3

 結構何度か『Lucifer』をハルは見てきているが、今回のそれは特に良かったと感じた。元々オペラには興味ないので、あまり違いなどわからないが、なんとなくそう思ったのである。

 もしかしたら、ハルの隣にいる人物のおかげかもしれない。

 初めての視点から見てみると、慣れ親しんだはずの『Lucifer』も、少し面白みを感じるものだ。今日、黒に出会えてラッキーだな、なんて思う。会っていなければ、この時間は居眠りの時間になっていたかもしれない。


「ハルさん。今日のはよかったですね。特にルシファー役の人が、人間味があって良かった」

「ああ、確かに。いつもは確か典型的な悪役として演出されるだけだったし」

「……ハルさん、このあと時間ってあります?」

「え、まあ……夕方くらいまでなら」

 
 出口に差し掛かり、外の光が見えてくる。黒が、微笑んだ。


「この後、どこかに寄りませんか? せっかくこうして会えたんですから」

「え……あ、ああ! 喜んで!」

「良かった」


 正直このまま別れるのは惜しいと思っていたので、黒のこの申し出はハルにとって嬉しいものであった。ハルは貴族として、ずっと人とは仕事の関係としての付き合いばっかりしていたのである。気楽に話せる家族以外の人、というのはなかなか稀で、黒と話す時間はとても楽で楽しいと感じていたのだ。

 外に出れば、中央都市というだけはある華やかな町並み。屋外にでた証の太陽の光が、黒を照らせばその白い肌が際立った。その光の下で笑う黒は、見ていて心が落ち着いてくる。

 あまりこのような気楽な関係というものを築いてこなかったハルは、こういうときどこに行ったら良いのかあまりわからなかった。とりあえず、休める所はないかと、ハルがあたりを見渡した時である。

 今出たばかりのコンサートホールの屋上で何かが光ったような気がした。なんだ、とハルは目を細めるが、視覚でそれを確認出来る前に、直感でその正体に気付く。


「――ハルさん!」

「――……え」


 パン、と甲高い銃声と共に、強い衝撃をハルが襲う。一瞬のことに反応が遅れたハルは、何が起こったのかわからなかった。

 その光は間違いなくライフルスコープの反射光。撃たれる、と確信した瞬間に揺れた体。やられたと思ったのに全く痛みを感じない体。


「……黒、さん……!?」


 気付けば目の前に黒が立っていた。その肩からは大量の血を流している。そう、ハルを庇ったのである。


「黒さんっ……!! 大丈夫ですか!?」

「……これくらい、平気です」


 ハルは黒に駆け寄り、その体を支えた。痛々しく溢れる血に目を背けたくなったが、ただそうもしていられない。


「あー、気付かれるとは思わなかったな。あんたみたいなモブに邪魔されるとは予想外」


 黒い羽を羽ばたかせ、犯人が降りてくる。歪な形をしたライフルを持つその男は、間違いなく悪魔であった。


「……あれは……?」


 その悪魔をみてハルは疑問符を浮かべた。見たことのない悪魔だったのである。

 ハンターであるハルは悪魔の載っているリストを毎日チェックしている。だから、完全には覚えていないにしても、顔くらいは見たことがあるはずなのだ。

 それなのに、この悪魔はハルの記憶に存在しない。


「……まだリストには載っていない未発見の悪魔……いや、それとも……」

「……レベルSの悪魔です」

「え……!?」


 荒く息を吐きながら、黒は小さく言う。

 黒は「ああ、弾が骨で止まっている」と呟いたかと思うと、自ら銃創に指を突っ込み、銃弾をほじくりだした。ハルは見ているだけでも血の気が引いたが、黒は淡々とそんなことをやってのける。そして、銃弾が抜けた銃創を治療魔術で治した。

 麻酔もなしによくそんなことを……。

 ハルはおぞましさでクラクラとしてしまう。

 
「レベルSの悪魔はレベル5と同じようにリストには乗りません。……危険ですからね。私はそのレベル5とSが載っている神族用のリストを見たことがありますが、そこにあの悪魔が載っていたのを覚えています。……名前は」

「――トラウゴット。ちょっとあんたはどいていて。僕はレッドフォードを殺しにきたんだからさ」


 トラウゴットと名乗った悪魔が、ニンマリと笑う。


「良心的だと思うよ? 僕は三大貴族とやらのレッドフォードさえ殺せればいいんだ。無駄な殺戮をする気はない。わかったらアンタはさっさとそこをどきな。雑魚に用はない」

「……ハルさん、逃げますよ」


 黒がぐい、とハルの腕を引いた。どうやら肩の治療は完了したようだ。


「ま、まてよ! 黒さん!」

「いいから! 私たちが逃げればアイツはきっと追ってくる。戦うにしてもこの場所は向いていません、もっと人気のないところまでいかないと……!」

「……そ、そうだけど……」


 見れば人が集まってきている。突然街中で銃声が鳴り響き、流血沙汰になったのだ。当然のことである。おそらくハンター達も駆けつけるだろうが、並のハンターではレベルSのトラウゴットに返り討ちにあうのが目に見えている。ここは黒の言うとおり、逃げて場所を変えるのが得策であろう。しかし、ハルには一つ思うところがあったのだ。


「……逃げるなら、俺が一人で逃げます。黒さんは残ってください」

「お断りします」

「いや、あいつは俺が目的だ、俺だけが逃げれば黒さんが危険な目に合うことはない! 黒さんはここにいてください!」


 そう、黒と共に逃げるということには承諾できなかった。彼は、トラウゴットの言う通り、おそらくあまり力を持っていない。魔力の波長もあまり感じなければ、治癒魔術の速度も遅い。足でまといになる可能性が高いのだ。


