「あの、ノワール様」
二人で魔獣の親玉を探しながら歩く。先ほどのノワールとルージュの会話を聞いていて、ラズワードはノワールが自分に信頼を寄せているということを理解したが、正直それに応えられる自信がない。そもそも、どうしてそこまで彼が自分をそこまで「強い」と思っているのかがわからない。
「俺……たしかに、強くなるようにって思ってがんばって、自分は強くなったと思っていますけど……ノワール様にそこまで評価されるほどだとは、正直」
「……なに、怖気づいてるの?」
「まあ……そんなところです」
「……強者になりたいならまずその臆病を捨てることだね。あと、謙遜なんてものもいらない。自分は強いと絶対的な自信をもて」
そういわれてみればノワールは自分を強いとしっかり認識している……とラズワードは今までの彼の言動を振り返る。「自分が倒せないなら他に倒せる者はいない」なんて、相当自信がなければ言えないことだ。ただ彼はおごっているようには見えない。客観的に自分をそうみている、そんな風である。
「……ラズワード、今更なこというけど」
「……はい」
「俺が、おまえの専属の調教師になるってこと……俺が提案したことなんだ」
「ノワール様が?」
「うん。ラズワードを卑怯な手をつかってでも奴隷として捕らえたのは、レッドフォード家に献上する剣奴が欲しかったから。それ自体は施設の意向だ。君のもつ異常な魔力量に、前々から俺たちは目をつけていた。でも、そこでノワールである俺が調教師になる必要なんてない。そもそも俺は調教師としての仕事はあまり請け負っていない」
「じゃあ、なんで」
「強い、そう言われていたおまえのことは俺も少し気になっていた。……俺は強い人に、焦がれていた。自分を討つことができるくらいに強い人は、この世にいないと諦めていたから。どのくらい強いんだろう、そう思っておまえを捕らえるチームに入って、直接剣を交えてみたいと思った。ほら、奴隷を捕らえるときに俺が直接でてくるなんて例、なかっただろ。それも、あのときは俺がチームに入るように提案したんだ」
ふ、と風がふいてノワールの髪を揺らす。
バガボンドにはいっていたころ、ノワールが自分を捕らえに来たときの話。ラズワードにとってそれは随分と昔のことのように思えたが、ノワールとの出逢いは強烈なインパクトがあったため、今でも鮮明に覚えている。
「バガボンドにいたころのおまえは、まだ魔術の使い方をあまりわかっていなかったし剣術なんて素人のそれだし、まあ、強いとはいえなかった。でも……あの、久々に感じた強烈な魔力の波動と、おまえの目……それをみて確信した。おまえは、誰よりも強くなる」
「……ノワール様が、調教師になったのって、そういう、」
「そう。俺と並ぶかもしれない力を秘めたラズワードが、俺は気になって仕方なかった。……あのね、俺がそこまで強いって思った人、今まで生きてきて一人だけだよ」
一人だけ、その言葉がなぜだかラズワードのなかで何回も響く。
「……俺は、直感とか信じないタイプの人間だ。でもあのときは……なんでかな、……ああ、少し恥ずかしいけど、運命、みたいなものを感じた」
「……運命」
この人にしては随分とロマンチックなことを言うな、なんて思った。実際にノワールもその言葉を使い慣れていないのか、表情こそは変えていないものの、照れたように髪をいじっている。
「……でも、俺とおまえは、一緒にいちゃだめなんだ」
「……、」
「運命って恋愛の場面だけで使う言葉じゃない。けれど、なによりも強い結びつきをもっていると思う。恋でもない、愛でもない、それでも恋よりも愛よりも強くて、……ときには大切にしていたものだって壊してしまうかもしれない。……現に。ラズワードの大切なもの、壊れそうになったから」
「……それは、」
そこからは、ノワールは答えてくれなかった。ラズワードが自分自身で理解していないものだったから。
