「昨日ずっとここの村の人達に獲物のこと聞いてまわってたんだけどよ、なんか変なんだよなー」
悪魔狩りの支度を整えて外に出るなり、グラエムが言う。同じ時間帯に出没するということで二人で狩りをすることになったが、そういえばグラエムの狩る獲物のことは聞いていなかった、とラズワードは気付いた。
「変って、何が? グラエムのは確か蜘蛛だったか? 噛まれると気が狂うとかいう」
「ああー、それなんだよ。オレが見た情報だと、その蜘蛛……パトローネっつうんだけどよ、そんな能力なかったはずなんだ。ランクはD、ちょっとだけ大きめなサイズで人を食うって情報しかなかった」
「……神族がミスをしたとか?」
「いやー、そりゃあ……うん、ないんじゃねェか?」
ラズワードの兄、レイの死因が神族の情報に謝りがあったことによるものだったということを二人は思い出す。しかしそれは、意図的なものであったし、しかもDランクの魔物にそんなことをしたところで神族にメリットがあるとも思えない。今回の神族の情報と村人の証言による情報の相違は、一体何故生まれたのか。やはり神族が単純にミスをしたのだろうか。
「とにかく……気を付けないとな。もしも俺の獲物と同時に現れたら魔術が使えない。噛まれて気が狂ったりでもされたら治療できなくなる」
「あー……ラズの獲物が、なんだっけ。レーメン? コウモリっぽいやつだろ。だからおまえライフル持っているんだな。魔術使えなくても弾丸で直接やれるように」
「コウモリに当てられる自信はないけどな」
グラエムはラズワードの背負っているライフルをまじまじと見つめる。プロフェットとは違った黒い装飾のそれに興味を持っているようだ。
「めずらしい見た目してんなー、これ」
「悪魔から奪った武器だよ。威力はプロフェットよりも上だから」
「へー。なんか気味悪い形。おまえに似合わねえな」
「別に似合う似合わないで持っているわけじゃない。俺はより殺傷力の高い武器が欲しかっただけだ」
「はあー」
グラエムは、わかっているのかわかっていないのか複雑そうな顔をする。ラズワードも理解してもらおうとは思っていなかったため、その話はやめた。
二人は周囲に意識を向ける。いつどこに魔獣が現れるかわからない。静かに木の葉の揺れる音、風の流れ、それを感じ取りながら獲物の気配を探り始めた。
ラズワードは無意識に空ばかりを見ていた。自分の獲物のレーメンを探すことばかりに集中していた。
だからそれまで気づかなかったのかもしれない。
「――いてっ!」
「……グラエム!?」
突然のあがったグラエムの小さな叫びにラズワードは振り向いた。見ればグラエムがうずくまっている。
「おい、グラエム……? どうした?」
「いたっ、マジ痛ェ!! ちょっとラズ、オレの首の辺りみてくんね?」
「え……首?」
グラエムが顔をしかめながら自らのうなじの辺りを指差した。ラズワードは嫌な予感がしながらもグラエムの背後に周り、示された箇所を見る。
そこにあったものに、ラズワードはぞっと背筋が凍るような感覚を覚えた。
「……ぐ、グラエム……」
「え? なに? マジどうなってんの……い、いててて! 痛い!」
グラエムの首には、親指大の傷ができていた。今ついたばっかり、といった新しい傷である。その傷はかすめているだけのものではなくて、よく見ると深くまで抉られているような、そんな傷であった。
まるで、食い破られたような。
「グラエム……今、どこが痛い? たぶんパトローネは……」
「え、どこが……い、いや……全部だ……全部痛ェ!! 全身が……!」
「全身……!?」
ラズワードは、パトローネがグラエムの首を食い破り、そこから体内に侵入したのだと思っていた。今潜伏している場所がわかればそこを一旦攻撃してすぐにグラエムの治療をすればパトローネを殺せる。
しかし、全身と言われたらそれはできない。しらみつぶしにグラエムの体を傷つけていくことなどできるわけもない。かと言ってパトローネが全身の肉を食ったとは考えられない。そうであったならとっくにグラエムは死んでいるからだ。
(毒……?)
