8
 血が茹だっている

 自分はもう流れ者ではない。欲望のままに獲物を狩るわけではない。主人の命令で、ここに来ているのだ。

 それでも本能には抗うことはできず。魂は目の前の獲物を求めている。


「……とんでもない淫乱だね、君は。いいの? こんなの突っ込んだら君、すぐにイっちゃうよ? ああ、それがいいんだもんね、君は。もう耐えられなくて腰ガクガクなっちゃっても、それでもガツガツ突っ込まれるのが好きなんでしょ?」


 メルヒオルは手にもつダガーをくるくると弄ぶ。その口元は笑っているが、目は笑っていない。情欲と殺気の混じりあったラズワードの視線に、警戒しているのだ。


「そう、そんな風に無理やりやられたら興奮するね。主導権は完全に相手に握ってもらいたいかな。……おまえも、そうしてくれるんだろう?」

「……当然だ」


 ただ煽っているわけではなく、本心から言っているような、そんなラズワードの様子にメルヒオルの緊張は高まっていく。水の魔族で戦闘能力を持つ者というのは稀なため、水魔術がどんなものなのかを知っているものは少ない。メルヒオルもそれは例外でなく、ラズワードの手の内が読めずにこうして相手の動きを探ろうとしていた。


(あいつはさっき氷の魔術を使っていた……水魔術は氷を主に扱う魔術なのか……? それなら氷を使うまえに速さで勝負をつけたほうが……)


 風の動きが僅かに変わる。ラズワードはその動きを敏感に感じ取った。感覚は先ほどよりも研ぎ澄まされている。その風の動きというのは微々たるものであったのだが、それがメルヒオルの攻撃の予兆であるということにラズワードは気がついた。


「――っ」


 小さな火花をあげ、刃がぶつかる。メルヒオルはまたも凄まじいスピードで突っ込んできてラズワードに攻撃を仕掛けたのだ。ダガーを突く勢いは先ほどよりも格段にあがり、その速さ故に攻撃は重みをましていた。流石にそれをまともに受け止めたのでは衝撃に耐え切れないと判断したラズワードは、刃の向きを調整し上手く受け流す。


「……っ、さっきも思ったけどさ、よくこのスピードについてこれるよね、君!」

「悪いね、感じやすいから、ちょっとしたおまえの動きにも体が反応するんだよ!」


 メルヒオルの刃から巻き起こる強風。竜巻のようにダガーに巻き付くその風が、メルヒオルのスピードの理由だ。

 刃が合わさる度に、弾けるように風が巻き起こる。その風の流れ、相手の視線、あまりにも早すぎるメルヒオルの突きをラズワードは視覚以外で感じ取り、受け止めていた。


「……言うわりにはその程度かよ……メルヒオル!」

「あんまり煽らないでよ、俺も抑えきかないからさ……」

(いやいや、普通のやつなら既に死んでるけど!)


 レベルAであるメルヒオルはそれなりの力をもつハンターに狙われることも多かったが、いつも返り討ちで終わっていた。それがどうだ、今の状況は。どんなに風を絡めても、どんなに隙をつこうとも、すべての攻撃が阻まれる。

 焦りから攻撃の精度は下がっていく。こちらは全力で仕掛けているというのに、ラズワードはまともに魔術を使っていない。

 一旦距離をとって策を練るべきだ、メルヒオルがそう思って一歩足を後ろへ踏み出した時。


「……うっ」


 ラズワードのナイフがメルヒオルの左腕を掠った。僅か数ミリ、メルヒオルは相手の攻撃が当たったことに肝を冷やしたが、それが致命傷には至らない微々たるものであると気づくと、安堵のため息をついた。しかし、その安堵は一瞬のことであった。

 ふつ、とメルヒオルの腕に妙な感触がはしる。すると次の瞬間、ボコボコと水が沸騰したかのように腕は腫れ上がり、そのまま肘から下が破裂したのだ。


「っな――!?」


 飛び散る大量の血は、そのままラズワードにかかる。一体何事だとパニックになるメルヒオルは、ちらりと視界に入ったラズワードの表情に戦慄した。

 瞳孔は開き、血に飢えた獣のようにこちらを睨む、その表情。微かに笑ったその唇。

 背筋に走った寒気に動くことを忘れていたメルヒオルは、ラズワードに腹を思い切り蹴られそのまま吹っ飛んでしまった。


「っぐ……」

「……随分と早漏だな、メルヒオル。こんなにぶっかけてくれて……もう限界か?」

「……っち、おまえ……一体……!」

「これも水魔術だ。ノワール様には使うなとは言われていたけど、一番これが気持ちいいんだよ」

「……っ」


 メルヒオルはネクタイを解き、ちぎれた部分より少し上を縛り付ける。止血には足らないだろうが、やらないよりはマシだ。

 しかし、そんな隙だらけのメルヒオルを、ラズワードは追い討ちをかけるわけでもなく傍観していた。そう、明らかにラズワードの優勢だからである。ラズワードはメルヒオルが立ち上がり再び向かってくるのを、待っているのだ。


