「おい、起きろ」
もうじき夜明け。グラエムはとなりで丸くなっているラズワードの肩を軽く叩く。
「……ん、もう、そんな時間……」
起こされて、ラズワードは身じろぎした。眠そうな目をこすりながら、ぼんやりとグラエムを見上げる。
「おはようさん」
「……おはよ」
「オレさ、あんま寝れてねぇんだわ。悪ィけど体力回復してくんね?」
「……うん、もうちょっと頭すっきりしたら」
寝起きのぼんやりした頭では脳内に上手く魔術式を描けない。とりあえず支度から始めようとラズワードは布団から這い出た。
起き上がって、欠伸がでそうになって口を両手で抑えて。腕をぐっと伸ばすと、背筋が伸びてそのシャツが少しゆとりのあるサイズだということがわかる。ベッドの上に座ってゆっくりと自らの意識の覚醒を待つラズワードを、グラエムは横から見ていた。
「……なーんかおまえ雰囲気ほんと変わったよなー」
「……え?」
「なんか隙だらけだぞ? もうちょっと前は尖っていた気がする」
「……そうか?」
まだあまり頭ははっきりしていないのか。振り向いたラズワードのその眼差しはいつもよりも覇気がない。
寝ぼけ眼のままラズワードはグラエムを見つめ、のそのそとグラエムににじり寄る。そしてすぐそばまでいくとグラエムを見上げた。
「……グラエムの傍だから安心しているのかも」
「……はいっ!?」
ラズワードはグラエムの手に自分のそれを重ねる。あー、治癒魔術使ってくれるのかー、とグラエムがその様子を見ているとラズワードはなにやら険しい顔をした。
「……あれ……魔術が上手く使えない……」
「……だっておまえまだ顔ぼけーっとしてんもん。いいよ、もうちょっと時間経ってからで」
「……いい、いまやる」
まだしゃんとしていないラズワードは治癒魔術も上手く使いこなせないようである。治癒魔術は相手の体の状態の把握から始めるのだが、それもできないらしい。
ただ、ラズワードは「やる」と決めて途中で投げ出すのは好きではないようだ。意地になってグラエムの体の解析をしているが、その顔の険しさは増す一方である。
その様子がなんだか面白くて、グラエムが吹き出すのを堪えていると、ラズワードは俯いていた顔を上げて再びグラエムを見上げた。
「……」
「わ、笑ってねぇよ、うん! ごめんごめん」
「……できるから」
「……おう、お願いしま……おうっ!?」
微妙に馬鹿にしたようなグラエムの顔を見るなりラズワードはむっと怒ったような顔をする。そしてグラエムが驚いたのは、ラズワードがグラエムのシャツのボタンを外しにかかったからである。無表情でボタンを外していくラズワードに、グラエムはどう声をかければ良いのかわからず、されるがままになっていた。
全てのボタンを外し、上半身をはだけさせる。顕になったグラエムの体を、ラズワードはまじまじとみていた。
「……筋肉ついたな」
「あ? そりゃあな! バガボンドのころより敵も強ぇし」
「……うん、すごい」
ラズワードは少しだけ笑う。そして、グラエムの胸板に頬をすり寄せた。
「……っ、ちょ、ちょっと……ラズさん!?」
「うるさい」
「いや……だって……」
「触れる体の面積が増えると解析が楽になるんだよ。特に心臓付近だと」
「お、おう……そうかよ……」
(いや……それにしたって)
グラエムはラズワードの言葉を理解しながらも、動揺を隠せない。
手もいつの間にやら指を絡めるように繋がれているし、「心臓付近に触れる」動作もなんだか身体の全てを許した女を連想させるような……
「グラエム」
「……はい!?」
「……不整脈」
「う、うるせぇっ! それはいいんだよ!」
自分に寄り添うラズワードの後頭部をなんとなく撫でてみれば、「ん」と気持ちよさそうに身動ぎする。ありえない、昔ならありえない。そう思ってグラエムはもやもやと考え込んでいた。
(あ、そうだ……こいつ)
昔の絶対に他人に隙を見せない、常にナイフのように鋭い眼差しをもって近寄りがたい雰囲気を醸し出していたラズワードを思い出して、グラエムは一つ、その変わりようの答えに気付く。
ラズワードは、性奴隷として売られるために施設に捕まった。
「……グラエム、治療終わったけど……身体の調子はどう?」
「……ああ、イイ感じ」
この仕草も全て、人を魅了するためのものとして教え込まれたものだろうか。こんな姿を、今の主人に毎日見せているのだろうか。
(それは、ちょっとやだなァ……。)
治癒魔術を終わらせ、ラズワードが離れてゆく。こちらに向けた背はとても華奢で、抱きしめたら腕の中にすっぽりと収まりそうだ。
あの頃は、この背中に憧れた。こちらの魔術が尽きて戦闘不能になったら、ラズワードは何も言わずに前に立って戦ってくれていた。その規格外の強さには、嫉妬など沸くこともなく、ただただ「すごい」とそう思ってその背中を見ていた。危なっかしい戦い方はしていたが、そのナイフの扱いも惚れ惚れするほどのもので、血の中を舞うその姿は美しかった。
それが今は、まったく違う。体格はたぶんそんなに変わっていない。それなのに、こんなにも違って見えるのは、おそらく彼の内側が変わってしまったからだろう。
「グラエムの傍だから安心する」、そんなことは前のラズワードは言わないと思う。自分の身は自分で守る、彼はそういうスタンスだったからだ。
人に頼ること。人を信頼すること。
それを、ラズワードは知ったのだろうか。どこで教わったのだろう。施設か、今の主人か。無茶をして自分を傷つけることも厭(いと)わなかった彼が、そうして変わったことはきっと祝福すべきことなのだろう。それでも、それが彼が「性奴隷」になった結果だということを考えるとあまり受け入れたくなかった。強く、そして人の盾となって戦う優しさを持った彼に憧れていたから。
「ラーズー」
「何……うわっ」
なんとなく、後ろから思いっきり抱きしめてみた。
思ったとおりラズワードはそのまま腕のなかに収まった。
「グラエム、」
「……おまえやっぱり痩せたかー?」
「……そんなこと確かめるためにこんなことしているのか?」
ラズワードが振り向く。そうすればものすごく顔の距離は近くなって、その瞳の青が視界いっぱいに広がった。
ああ、やっぱり綺麗だ。
でも、それだけ。さっきまではちょっと意識していたような気もするけど、やっぱりこいつは友人。少し近づけば、キスだって余裕でできそうなものだけど、したいとは思わない。いつだって一人の憧れの存在として見ていたい。一瞬でも欲情してしまったことを、後悔している。
「まあ、いいじゃん。肌寒いし」
「……くだらない」
「……おう、そうだな」
「……うん、くだらない」
それでも。
少し笑ったラズワードを見て思う。
前に比べたらよく笑うようになった。嬉しいよ。すごく、嬉しい。おまえは笑ったほうが絶対にいい。でも、その笑顔を教えたのが、オレじゃない誰かだっていうのは。
ちょっと、悔しい。
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