ふと、蜘蛛から連想できるものに毒があった。パトローネがグラエムの身体を侵食していくと同時に毒を放っているというのなら、全身が痛むのも頷ける。毒で全身が傷んで、パトローネが現在どこにいるのかわからなくなっている。
それがおそらく今のグラエムの状態だ。
「グラエム、まってろ……治療するから……」
そうとわかれば先に毒の治療をすることを優先させよう、ラズワードはそう考えた。首の傷口に手で触れ、グラエムの体の解析を始める。
「……やっぱり」
解析をしていくと、やはりパトローネは毒を出していたようである。グラエムの体内には、外部から侵入したと思われる、人体にはないはずの成分が混ざっていた。しかもそれは、魔術によってつくられたもの。つまり、パトローネが編み出した毒だということだ。
(大丈夫だ……このくらいならすぐに治せる……)
ラズワードの水の魔力を流しこみ、解毒を開始する。グラエムの体内の毒を分解するための魔術式を、頭の中に浮かべた。
そのときだ。
「『Schlaf』!」
「――!?」
どこからか、声が聞こえた。上のほうだ。
いや、そんなことよりもまずはグラエムの治癒が優先。ラズワードは急いでグラエムの解毒の作業に取り掛かる。
しかし。
「……な、……なんで」
解毒の魔術がまったく効かない。なんど頭の中で魔術式を唱えても、グラエムの容態がよくなる様子は一切ない。
間違っているのか? いや、そんなわけがない。解毒はそんなに難しい魔術ではない。
早くしなければグラエムが危険だ。ここは一旦解析することに戻ろうとラズワードは考える。急がば回れ、焦っても仕方がない。もう一度しっかり解析をして有効な魔術を使えばいい。
「……?」
解析を再びして、ラズワードの頭の中は疑問符でいっぱいになった。
先ほどグラエムの中にあった魔術式とは違う魔術式を感じる。たしかにグラエムの中には毒があったのに、今、グラエムの中にあるのは……
「……あ、グラエム!」
グラエムの中に流れる物質の正体を掴んだそのとき、グラエムはパタリと倒れ込んだ。しかし、ラズワードはそこまで焦ることはなかった。
もちろんグラエムは大切な友人。これが毒の作用によって気絶したというのならラズワードはパニックに陥っただろう。しかし、そうはならなかった。それは、グラエムの中に新たに流れていたのは、
「……睡眠薬の成分だね。びっくりしたかい、突然毒が睡眠薬に変わって」
「……っ」
睡眠作用のある成分だから。
答えを教えてくれたのは、先ほど聞こえてきた声と同じ声。ラズワードは今度こそ振り向いた。
「……おまえは……」
「はじめまして。ラズワード」
声の主は民家の屋根の上に座っていた。
真っ黒の英国紳士風の服を着ている、黒髪の男。目を引くような白い肌と、恐ろしく整った顔立ち。
何よりも特徴的なのは――紅い瞳。
「俺の名前はイヴ。君に一目惚れしちゃったものだから……ちょっとイジメにきたんだ」
イヴと名乗った男は僅かに唇の端を上げて笑う。しかしその瞳は冷ややかであった。どこまでも人を見下すような、恐ろしく冷たい目をしていた。
その瞳の色。紅の瞳。
それはラズワードと同じ「水の魔力」を持った、「悪魔」の証であった。悪魔であっても神族から受ける扱いは変わらず、水の魔力を持っていれば奴隷として施設に捕まる。つまり普通に考えればこのイヴという悪魔は奴隷であるはずだ。
しかし、それはたぶん違う。
この堂々とした態度。奴隷ならばまずありえない。ラズワードと同じように剣奴である可能性もないこともないが……それもおそらく違うだろう。剣奴であっても性奴隷の調教は受けなければいけない。あれを受けた人がこんなにも人を見下すような目をしていられるとは思えない。
もしかしたら、施設に免除金を払い続けているのか……
ラズワードがイヴについて色々と思案していると、イヴはにやりと笑う。
「どうしたの? そんなに俺のことを見つめて」
「……別に。……おまえ、何の用だ。さっき言ったこと……どういう意味だよ」
「え? 『一目惚れ』のほう? それとも『イジメる』ってほう? ……別に難しい意味じゃないさ。言葉の通りに意味を汲み取ってもらって構わない」
「……」
表情を変えることもなくそう言うイヴを、ラズワードは睨みつけた。
(言葉の通りに……?)
