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「おかえりなさいませ、ハル様」



 仕事が終わってレッドフォード邸に着いたハルをメイド(とは言っても奴隷である)達が出迎える。相変わらずあまり気持ちのいい光景ではないがそれにハルは笑顔で応えた。愛想笑いというのは思った以上に疲れるもので、内心うんざりしていたのだが。

 しかしそんな憂鬱な気分も、一瞬で晴れた。並ぶメイドの列の一番奥に、ラズワードがいたのである。ハルは同伴していた者達に先に戻ってもらって、ラズワードに話しかけた。



「ラズワード、今日は帰り早かったんだな」

「ええ、今日の相手はそんなに手こずることもありませんでしたから」

「ふうん、そっか」



 ここに並ぶメイド達は水の天使であるから容姿は非常に優れているが、やはりラズワードは別格のように感じた。妙に眩しく感じて直視することができない。ハルはチラチラと視線を彼からずらしたりしながらなんとか平常を保っていた。



「ハル様、それは?」

「え、ああ、これか」



 ラズワードがハルの手に持つ物に興味をもったのか、少し距離を詰めてきた。思わずドキリとして後ずさりしてしまう。



「これは今日行った先の研究所の人からもらったんだ。魔術とバイオテクノロジーの融合だとかの研究している方で、一生枯れない花らしいよ」



 ハルが持っていたのは、小さな花瓶に入った、青い薔薇である。ラズワードはそれを眺めながら微かに目を細めた。



「……綺麗ですね」

「だろ? 初めて見たとき結構感動したなあ。まるでおまえの目の色みた……」



 ハルは途中まで言いかけた、いや、もはや言ったも同然の言葉を飲み込んだ。薔薇をその瞳に移したラズワードを見てポロっと出た言葉だったが、言いながら恥ずかしくなったのである。

 

(うっわー、何言ってんだ俺……クサいにも程があるだろ……)

「?」



 ラズワードは急に赤面しだして顔を背けたハルを不思議そうに見つめた。見つめられてさらに心拍数はあがっていく。



「俺の目の色に似てますか?」

「い、言い直すなよおまえ!」




 ラズワードが微かに笑う。一瞬こうして一人で慌てている自分を見て笑っているのかとハルは思ったが、どうやら違うようである。その瞳は違うものを映しているように見えたのだ。



「……ハル様は、この薔薇のように俺の瞳は見えましたか」

「……へ?」

「俺の目の色、昔からいろんな風に例えられるんですよ」



 そこまで大きな表情の変化としてはでていないが、その笑顔は非常に美しく見えた。何を想ってそんなふうに笑っているのかと考えて、すこし心がチクリと痛む。



「……ほかには、どんな風に例えられたの?」

「ええと、海の底とかサファイアとか……青色ですからそんな感じですかね」

「へえ、まあ予想つくというか……」

「ああ、そういえば……夜明けの空と言われたこともありました」

「夜明けの空? わからなくもないけど、普通に空とかじゃなくてわざわざ「夜明け」なんだ」



 改めてラズワードの瞳を見てみる。目を合わせる感覚というよりは、その色を観察するという態で見ているからかそこまで緊張はしない。微かに揺れた青色が、美しい。



「闇が光へ変わる瞬間の空ですよ。夜明けの空というのは」

「……それもその人が言ったのか?」

「ええ……そうです。あの人は、俺にそんなことを言ったんです」



 ラズワードは小さく、「持ちます」と言ってハルから花瓶を受け取った。入口で長話をするのは良くないと思ったのか、それとも正面から自分の表情を見られることを避けるためか。ラズワードはさりげなくハルに部屋にいくことを求め、隣に立った。



「……なにか、その人とあったのか?」

「……いいえ。思い出しただけです」

「何を……?」



 歩き出すと、ラズワードの髪がサラサラと揺れた。前髪が目にかかって表情が上手く伺えない。



「あの人と、一緒に夜明けの空を見に行きました」

「……」

「綺麗でしたよ。……たしかあの時あの人は白い服を着ていたでしょうか……夜に見ると、よく見えるんです。……でも、夜明けの瞬間、太陽の光が眩しくて、あの人が見えなかった。……あの人は闇。暗い夜の中生きている。……そして光に殺される」



 広い廊下には、革靴の床に当たる音と、静かな二人の話し声だけが響いていた。微かに漂う薔薇の香りが鼻孔をくすぐる。



「その人が……俺を夜明けの空だと言った。俺に闇を裂く光であれと、そう……」

「……ラズワード?」



 ラズワードは腕に抱える花瓶をきゅ、と抱きしめた。その仕草があまりにも悲しさに満ちているようにみえて、ハルは目を背けたくなった。



「なあ、ラズワード……」

「その人」



 ハルの部屋の前に着くと、ラズワードが振り返る。少し笑って、小首をかしげた。



「花を触るだけで枯らす魔法が使えるんですって。……あるわけないですよね。そんな魔法」

「え?」



 ラズワードはちょいちょいと薔薇の花びらを撫でてみせた。突然の話の転換に驚いてハルがぽかんとしていると、ラズワードはそんなハルを尻目に部屋の扉を開ける。

 ハルが部屋に入ると彼は扉を閉め、窓際に花瓶を置く。背を向けた彼は、薔薇の花びらを指で弄びながら言う。

 

「美しいものに触れると自分はそれを枯らしてしまう……そう言って笑うあの人の顔がずっと、俺の頭から消えない」

「……」

「その悲しい笑顔を消す術は……あの人が望んだ方法だけ。俺はそうして太陽の昇らない空へ、光を導く」



 ラズワードが振り返る。青い瞳には、強い意思を感じた。



「……だから、俺はあの人を殺すんです――絶対に」




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