「……っくそ!!」


 メルヒオルは立ち上がり、魔術を使いラズワードに接近する。ちぎれた腕からは血が飛び散り、点点と足跡のように床に跡が残っていく。


「おまえっ……ぜってぇ殺す! 後悔しても遅いぞ! おまえの穴が腐るまで犯し尽くしてボロ雑巾になるまで嬲って殺してやる!!」

「そりゃあ堪んないな……どこの穴を犯してくれるって? 目? 鼻? 口? まだ誰にも捧げていない、純潔を散らしてくれるんだろ? その立派なブツでな!!」


 メルヒオルも激痛によってある種の興奮状態に陥っていた。理性は吹っ飛び、目の前の敵を殺すことだけに意識はいっていた。

 お互い、まともな戦略も立てずにただ切りつけ合う。しかしそうなると、体術で勝るラズワードのほうが圧倒的に優勢であった。何度もナイフはメルヒオルの体を引き裂き、その度に破裂する肉体。血は吹き出し、肉は抉れ、骨は飛び出し、メルヒオルは見るも無残な姿へと変わっていく。


「もう終わりかよ……メルヒオル」


 見開いたラズワードの目に、メルヒオルは言いようのない恐怖を感じた。脳が動けと言っても、もう体が言うことをきかない。

 
「は――」


 ラズワードはメルヒオルの腹へナイフを突き刺すと、そのまま手を沈めていった。生暖かい体温、まぐわう内蔵。それを感じた瞬間、ラズワードは笑った。


「あ、ぎゃああああああああああああ!!」


 ビク、とメルヒオルが硬直する。

 ラズワードは中にあった何かをつかみ、そのまま引っ張り出した。ブチブチと何かが千切れる感触とともに、それはメルヒオルの体外へ出ていく。

 白目を向き、泡を吹き、メルヒオルは倒れてしまった。ラズワードはそれを見て、小さく舌打ちをする。手に絡まった臓物を投げ捨てると、痙攣を続けるメルヒオルを踏みつけた。


「……なんだよ、期待はずれだな」


 ちらりと視界に入ったのは、メルヒオルのヴァール・ザーガーであるツイスト・ダガー。ラズワードは床に転がるそれを拾い上げる。

 殺すために作られた、醜悪な武器。今のラズワードには、それがひどく美しく見えた。

 ラズワードはそれに魔力を込め、しゃがみこみ、メルヒオルの胸元に埋めた。そうすれば、刺した部分を中心に、ブクブクと全身が膨れ上がる。やがて爆発し、悪魔は原型をとどめないただの肉片へと成り代わった。

 生臭い臭いと、散らばる肉塊。その中心にしゃがみこみ、ラズワードは静かに目を閉じる。

 自分の存在の定義は、「ハルの奴隷であること」。だからハルの命令は絶対であり、悪魔狩りを命じられたのならば、確実にそれを実行できる手段を取らねばならない。だから、今のように魔力を小出しにしてギリギリまで嬲り殺すなどというのは、許されないのだ。本来ならば、冷静に悪魔を仕留めなければいけないはずだった。

 ドクドクと激しかった心臓の鼓動が薄れていく。今のラズワードの戦い方は、明らかに快楽を追求した戦い方。より相手に接近でき、肉を断つ感触が直に伝わるナイフを武器として選び、敢えて鮮血をかぶるような方法で攻撃する。
 

「……」


 戦いとは、なにか。ラズワードは一瞬その問を自分に投げかけた。ラズワードの本能はこう答えた。

 戦いは、欲求を満たすためのもの――。

 違う、そう思って頭を振ったが、それが自分の回答なのだ。本能から逃げることなどできない。

 
「……は」


 ラズワードは静かに嗤い、立ち上がる。手には悪魔のヴァール・ザーガー。

 血に濡れたシャツの上に上着を羽織るのはためらいを感じ、上着は手に持って、ラズワードは荒城をあとにした。
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