イヴはどう考えても馬鹿にしているとしか思えなかった。
「……ふざけたことを言うな。おまえの相手をしている時間はあまりないんだ」
「……嘘はついていないけどね。……何? 時間がないっていうのは……もしかして『夜明けに出没する悪魔』を狩らなくちゃいけないから?」
「……な」
「心配しなくてもいいよ。そんなに狩りたいのならばどうぞ。狩ってごらん」
イヴが目を細めた瞬間、バサバサ、と何かが羽ばたく音がした。ラズワードがハッと空を見上げると、そこには大きなコウモリのようなものが飛んでいる。それを目で追っていると、それはイヴの肩にとまった。
「……それ、まさか……」
「そう、レーメン。君はこれを探していたんでしょ?」
「……なんでそれが……」
「なんでって、レーメンは俺の契約獣だからだよ。ついでにいうと、パトローネもね」
「契約獣……!?」
契約獣というのは、人と魔術による契を交わした聖獣、または魔獣のことである。契約を交わすことで魔力を通して強いつながりをもつことができ、強い魔力をもっていれば契約獣を完全に服従することも可能だ。
「ラズワード……君の友達の体内にあった毒が睡眠薬に変わったのはなぜだろうね?」
「……おまえが、何かしたのか?」
「そうだよ。パトローネは神族からはランクDとされている……たしかに野生のパトローネはその程度の危険性しかないかもしれないけれど、誰かと契約したパトローネは恐ろしく危険とされているんだ」
ラズワードは倒れているグラエムを見やる。寝息を立てているところを見ると、体内への異常はこれといってなさそうだ。
「パトローネは契約者の能力に強く依存する。噛み付いた者へ契約者の魔力を流し込むことができるんだ。パトローネは契約者と魔力によってつながりを持っているから、それが可能になる」
「……じゃあ、毒も睡眠も、おまえが……」
「そう。俺の魔力をつかったものだ。俺が命令を与えれば、パトローネが俺の魔力をつかってその魔術を使ってくれる。結構便利だよ。俺がその場にいなくたって魔術を使えるんだから」
「……そう能力をペラペラと話して……何を考えている。弱点を教えているようなものだろ」
「そう? パトローネがどんな魔獣か知ったところで君にどうにかできるの?」
その口元に不愉快な笑みを絶やさないイヴを、ラズワードは睨みつける。そして、腰から短剣を抜いて、イヴに切っ先を向けた。
「パトローネが次々と魔術を切り替えたら、たしかに治療は難しい。……それなら操っている本人を殺せばいい……そうだろ?」
「あはは……やだなあ、怖い怖い。……無理だね。俺はレーメンとも契約しているし……それに」
バサバサ、と羽ばたくレーメンをラズワードが見上げた時、鋭い痛みが首筋にはしった。なんだ、と一瞬思ったが、すぐにその正体に気付く。そして気付いた瞬間、サッと血の気が引いていくのを感じた。
「……それに、パトローネは一匹だけじゃないんだよね」
「なっ……おまえ……」
「安心しなよ……殺さないから。さっきも言ったけど、俺は君に一目惚れしちゃってさ。ちょっとイジメたらすぐに解放してあげるから」
「……っ」
ガクン、と力が抜けていくのを感じた。噛み付く前にイヴはこのパトローネに命令を与えていたのだろう。何らかの魔術がラズワードの体内に作用していく。回復しようと思っても、レーメンが魔術無効化の超音波を出しているのだろうか。効果が現れる気配がない。立てなくなって、膝をついたラズワードの下にイヴが降りてきた。
「さて、どうしてほしい?」
「……何をするつもりだ」
体内にいるパトローネが出しているのは、麻痺の魔術だろうか。五感の感覚も鈍くなってきて、ひどく苦しい。地面に触れている部分が何も感じなくて、変な浮遊感がして気持ちが悪い。
ぐい、と顎を掴まれて上を向けさせられる。
「……なかなかいい表情だ。ひどく扇情的だね」
「……うる、さい……」
「うん、でもちょっと足りないかな。人が一番魅力的な表情っていうのは、苦痛を感じているときだと思うけど……それは、身体的なものよりも精神的なもののほうが、より美しいと思うから」
イヴはしゃがみこんで、ラズワードと目線を合わせる。
「『Lesen Sie』」
「……っ」
