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「……」


 こうして一緒に朝食をとるのは初めてである。ハルは、目の前で静かにナイフとフォークを操るラズワードを見つめていた。

 食器の使い方。食べ物の口への入れかた。ナプキンの使い方。その他諸々。

 完璧だ。完璧なテーブルマナー。

 優雅な仕草と洗練された雰囲気。ハルはそろそろラズワードへの違和感を覚えてきたところである。どう考えてもただの奴隷ではない、そう思ったのだ。


「……なあ、ラズワード」

「はい?」


 ラズワードは名前を呼ぶと、す、と顔を上げてハルを見つめた。深い青空のような瞳。その瞳に真っ直ぐに見つめられて、ハルは先日の失態を思いだし思わず目をそらす。

 ああ、なんで抱きしめたりなんかしたんだろう。それとやっぱり兄さんとの関係は続いているのかな。

 様々な邪念が浮かんできたが、ハルはそれを打ち砕いて口を開いた。


「おまえ、そのテーブルマナー、どこで学んできたの? そんなことも施設で教えてもらえるわけ?」

「いいえ? これは施設に入る前から身につけていましたよ」

「え、だって……施設に入る前は、貧民街にいたんじゃないの?」

「確かに貧民街にいました。でも、そこに住むことになる前は、一応貴族として過ごしていましたから……必然的にこうしたマナーは学ぶことになりましたね」

「貴族!?」


 ハルはラズワードの言葉を聞いて、様々な貴族の名を頭に巡らせた。

  まず、三大貴族では……ないな。じゃあ、下級貴族あたりか? 施設への免除金も払えなくなるくらいだから、そこまで上流階級にはいないはずだな……


「どこの貴族だったの? 俺も貴族を全部知っているわけじゃないから、ラズワードの家のことを知らないかもしれないけど、一応……」

「……俺は……ワイルディング、でした。……おそらくハル様もご存知あるかと思いますが……」

「……ワイルディング、だって……?」


 ハルはラズワードの口からでた名を聞き、目を見開いた。心当たりはあったのだ。十分すぎるくらいに。


「え、本当に、おまえ……ワイルディングの……?」

「……そうです。俺の名前はラズワード・ベル・ワイルディング……と申します。施設からもらった資料には書いてありませんでしたか?」

「え……資料にはファーストネームしか……それより、なんで黙っていたんだよ。俺たちに奴隷として扱われるなんて、屈辱以外の何物でもないだろ」


 そう、ワイルディング家はハルにとっても無視できないような存在であった。

 ワイルディング家は、古くから騎士の家系として有名だった。代々当主は強靭な戦士としてハンター業では優秀な成績を収めている。そして、レッドフォード家に仕えていた。

 有事の際には必ずレッドフォードを守る盾となるべく駆けつけ、一人一人がレッドフォードの者たちの忠実な騎士となり傍についていた。

 しかし、ワイルディングは没落してしまった。

 そんな過程もあってか、ハルにとってラズワードの名は見過ごせるものではないのだ。


「黙っていたのはハル様が既にご存知だろうと思っていたのと……それから、俺にはワイルディングを名乗る資格がないからです」

「う……悪かったよ、ちゃんと確認しないで……それより何? 資格がないってなんだよ」

「……まず、ワイルディングは俺のせいで没落したと言っても過言ではありません。多額の免除金にワイルディングは耐えることができなかったのです。……それから、俺はワイルディングの教えに背いていますから……」

「……教え?」


 ラズワードはふう、と息を吐くと、食器を置き、うつむいた。綺麗な青い瞳には、思いつめたように陰りができている。


「……ワイルディングは騎士の家系。『我が剣は、主君のためにある』……その言葉がワイルディングの血を引くものたちが魂に刻む言葉であると教えられてきました。俺は水の魔力をもつということで表には出ませんでしたが、その教えと剣術は授かっています」

「……」

「でも、俺はその教えを破っている。俺の剣は、俺のためにあるんです」

「……え、でも……ラズワードの主君って……今は俺、でいいんだろ? それならその教えを守っている。俺のためにハンターの仕事をやっているんだ、主君のために剣を振るっているんだろ?」


 ラズワードはちらりとハルを見上げた。どこか切なさを帯びたその瞳の色に、ハルの心臓が僅か跳ねる。

 
「……そんな風に、見ていただいているんですね……。ハル様」

「……え」


 ラズワードが微かに笑った。息が止まるような苦しさを、ハルは覚える。


「……俺を、そんなに綺麗な人間だと思わないでください。……知っていますよね? 俺は施設で調教を受けているんです。快楽を求めて止まない、人型をしているくせに頭は動物と何ら変わりない浅ましい人間です」

「え、おまえ、何言って……」

「俺の剣は俺のためにあります。剣は快楽のための道具です。卑猥な玩具と意味合いは全く同じです。……先日の俺を見たでしょう? 貴方からお借りした服を悪魔の血で穢し……見るもおぞましい俺の姿。あれは快楽を求めた結果です。本当に貴方のために戦うのならば、もっと綺麗な戦い方だってできたのに」

「……」

 
 フッとラズワードが笑った。自嘲の笑みだろう。

 どうしてこんなにも自分を卑下するのだろう。ラズワードは自分を奴隷だと言い切る度に、どこか自分を嗤うような、そんな表情を浮かべる。その度に、ハルは心が揺れ動くのを感じる。いつか彼が壊れてしまうのではないかと、わけのわからない感覚を覚えてしまう。

 自分はどうしたいのだろう。どうして心が揺れるのだろう。

 まず、言いたい。おまえは醜くなんてない。おまえは、美しい、と。


「……っ」


 しかし、口から言葉がでてくることはなかった。


「……そう、おまえがそういうなら、俺は否定しないよ。ただあまり無茶はしないでくれ」

「……はい、申し訳ございませんでした」


 うつむくと、長いまつげが瞳に影を作る。サラサラとした髪が揺れている。

 たしかに、見た目は否定できる箇所がないくらい美しい。でも、それだけだろうか。ラズワードのことを直視することができないのは、彼の容姿が眩しいほどに整っているから、それだけなのだろうか。

 ハルはいつの間にかまた、ラズワードから目を逸していた。どうしても、真っ直ぐに彼を見ていられないのだ。

 心がざわざわと、揺れ動くのが不愉快だから。

 ハルは無言でフォークをとり、食事を再開した。ラズワードはそれを見たのか、遠慮がちにティーカップに口を付け、同じく食べかけの朝食に手をつけようとしていた。

 二人の朝食は、それから会話もなく、静かに続けられた。
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