ノワールの背を見つめながら、ラズワードは思いにふける。恋よりも、愛よりも、強い。今まで、ノワールのことを最優先したことが何回あっただろう。自分でも理解できない行動を、何回とってしまったか。それをノワールは運命だというなら――どうして、いまさら彼はそれを投げ出そうとしているのか。きっかけは、あの車内で自分が発してしまった言葉。大切なものが壊れそうになった――それを、ノワールが悟ってしまったから。
「ノワール様、」
「――ラズワード」
答えを求めるようにラズワードはノワールに呼びかけたが、――彼は、一気に声の調子を変えてラズワードを呼び止める。ぴり、と空気が震えた。はっとしてラズワードがノワールの視線の先をみるとそこには――
「あれ……もしかして」
恐ろしいまでに巨大な魔獣が、飛んできた。アベルと一緒にいたときに退治した魔獣とは、まるでそのオーラが違う。形も、あの魔獣のような歪なものではなく、龍のような形をしていた。黒く、邪悪で、「世界」と形容しても違和感がないほどの強烈な圧。自分たちが蟻のようにすら思えてくる。
「……武器を構えろ」
「はい」
「相手に全神経を集中させて」
「はい!」
集中しろ、そう言われたが――正直、ノワールの様子が気になった。「あの」ノワールが、かすかに緊張しているように見えたのだ。この世界の誰よりも強く、それを自分で自負している彼が――あの魔獣に、わずかな恐怖心を抱いている。それだけで、ラズワードにとってはあの魔獣がとんでもない化物のように思えた。ノワールがまばたきもせずに相手をみつめ、強い魔力の波動に冷や汗を流し――そんな姿、そうそうみれるものではない。
ラズワードは、心を読むための機械――コンコルディアを身に付ける。持っている武器の具合を確認し、そして剣を抜いた。
じり、と音が潰れるような緊張感。神経を研ぎ澄ませ、呼吸のタイミングさえも操って、――
「――くるぞ!」
敵が、仕掛けてきた。魔獣が巨大な魔力弾を二人めがけて撃ってきた。二人はバリアを張りながら、それを避けるべく駆け出す。ノワールとラズワードの間にその魔力弾は入り込んできて、二人はあっさりと引き離される。
「俺が敵の弱点を探るために攻撃していくから、その間は魔力を温存して、逃げ回れ」
「……!」
声の届かない位置にいるはずだが、ノワールの声が聞こえてきた。これがコンコルディアの使用感か、とラズワードはその声を頭のなかで反芻させる。たしかに余計な雑念は入ってこない、普通の会話のように必要なことだけが聞こえてくる。
魔獣は龍のような形をしながらも、いくつもの触手のような手足を持っていた。それらをばたばたとさせながら魔力弾まで放ってくるのだから、避けるだけでも一苦労だ。脚だけで逃げることはもはや不可能で、魔術を使ったバリアで何回も攻撃を防いでいる。すでに、魔力を大量に消費してしまっている。
ラズワードはノワールの様子を伺いながら、攻撃を避けてゆく。ノワールはいつもの戦い方と比べるとだいぶ慎重に動いているように見えた。一撃でもくらえば致命傷になりかねない上に、魔力を無駄遣いすれば後々足りなくなる可能性もある。ノワールの魔力量は際限無いといってもいいくらいのものだが、敵がそれ以上。ノワールは敵が自分よりも強いと判断しながら戦っているのだろう。
「……」
ノワールの戦い方というのが、みえてくる。彼は過酷な状況に陥るほどに、冷静になるタイプだ。コルコンディアからは、ノワールがものすごい勢いで頭を回転させているのがわかった。どこが相手の弱点か、弱点らしきところはあるか、相手の動きからそれは読み取れるか……。しかし、ラズワードはその逆で、そういった状況になると頭に血がのぼって本能で戦ってしまう。あれこれ考えるよりも、直感で剣をふるう。
(こういう戦い方する人に、俺は勝てるのかな……)
「――ラズワード」
「……! はい」
「相手の弱点だけど……粘膜のみえている部分のみ、だ。全身が硬い鱗で覆われていて攻撃が全く通らない。目か口を狙うぞ」
