「あら、いらっしゃい。ノワール。ついさっきまで、お客様とお話していたの。入れ違いみたいね」
ノワールはリリィのことが気になりながらも、本来の目的であったロゼのもとへ向かった。ロゼは、特殊な魔術の施された目隠しをされており、そしてすべての服を剥かれ両手両足を拘束されている。ノワールの姿は全く見えないはずなのだが、ロゼは自分の前に立つ人物がノワールであるとすぐに気付いたようだ。
「さっきの子はなんだったのかしら……ノワール、今の子、だあれ?」
「……おまえに教える義務はない」
「ふふ、ケチね」
くすくすと笑うロゼ。ノワールはそんな彼女に、不快感を覚えた。
元は同僚であった彼女。歴代のルージュのなかでも飛び秀でた力を持っており、その力はほぼノワールと同等。彼女の持つ狂気は全ての者が畏怖の念を抱き、魅了される。……ノワールも、かつてはその一人であった。
「……さっき、彼女におまえは何を吹き込んでいた」
「自分は質問に答えないくせに、私に質問するの?」
「死にたいか」
「やだ、怖い。そんなに怒らないでよ。言えばいいんでしょ」
彼女の歪みは、ノワールが誰よりも知っていた。だから、リリィがロゼと会話を交わしたことが恐ろしくて仕方ない。
ノワールは、ロゼの目元に巻かれていた目隠しを、外す。彼女が嘘を言っていないか、瞳を見ることによって判断するためだ。ロゼは目隠しを外されると久しぶりに目に光が入ってきたことによりぼーっと眩しそうに目を細めていたが、やがて嬉しそうににっこりと笑う。
「あんまり長く目を使わないでいたら視覚がだめになっちゃったみたい。でも、影だけは認識できるわ。そこにいるのね、ノワール」
「質問に答えろ。おまえは彼女に何を言った」
「ちょっとくらい私とお話してくれてもいいじゃない。まあ、いいわ。……彼女は聞いてきたの。「ジャバウォックを操るにはどうしたらいいの?って」彼女はルージュ? それともジャバウォックを捕まえようとでもしてる誰か? まあ、どっちでもいいか」
「……ジャバウォックを操る……? それで、おまえはなんて答えた」
「なに? 声が震えたわよ、ノワール。何か恐いのかしら。……私は答えた。「ジャバウォックに全てを捧げなさい」、と。命も、体も、魂もすべて。そうしたらジャバウォックは応えてくれるって」
「……、な」
ロゼの話を聞いた瞬間、ノワールはぞっとしてしまった。慌てて立ち上がって、檻を飛び出す。
――ジャバウォック。至上最凶の魔獣。「ルージュ」を冠する者だけがその所有を認められる特殊な魔獣であり、「ノワール」に与えられるグリフォンと対をなすモノ。しかし、その性質はグリフォンとは全く異なり、自らの繁栄の為に主の殺害を繰り返しているという凶悪な魔獣であった。「ルージュ」となったものが短命である理由はそこにあり、全ての「ルージュ」の死因はジャバウォックに犯されたことによる。
そんなジャバウォックに「全てを捧げる」などと言ったらどうなるのか。もとよりリリィはジャバウォックに見初められており、求められている。……確実に、永遠の苦しみを味わうことになるであろう。死んだあとも、魂を永久にジャバウォックになぶられ続けるのだ。
「リリィ、なんで……」
なぜ、リリィは突然「ジャバウォックを操りたい」などと言ったのだろうか。たしかにノワールはジャバウォックについてリリィに注意を促していたが……それなら、自分に聞いてくれればよかったのに。なぜ、ロゼなんかにきいたんだ。
リリィが何を考えているのかわからない。しかし、一刻も早く止めなければ。
ノワールは走った。冷静など、そこにはなかった。
_221/270