残された二人は、黙ってうつむくだけ。
しばらくの沈黙ののち、先に口を開いたのはハルのほうだった。
「……ラズ。今まで……ごめんね」
「な、……何を謝っているんですか……ハル様は、何も悪いことは……」
「正気? 記憶が飛んでいるなんてことないよね? 俺がきみに何をしたのか、きみはわかっていないの?」
「で、でも……あれは、……すべて、俺が……」
急に、何故そんなことを。
ラズワードはギュッと胸が潰れるような苦しさを覚えて、頭が真っ白になった。ぐらりと視界が揺れるほどの悲しみと恐怖。たまらず、ハルに縋り付こうとする。
しかし、それをハルは拒絶した。ぐ、とラズワードの肩を掴んで、ラズワードを拒んだのである。
「ハル……さま……」
「……ラズ。さっきのきみを見てね、俺は……昔、きみと出会ったばかりのことを思い出したんだ」
「え……?」
ラズワードの肩を掴むハルの手の力が弱まる。それでも、ラズワードはもう、ハルには近づけない。
「初めて戦っているきみを見たときに、なんて美しいんだろうって思った。どんなきみの姿も好きだけど、やっぱり、剣を握っているときのきみが一番きれいだ。俺を護るって、まっすぐに言ってくれるきみが、本当に美しいと思う」
「……」
「俺は……本当は、ずっとラズに傍にいてほしい。けれど、それじゃあきみは、きみらしくあれないよね。俺は、今までのように、きみの剣を折ってきみを縛り付けないと、きみを傍に置いておけない。もう、ラズは……心に決めている人がいるんでしょ」
今まで、ハルにされてきたことは覚えている。覚えているが、恨んでなどいない。すべては自分が悪いのだ。彼があんなことをしてしまったのは……そう、ああでもしなければ、心を繋ぎとめることができなかった。
もう、答えはでていた。
ラズワードはぎゅっと唇を噛む。
「ハル様……俺は、今でも……ハル様のことを愛しています。貴方と一緒に過ごした時間は、一生……俺にとって、大切なものです――でも」
どく、どく、と心臓が高鳴る。
ああ、これを言ってしまえば、すべてが終わる。
けれども、言わなければいけない。
ずっと、ずっと……心の奥で、気付いていたこと。
だからこそ後ろめたさを覚えて、ハルから逃げたくなったときがあったこと。
いつまでも、彼を傷つけ続けるのは……もう、終わり。
「――でも、俺の剣じゃないと救えない人がいます。俺は……その人を、……俺のすべてをかけて、救いたいんです」
……ハルの目を見ることができない。けれど、ラズワードは震えながら顔を上げた。
……ハルは、泣きそうな顔で微笑んでいた。「わかっていた」、そんな表情で。
ラズワードは崩れ落ちそうになる身体を支えるように、ぐっと自らの身体を抱きしめる。
彼を……裏切ったのだ、自分は。あんなに愛してくれた、大切な人を裏切った。
「ラズワード、きみなら救えるよ」
「――……ッ、」
ぼろ、とラズワードの瞳から涙がこぼれ落ちた。自分に泣く権利などないとわかっているのに、涙が止められなかった。
ラズワードは咄嗟にハルにしがみついて、嗚咽をあげる。「ごめんなさい、ハル様」と何度も声をあげながら。
「……ラズ」
ハルはそっとラズワードの背中に手をおいた。その手は震えている。ハルも、涙をこらえていた。
「泣かないで、ラズ。俺は、きみがきみの誇りを貫いてくれることが、嬉しいよ」
「でもっ……ハルさま、……俺は、……俺は、あなたを裏切って……!」
「……。……うん。きみが俺のもとから離れるのは、本当はさみしい。……すごく、さみしい」
「……ッ、」
――俺もあなたの側から離れたくないんです。
その言葉は飲み込んだ。
自分自身がわからないのだ。こんなにこの人を愛しているのに、あの人を救いたいという気持ちにどうしてもあらがえないのだ。まるで自分以外のものに突き動かされるような感覚で、その想いを制御できないのだ。
心がゆらいでいる。いやだ、と感じている。それでも、もうここにはいられないとわかっている。それが答えなのだと、知っている。
「……ハル様、」
「うん」
「……愛しています。あなたのことを、心の底から愛しています」
「俺も――愛しているよ。たとえきみが、どこへいこうとも」
ラズワードがゆっくりと顔をあげる。涙に濡れた頬を、ハルは優しく撫でた。
そっと、キスをする。唇を重ねて、悲しみを温めるようにして角度を変えて、キスを繰り返す。
「……ラズ」
「はい、ハル様……」
「――きみに出会えてよかった」
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