「目か、口」
ノワールが相手の弱点の分析を終えたらしい。相手の大きさから考えると随分と小さなターゲットだ。それに、相手も自分の弱点くらいは理解しているだろうから、遠方から攻撃してもガードされるだろう。
「接近して攻撃しますか」
「そうしたほうがいい」
「でもどうやって」
「……俺のほうが使える魔術の種類が多い。俺が相手の気をひきつけながら、ラズワードのサポートをするから……ラズワードが、いけ」
「……はい」
水の魔術しか使えないラズワードよりは、全ての属性の魔術を使えるノワールのほうがサポートには向いている……というのはわかるが、任されるということにラズワードはプレッシャーを感じてしまった。ラズワードが精神を落ち着けようと深呼吸をしていると、何者かが接近してくる。
「……!」
羽の生えた白い獣。鷲の頭に獅子の体、容姿の特徴からそれが、ノワールの契約獣であるグリフォンであるとラズワードは判断する。
「乗れ」
「えっ」
「……おまえなんかに力を貸すのは癪だが、今はそう言っていられないからな。おまえの足になってやろう」
じろ、とグリフォンがラズワードを睨み上げる。その眼光にラズワードは気圧されそうになったが、おずおずと彼の言葉にしたがって、その背中に乗る。鞍がついているわけでもないその背中の乗り心地はあまり良くなかったが、振り落とされないようになんとかバランスをとる。
グリフォンが遠方のノワールと顔を合わせる。ノワールが「俺の視界に入るように動け」とグリフォンに命じているのが、コンコルディアを通してラズワードには聞こえた。グリフォンはそれに応じるように頷いている。
「……あの、……ノワール様の声聞こえているんですか」
「……あいつの心の声は全て聞こえる。おまえのつけているコンコルディアなんかよりもずっと細かいところまで」
「……全て」
「……私はおまえなんかよりも、ノワールのことを知っているからな。小僧」
わ、とグリフォンの毛が逆立つ。もしかして敵意を持たれているのだろうか……ラズワードはソレを感じて、参ってしまう。
ちらりとノワールをみれば、タイミングを伺うように魔獣をみつめていた。そして、唇が「いけ」と動く。それと同時に、グリフォンは走りだした。
正面からものすごい勢いで風が向かってくる。グリフォンのスピードは、なかなかに早い。目が回りそうになりながらも、ラズワードは必死に敵の動きを目で追う。ノワールが敵の攻撃をひきつけてはいるが、何本もある手の一部はこちらに向かってくる。グリフォンがそれを避けてくれるが、ラズワード自身も魔術を使ってガードしなければ、攻撃はあたってしまう。
ノワールが遠方から、ラズワードのガードのサポート魔術を使ってくる。これがなければ防御力が下がってしまうため、魔力の消費量があがる。サポートをうけるためにはノワールの視界に入らなれければいけないが、次々と放たれる魔獣の攻撃によってそれは定まらない。
移動するのは、グリフォン。しかしグリフォンの移動する方向によってガードの魔術を放つ向きも変わるため、結局はノワールの指示をラズワードも聞かなければいけない。コルコンディアからは、とめどなく方向の指示が流れてきて、ラズワードはそれを聞きながら脳内で術式をたてる、という2つの作業を同時にやることに必死になっていた。あまり頭を使った戦いには慣れていない。ぐるぐると混乱してきて、頭のなかが飽和してゆく。
「……ド、ラズワード! 正面!」
「……ッ」
グリフォンの叫びによって、ラズワードはハッと目を見開く。真正面からものすごい勢いで魔獣の魔力弾がむかってくる。慌てて魔術でバリアをはり、それを防ぐ。
「――後ろ!」
「えっ」
コルコンディアから、ノワールの声が聞こえてきた。ぞわ、と強烈な寒気がラズワードを貫く。今の魔力弾は――フェイク。長い魔獣の手が、回りこむようにしてラズワードとグリフォンに襲いかかってきた。
――早い