「ハルさん……いいから、ついてきてください! とにかく、裏まで逃げますよ! 神族の助けを呼ぶので、それまで逃げるんです!」

「……わ、わかった」


 パッと駆け出した黒にハルは仕方なくついていく。神族の援軍が来るというのなら、それは心強い。問題は、彼らが来るまで無事でいられるか。

 今日はハンターとして仕事をするわけではなかったため、いつもメインとして使っていた武器は持っていない。持ち運びに便利な短剣だけを持っている。メインの武器とは大きく扱いが異なるので、レベルS相手に戦い抜けるのか怪しいところだ。

 加えて黒を庇いながらの戦闘となることが予想される。どう考えても、こちらが圧倒的に不利となるのだ。


「そんなに逃げたところでおまえたちは助からないよー? 僕に目をつけられた時点で諦めないとね!」


 ひゅ、と風を裂く音がする。それは二人のすぐ傍を抜き去って、前方の壁を破壊した。


「……っ」


 行き止まりとなったそこは、見る限り商店街の物置場として使われている所であった。ここで戦闘をすれば商品が傷つくことは間違いないが、人を巻き込むよりは数倍マシだろう。


「……黒さん、さがって」


 覚悟を決めて、ハルは短剣を構えた。


「おっけぇー! 来なよ、レッドフォード! おまえを殺せたなら、僕の地位は一気にあがるからさ!」


 ヘラヘラと笑うトラウゴットをハルは睨みつけた。正直、そんな挑発に乗るような余裕はない。武器のこともある上に、属性においても不利であるからだ。

 初めにつかった魔術を見る限り、トラウゴットの属性は風である。火の魔力をもつハルにとってはあまり相性の良い相手ではない。炎による攻撃は、風によって簡単に阻まれてしまうのだ。それこそ、リーチのある武器を使い直接魔力を相手に叩き込む必要がある。

 敵うか……、この武器で……。


「僕の出方伺ってる? それなら素直にこちらからいかせてもらうよ!」


 トラウゴットは手に持っている歪な形の大剣を振りかぶる。孔雀の羽が刀身についた、観賞用の剣に見える剣。その形状は、おそらく風魔術との相性が抜群に良い。


「……う、」


 強烈な豪風が二人を目掛けて走ってくる。レンガ造りの地面を砕き、破片を巻き上げ、それは恐ろしいほどの威力であった。

 初めて見るレベルSの魔術にハルは一瞬怖気づいたが、気を落ち着かせ魔力を放つ。

 ぱ、と短剣の先からプラズマが迸る。瞬間、爆発音と共に炎が発射された。
 

「……!?」


 まるで質量をもっているかのような爆炎に、トラウゴットは目を見開いた。魔力によって編まれたその炎は、豪風をも巻き込み、トラウゴットに襲いかかったのである。


(いける……力押しでなんとかなる……!)


 魔力量では自分が上だと確信したハルは、そのまま炎を強めていった。例え風に炎が不利だとしても、圧倒的な魔力によって押し切ることが可能だと判断したのだ。

 しかし、その勝利の確信に亀裂が入る。

 炎の合間に見えたトラウゴットの口元が、微かに笑っていたのだ。


「なん……」


 何か隠していることがあるのか。ハルがそれに気付いた、そのときである。

 コツ、と硬い音がした。レンガ造りの地面に、小さな石ころが叩きつけられたような。


「……!?」


 ハッとしてハルは空を見上げた。


「あれは……!!」


 そびえ立つ壁の上に、いくつもの人影が。硬い音は彼らの身動きによってそこから落ちてきた石が落ちた音のようだ。

 全ての人影に、黒い羽。しまうこともできるそれをわざわざ体外へ出し、ハル達に見せつけている。


「レッドフォード……残念だったね。悪魔が一人だけなんて、僕は言っていないよ?」

「おまえ……!!」


 皆、巨大な歪な武器を持ち、にやにやと笑っている。獲物を目の前にしたときの獣のようだ。

 感じる魔力量はトラウゴットとほぼ同じ。おそらくレベルS同等の力を彼ら全員が持っている。それが、複数。

 だめだ、敵わない。

 トラウゴット一人なら倒せそうだったが、流石に同じ強さの悪魔複数を同時に相手するのは、どう考えても無理であった。ハルは絶望に目の前が暗くなるような気さえした。


「僕たちは同盟を組んでいてね。手柄は分け合う、それをルールにこうやって皆で狩りをしているんだ。おまえは今回の僕たちの標的。じゃあね。首だけ引っこ抜いてあとは粉砕してあげるね」


 トラウゴットがすっと手を挙げる。それと同時に、空気が揺れた。

 様々な魔術により、辺りは不快な光に包まれる。ヴ、と生命の終わりを告げるような不吉な音が響き渡る。

 ああ、だめだ。黒さんのことも、守れな……

 死ぬ、それを確信した。せめて最後に、謝ろう、そう思って黒の方を顧みようとした。


「……?」


 しかし、それは叶わなかった。視界が急に暗くなったのである。

 それは魔術によるものではなく、目を何かが覆ったことによるもののようだ。目を、冷たいようで暖かい何かが覆っている。


「……ハルさん、困ったときは神頼みだよ」

「……え?」

「貴方を光が導きますように。貴方はこんなところで死ぬべき人ではない」

「なに、言っ……」


 ハルは黒に後ろから抱きしめられ、目を覆われているのだと気付く。黒の言ったことを理解しようとした、しかしできなかった。

 意識が、スッと遠のいていったから。


 待て、その言葉すら口にはできなかった。ハルの意識はあっという間にブラックアウトしてしまった。


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