イヴがパトローネに何かしらの命令を発した途端、グラっと視界が歪むのを感じた。脳内に何かが入り込んでくるような不快感。おそらく違う命令をパトローネに出したのだから麻痺は解けているはずなのに、強烈な脳への束縛感によって、動くことができない。
ガンガンと強烈な耳鳴りと頭痛が襲ってきて、吐き気がこみ上げてくる。視界も解放されているはずなのに、なぜか目の前は真っ暗だった。
「……へーえ、なるほど」
「……う、」
「すっごいね、ラズワード。俺の予想以上だ」
「……なに、が」
「君さ、すっごく可哀想な人間だ」
馬鹿にするような、憐れむような……祝福するような。そんな声でイヴが言った。
ラズワードは一瞬何を言われたのかわからず、ただイヴを見つめることしかできなかった。比喩でもなんでもなく、激しい耳鳴りと頭痛のせいで聴覚が働いていなかったのである。
「今ね、君の過去全部みたんだ」
「……え」
「ふ、あはは! 見事だね……すごいすごい。君の人生の中は幸福の欠片もない……これからの未来にも幸福がまったく見えてこない……!」
「……」
「そして、君。あんまりにも不幸にばっかり苛まれるものだから、感情が壊れてしまっているね。幸せになりたいと望むこともなく……今の自分を不幸だと感じることもなく……今少しだけ動き始めた感情にも、そのせいで気付くこともできない」
「……かん、じょう……? 何に気づけないっていうんだ……俺は、自分のことくらいちゃんとわかって……」
「……わかってないでしょ? 俺が教えてあげようか?」
間近でみるイヴの瞳。真っ赤なそれの中で、瞳孔は開いていた。ラズワードの記憶をみたことに興奮しているのだろうか。
獲物を狙うようなその瞳に、ラズワード恐怖を感じた。
「ラズワード……君、愛している人はいる?」
「……え、愛……」
「そう、愛。俺は別にそんなものに興味はないけどね。その感情に関わったときが人は一番面白いからさ。ラズワードにもちゃんと自覚して欲しい」
「愛……」
ラズワードはチラリと傍に伏せているグラエムに目を移す。昨日は胸ぐらをつかみながら、そのあとには優しく。教えてくれた。
「ただ、笑っていて欲しい」そう思うことのできる「好き」の意味を。
「……そう、彼ね。うん、たしかに君のなかで彼は大きな存在だろうね。……でも他にいるだろう……? もっと、もっと……心を壊してしまうような、それくらい君が愛している人」
「……他に……?」
他にいる、と言われてもラズワードはわからなかった。でもグラエムに教えてもらった「好き」の意味を考えて、そしてそれを知ったときの感情に似たものを知っている、とラズワードは思い出す。
太陽の日差しと、優しい温かさ。ただただ居心地のよかった、あの人の腕の中。
「……ハル、様?」
口にだしてからラズワードは思う。
ハルといるとなんだか暖かかったし、そしてずっと傍にいたい。そんなことを考えていた。彼の隣りは居心地よかった。彼のわけのわからない言葉も、今考えればきっと、グラエムの言っていた「好き」ということなのだろう。そうした感情を向けてくれる人が、どんなに自分にとって必要な人か。
……俺は、ハル様のことを好きだったんだ。
そう考えて、心が暖かくなっていくのも、それがきっと正解だから。
「……俺……」
「はい、残念」
「……え」
イヴが笑う。その瞳の紅は深まっているようにも感じた。血を溶かしたような色だ。
「……なんで……間違ってなんかいない……俺は、ハル様のこと……」
「そうだね。君はハルのこと、好きだと思うよ」
「……じゃあ……」
「そっちじゃないんだよ。俺が気付いて欲しいのは。言っただろ。心が壊れるくらいに愛している人、だ。それに気付いた瞬間、君は壊れてしまうだろう。俺はそれがみたいって言っているんだよ」
「……何言っているんだよ……さっきから……俺がハル様以上に好きな人なんて……」
瞬間、ガッと顔を掴まれた。無理やり目を合わせられる。
「……だったら思い出せよ。……『Erinnern Sie sich』!」
「――っ!」
イヴが命令を発した瞬間、ラズワードの視界は暗くなっていった。
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