ばち、と視界に真っ赤な火花が散るような。強烈な衝撃が、全身を襲う。何が起こったのかもわからず、ラズワードとグリフォンはそのまま地面に叩きつけられた。
全身に強烈な痛みがはしる。あまりの痛さに吐き気すらも覚えてきてしまう。すぐ目の前におちてきたグリフォンは消えてしまって(契約獣は大きなダメージを受けると体を休めるため姿を消す)、ラズワードがひとり取り残された。
(やばい……はやく回復しないと)
治癒魔術をかけて逃げないと、トドメをさされる。そうわかっているのに、痛みのせいで頭が働かず、魔術が使えない。じわ、と血が体から溢れ出て、地面に血が染みこんで、気持ち悪い暖かさが生まれてゆく。さあっと血の気が引いていくのがわかるのに、体は熱い。過呼吸に近いくらいに呼吸は荒くなっていって、意識が遠のいてゆく。コンコルディアも壊れてしまったため、ノワールの声が聞こえない。
もう、だめだ。そう思った。魔獣が魔力弾を放つ音がぼんやりと聞こえてくる。ぐわんぐわんとその音が頭のなかで反響して、気持ち悪い。死ぬ――そう思った時、激しい閃光が視界を奪う。なんとか顔をあげれば――ノワールが、すぐ前にたって自分をかばっていてくれた。攻撃を防いで、ノワールは慌てたように振り向きしゃがみ込む。
「おい、しっかり!」
ノワールがラズワードの手を強く掴む。そうすると、ラズワードの傷が回復していった。しかし、回復したからといってすぐに動けるようにはならない。ラズワードがぼんやりとしていると、ノワールが抱きかかえてきた。そして、おそらく風の魔術――それを使って、一気に遠くまで移動する。
「動けるか、ラズワード」
ノワールの腕のなかで、ラズワードはぼんやりと、心配そうに覗きこんでくる顔を見上げる。もう体は痛くない、しかし、痛みの記憶は鮮明に残っている。それが体を動かそうとしない。
「他に痛むところは? すぐにいくぞ、また敵がくる」
「……無理です」
「え?」
「もう、無理です……」
ラズワードは先ほど感じた強烈な痛みと死の気配におびえていた。今まで戦ってきて、あそこまで体に傷を受け、死に近づいたことはなかった。治癒魔術が使えなくなるほどの痛み、じわじわと死に追いやられていく感覚。あれ以上のものはないのではないかというくらいに、怖かった。体が回復しても、また敵に立ち向かって同じ傷を負うかもしれないと思うと、動けなかったのだ。
「あんなの、勝てない、無理です、死に行くようなものです」
「……簡単に倒せる敵じゃないってことははじめからわかっていたことだ。一回死にかけたくらいで諦めるな」
「……無茶いわないでください……俺はノワール様みたいに強くない、次こそ本当に死ぬかもしれない……!」
「おまえが強くないなら、俺はおまえをパートナーなんかにしてない」
「勝手に期待しただけでしょう! あんな化物に勝てるほど俺は強くない!」
ラズワードが叫ぶと、ノワールがショックを受けたように固まった。その表情に、ラズワードはぎょっとする。
「……じゃあ、俺が今までラズワードのことを欲しいって言っていたのは、俺は一人よがりな妄言だって言いたいの」
「え……」
「おまえが自分の強さを自覚して、俺を殺せるって断言して、俺はそれを信じてきたのに……おまえは俺を騙したっていうのか」
「……、そうじゃ、ない」
「俺はおまえの強さに焦がれていた、それを全部……俺の妄想だって言いたいのか」
ノワールはあんまりにも、悲しそうな顔をしていた。全てを裏切られた、というような。……そうだ、いままでノワールがラズワードを求めてきたのは、ラズワードが強いから。ラズワードがノワールを殺すことができるほどの力を持っていなければ、ノワールはラズワードに執着などしたりしない。ノワールがラズワードのことを強いと判断し、そしてラズワードも自分を強いと自負してきたから、この関係は成り立っていた。それなのにここでラズワードが「自分は強くない」なんて言ったものだから、ノワールがショックを受けるのは当たり前のことだった。
