめとけよ……」
獣の群れに比べると、その背中のなんて頼り無さ。細い背中は獣にのしかかられでもしたら一瞬で粉々になってしまいそうだ。グラエムはハラハラしながらラズワードを見つめていた。
しかし、当のラズワードは一切不安などないらしい。その手には魔獣を惹きつける笛がある。
「半分じゃあ3日分の食費も危ないところだろ。そんなあってないような報酬のために俺はここに来たわけじゃない」
不敵に笑ったラズワードに、グラエムは呆れの笑みを返すことしかできなかった。
ラズワードはグラエムから離れると、笛を吹いた。その音を聞いた獣たちの注目はラズワードに集中する。一斉にラズワードに襲いかかる獣たちを、グラエムは遠くから恐る恐る見ていた。
一匹の獣がラズワードに飛びかかる。ラズワードはそれを既で躱すと同時に、ダガーで獣の横腹を切りつけた。ダガーの切っ先僅か5ミリ程に血がつく。与えたダメージは極僅かだろう。獣はカスリ傷に等しいその切り傷を気にする様子もない。今度こそラズワードを食い殺そうと、もう一度襲いかかってくる。
しかし、ラズワードは今度はそれを避けようとしなかった。迫る獣に背を向け、違う獣に狙いを定める。獣の牙は今にもラズワードの首を食いちぎろうとしていた。しかし、それはかなわなかった。獣はカッと目を見開き、体を痙攣させ、そして次の瞬間。まるで爆発したように獣の体が粉々に弾け飛んだ。
獣たちはぎょっとして動きを止める。ラズワードは何食わぬ顔でその背に大量の血と臓物を浴びた。
「おー、相変わらずすげぇコントロール」
遠目からグラエムが確認したのは、ぼた、と落ちた獣の心臓。獣は肉片一つ残さず壊れたが、心臓だけは丸丸と残していたのだ。グラエムはラズワードの魔術の正確さに感心しながらも、まだ心配でしょうがない。一匹の獣が血を撒き散らしたことで、他の獣たちの興奮を煽ったのだ。獣たちが一斉に襲いかかってきた。
「おい、ラズ……!」
グラエムは手助けをしようとしてみたものの、自分の体内に魔力が残っていないことを思いだし断念する。かえって足でまといになりかねない。
ラズワードやグラエムの使っている武器は『プロフェット』と呼ばれる特殊な武器だ。それは武器自体に魔力がこもっているのではなく、使用者の魔力をその武器に流すことで効果を発揮する。つまり、使用者の魔力がきれてしまえばそれはただのダガーに等しい。
グラエムは前方のラズワードを眺める。
グラエムが使ったのは『風魔術』。それはグラエムの体内にある魔術が風の性質をもっているからだ。風の魔術は遠方からでも攻撃しやすく、グラエムの性にあっていた。
しかし、ラズワードの魔術はどうだろう。グラエムが遠方から攻撃できたのとは違って、それは直接ダガーで切りつけて発動する魔術であった。こうして大量の獣を相手にするには危険すぎる魔術である。
しかしグラエムの不安もあまり意味をなしていない。ラズワードは獣に食いつかれることもなく、次々と獣を切りつけてゆく。その度舞い散る臓物が辺り一帯に散らばっていた。ラズワードの羽織っているマントは真っ赤に染まり、その美しい面貌も穢らわしい獣の血に濡れてゆく。
人は見かけによらないよなぁ……あ、オレたち人じゃねぇけど。
まるでフィルムでも見ているかのようなその光景に、ぼんやりとグラエムは思った。普通にしていれば、麗しき美青年。天使って言葉がピッタリ似合う、痩身で綺麗な彼。しかし、ひとたび武器を握れば。敵の血潮を全身に浴び、次々と命を刈り取っていくその姿は、まさに血に飢えた獣のようだ。あまりにもアンバランスなその光景が、本当に非現実的だと、グラエムは思った。
「毎度毎度、心臓に悪ィな、ったくよ……」
ラズワードが体内に宿す魔力は水の性質をもっていた。水の魔力は主に治癒の魔術を扱えるのだという。グラエムにはその治癒魔術がどうしたら肉体を破壊することに繋がるのかはわからなかったが、ラズワードの魔術が非常に優秀であることには違いない。
ただ、こうした捨て身の狩りをいつも見せられるグラエムはいつもヒヤヒヤしっぱなしであった。いくら治癒魔術があろうが、人体の肉が食いちぎられる様はいくら見ても慣れることはできない。
肉体の破壊と再生、獲物の血肉の舞い。血なまぐさい戦闘は続けられる。辺りは真っ赤に染まって血の海だ。
「おつかれー」
全ての獣を狩り終わったのを確認すると、グラエムはラズワードに近づいていった。血でずっしりと重くなったマントを脱いで濡れたゴーグルを外し、ラズワードはグラエムをチラリとみる。
「……ちょっと疲れた」
「だろうよ。いくら治癒できるって言ったって、痛いことには変わりねぇんだからな」
グラエムはラズワードの頭をクシャりと撫でると、鞄から注射器をとりだししゃがみこむ。新鮮さを保つその薬剤を獣の心臓に投与すると、それを袋に詰め込んでいく。
「あー、こりゃ報酬は7対3くらいか? おまえがほとんどやったんだもんな」
「……いや、グラエムのおかげで大分楽できたんだ。普通に半分ずつでいいよ」
グラエムと同じ作業を始めたラズワードの顔には、疲労が浮かんでいる。肉体を治療できても、食いちぎられる強烈な痛みを感じ続けたその精神はなかなかダメージを受けているらしい。
「……なあー、今日はちゃんと休めよー?」
「……ああ、うん」
「っつーか、夜に用事あるっていつも言っているけど、それ、なに? こんな過酷ぅーな狩りやったあとにも絶対あるわけ?」
「……うん、まあ……」
グラエムから目を逸らすように俯いたラズワードの顔に、ぱさりと前髪がかかる。血で汚れた今でこそその髪は赤く固まっているが、普段は綺麗な茶髪である。
「……そっかぁ……無理すんなよー」
優しくトーンを落としたその声に、ラズワードは顔を上げた。ぼんやりとした顔で見つめられて、思わずグラエムはその顔をまじまじと観察してしまう。
……にしても、すげぇ目の色。
白い肌よりも、恐ろしく整った形のパーツよりも、先に目がいくのは彼の瞳であった。
水の魔力をもつ天使というのは、皆瞳の色は青であるらしい。その色は魔力の強さによって微妙に変化するらしいのだが、ラズワードのような色は、他にはいないだろう。ミッドナイトブルーとでも言うのだろうか――いや、そんな風に名前で表せるほど単純な色ではなく。
色が濃すぎて、その青はほとんど黒に近い。深い深い海の底。それとも届きそうで届かない、遠い遠い空。
「……グラエム」
「あ?」
ジロジロ見すぎたか、とギクリとグラエムは肩を揺らす。また怒るかなー、と少し覚悟したが、ラズワードの口から発せられた言葉は真逆のものであった。
「……ありがとう」
淡く微笑んで、ラズワードは言った。その表情に、なぜかグラエムはフリーズしてしまう。
「……お、おう……」
再び作業を始めたラズワードは、またいつもの無表情に戻っていた。もういっかい見れないかな、なんて期待してジロジロと見ていれば、怪訝な顔つきでこちらを見てきたので、グラエムは苦笑いして作業に戻る。
笑えばもっと絡みやすいんだけどなァ……。
そんなことをグラエムは思って、心臓を集め続けた。
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