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「……、ラズワード?」

「……っ、……すみま、せん……」



 ひとしずくの涙が、皮切りとなって。ラズワードの瞳からはぼろぼろと大粒の涙がこぼれだした。深いブルーの瞳から雫がこぼれ落ちる様はまるで海をひっくり返したようで、リリィはラズワードの泣き顔に思わず見入ってしまった。

 ラズワードは少女を抱きかかえながら泣くということに頭の端っこの方では抵抗感を覚えていたが、涙を止めることはできなかった。胸が、きりきりと締め付けられるようだった。あまりにも、苦しかった。

 

「……ずっと、……知らないふりをしていたんです。……ずっと……」



 ――ノワールのことをどう思っているの?

 リリィから投げかけられた質問は、ラズワード自身が常に自分に投げかけていたものだった。自分は、ノワールのことをどう思っているのだろう。時折、すべてを投げ出してノワールのことを考えてしまう自分は、おかしいんじゃないか。ノワールと過ごした日々を何度も何度も夢に見てしまう自分は、狂ってしまったのではないか。幾度となく、自分自身に恐れた。自分自身を責めた。ハルに微笑みかけられるたびに、罪悪感に押しつぶされそうになった。

 本当は、知っていたのだ。

 この感情が、この世界のすべてから否定される感情であったから、殺していただけで。



「俺は、……俺、は――……ノワール様のことが、……」



 潮風の中で、漣の煌めきを浴びて、細い彼を抱きしめた――あのときの、心臓が焦げるような切なさ。あの切なさの名を――ラズワードは、知っていた。

 ――その名を、口にしようとしたときだ。



「……ラズワード、!」



 地鳴りと共に、魔獣が現れた。まだ、生き残りがいたらしい。体を動かすことのできないリリィは声を張ることしかできなかったが――ラズワードはその声に反応しようとしない。聞こえているのかも不明だ。瞳に陰を落として、ただただ、泣いている。



「ら、ラズワード……後ろ、……魔獣が出たわ……! 聞こえているの、ラズワード!」

「……」

「ちょっと――……」



 このままでは自分と一緒にラズワードもやられてしまう――リリィは焦ったが、どうすることもできない。迫ってきた魔獣がラズワードに攻撃を仕掛けてきたところで、リリィは思わず目を閉じる。



「――っ、」



 ――しかし、しばらくしても衝撃は襲ってこない。寸でのところでラズワードが防御したのか、と些かほっとしながら目を開けたリリィは、「うっ」と声をあげた。



「うわあ、本当に先輩ここに来てたんですね!」

「あっ……アベル……」



 魔獣の攻撃を塞いだのは、神族のナンバーツーの青年・アベルだった。リリィは助かったと安堵したのと同時に、血の気が引くのを覚える。彼がここにいるということは……確実に、ノワールから命令を受けてきたということだ。アベルの口ぶりからも、ノワールが「リリィが行っているだろうから助けてこい」と命令したのだろう。「行くな」という言いつけを破ってここまで来てしまっていたリリィとすれば、ばつが悪い。



「そこの……ラズワードくんだよね? どした? 戦闘不能?」

「……」

「……? まあ、いいや。今ので最後の魔獣だよね。魔獣討伐ご苦労様。先輩のことは俺が回収していくから、ラズワードくんもさっさと帰るんだよ」



 アベルは攻撃を仕掛けてきた魔獣をあっさりと倒すと、ラズワードの腕からリリィを奪うようにして抱え上げた。ラズワードがなぜ俯いたまま動けずにいるのか――そんなことをわかるはずもないアベルは、困ったような顔をして笑っている。

 

「あ、アベル……待って、まだラズワードと話が終わってない」

「話? 何も話してなかったじゃないすか。それに、時間もないから悪いですけど帰りますよ」

「で、でも……!」



 ラズワードから答えを聞いていないリリィは、その場に留まろうとアベルに抗議した。しかし、アベルはそんなリリィの声を無視して歩き出してしまう。

 

「……リリィ、……待ってください」

「……! ラズワード!」



 アベルが一歩踏み出したところで、ラズワードが掠れた声でリリィを呼び止めた。

 ラズワードのことが気がかりだったリリィは、はじかれたように声をあげて目線だけをラズワードに向ける。



「……リリィ、ひとつ、頼みがあります」



 ラズワードは、ゆっくりと顔をあげた。

 乱れた前髪の下の、ブルーの瞳が、涙に濡れている。その瞳に映っているのが光なのか、闇なのか――それが、リリィにはわからなかった。吸い込まれるように昏いのに、魅入られるほどに美しいのだ。



「……ノワール様に、伝えていただけますか。……会いたい、と」

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