「一度……死にかけた、それだけでおまえが弱いなんて証明にはならない。今のおまえには俺がついていて、俺がついていたからおまえは生きている。俺がついていれば、おまえはあの魔獣にだって勝てる、弱くなんてない」
「それは……ノワール様が強いってことでしょう。俺が強いってことには……」
「俺は弱い人のサポートなんかにつかない。そもそも弱い人をパートナーなんかに選ばない。足手まといになるから」
「俺は……足手まといじゃないって? さっき死にかけてノワール様に迷惑かけたばかりなのに?」
「一度の失態で弱いなんて判断しない。それに、ラズワードにはいてもらわないと困るんだ。俺一人じゃあ、あれには勝てないから」
「自分は強くなんてない」、その発言が、どれほどノワールにとって辛いものであるか……ラズワードはいまさらのように気付いた。今までおまえがすがってきたものが、偶像であったと言っているようなものだから。
――俺は、強い。強くなくてはいけない。強くあることが――この人を、救う。
「いいか――俺とおまえが、この世界にこの時に生きて、そして出逢って……それは、運命だ。この世でたった一人……俺に運命なんてものを信じさせてくれたおまえは……ラズワード、おまえは――立て、戦え、俺と一緒に俺の隣に立って、勝利を掴め! おまえは、強いんだ!」
「……っ」
ラズワードはぐっと唇を噛む。自分は強くなくてはいけない、自分は強い。ノワールの言葉に奮い立たされたように、ラズワードは体を起こす。ここで自分は勝たなくてはいけない、諦めてはいけない。この人の隣に立つことができるのは、自分だけなのだから。
「……戦います。ノワール様……もう、俺は……弱音を吐きません」
「……!」
ノワールが安堵したように笑った。その表情に、ラズワードはぐっと胸が締め付けられるような感覚を覚える。自分が強くあることが、彼にとっては救いであると。そう思い知ったのだ。
「……もう一度、いくぞ。もうグリフォンはしばらくだせないけど……いけるか」
「……いきます。ノワール様、サポートをよろしくお願いします」
「……ああ」
剣は先ほどやられたときに失った。所持している武器は、あとはナイフ数本と銃二丁。十分だ、そう思った。バガボンド時代はずっとナイフとライフルで戦ってきた。剣よりもナイフを扱っていた年月のほうが、長い。それから、コルコンディアもなくしてしまった……が、それもとくに問題ないだろう、と思った。それは、根拠はない。なんとなく、ノワールとならば機械に頼らずとも連携はとれそうな気がしたのだった。
「ラズワード」
「はい」
「……俺にサポート頼めるやつなんて、おまえしかいないからな」
「……はい!」
ふ、とノワールが笑う。少し珍しい表情だと思った。戦闘に興じるタイプではないノワールが、こうした挑発的な笑みを浮かべるのは珍しい。それほどに、ノワールはラズワードが立ち直ったことが嬉しかったのだろう。
グリフォンがいないため先ほどよりもずっと接近するのに時間がかかる。攻撃は全て自分で見定めて、魔力を使ってガードをしなければいけない。できないことではない、ノワールがグリフォンがいなくても攻撃を受けずにいられたのだから。
「くるぞ!」
「――はい!」
二人が接近すると、魔獣が攻撃を放ってきた。やはりちょうど真ん中を狙ってくるため、それを避けるのに引き離されてしまう。
「そのまま敵にむかえ!」
ノワールの叫びが聞こえ、ラズワードは走りだした。ノワールのサポートが届くのは、彼の視界に入る範囲。彼との距離と、魔獣の攻撃の位置を考えて動かなければいけない。ノワールの言葉は「おまえがどう動いても俺がなんとかする」という意味が含まれているのだろうが、ある程度はこちらもノワールを意識して動かなければいけないだろう。
――あの攻撃がきたらノワール様はどう避ける? 避けたときに俺はノワール様の視界のどの位置にいる? 俺を追ってノワール様はどう動く?
走りながら、魔獣の攻撃を避けながら、ラズワードは必死にノワールの行動パターンを予測した。ノワールは自分の力に十分な自信を持っているため積極的に前に進むだろう。しかし、好戦的な性格ではないから無茶なことは決してしない。ノワールにとって「いける」且つ「無茶でない」範囲は一体どこか。さらに常に冷静に最善策を練っている彼はその状況のなかで最も良い行動をとる。たくさんのあり得る行動パターンから、彼の性格で動きを予想して、自分の行くべき場所も定めていく。何度も彼と剣を交えたからこそできること。ラズワードにとってここまで頭を使って戦うというのは初めてだった。
目の前に、ものすごい勢いで魔獣の手が迫ってくる。ノワールのサポートの届く範囲は、――見定め、そこに向かって移動し魔術を使ってガードをする。そうすれば次はまた別方向から。この位置からだと、どう動けば――
考えて、読んで、半分賭けの状態でラズワードは突き進んでいった。ノワールの行動を読み誤れば致命傷を受けることになる。しかし今のところ間違いはない。ラズワードが読みを正確にしているというのもあるが、逆にラズワードの行動をノワールが読んでいるためでもある。ラズワードが自分の動きをどう予測するかを、ノワールが予測して行動する。お互いの思考の読み合いが、奇跡的に噛み合っているのだ。
グリフォンといたときよりも魔獣に近付くことができている。グリフォンの場合は、ノワールの心をしっかり読んで、それから行動するためわずかに遅くなるのだ。ラズワードの場合はこちらでノワールの行動を予測して勝手に行動するため、少しだけ早い。
「……!」
魔獣のすぐ側までなんとか近寄ることができた。ここからはノワールのサポートの魔術が、防御用のものから攻撃用のものに切り替わるだろう。ちらりと後ろをみればノワールも魔獣の側までやってきている。ただ、ノワールはおそらく直接攻撃はしない。ラズワードとノワールで二人で攻撃するよりも、ノワールがラズワードをサポートして攻撃したほうが威力が高いからだ。
「ラズワード、きこえるか!」
「……はい!」
「ここまでくれば相手の攻撃は少なくなる! おまえにむかってくる攻撃も俺が撃ち落とすから、おまえは攻撃することに集中しろ!」
「はい!」
側までくれば、自分にあたることを防ぐために魔獣は攻撃の量を減らしてくる。手による攻撃も、届かない。ノワールに、自分だけではなくラズワードへの攻撃も防ぐ余裕ができたのだろう。だからここからは、すべての魔力を攻撃に注ぐ。
「……っ!」
目の前に、大きな魔力弾。ラズワードは既に手に持ったナイフに大量の魔力を込めていた。攻撃用に溜めた魔力だが、ここで魔力弾をガードするのに使ってしまうか……一瞬悩んだが、ラズワードはそのままガードをせずに突き進む。
「ラズワード!」
脇からノワールが魔術を放ってくる。ラズワードへ向かってきた魔力弾を撃ち落とし、ラズワードの進路をつくりだす。大丈夫、ノワールは確実に攻撃を防いでくれる。ラズワードはそう確信して、ガードの魔術を使わない。
ナイフに込めた魔力はほぼ最大の量。距離は十分つめた。これを放って、それが命中すれば――
「いけ……!」
――勝ちだ。
ラズワードが放った攻撃は、まっすぐに魔獣の弱点である顔面へ向かう。魔獣はそれから身を守るべく魔力弾を放つが、ノワールがそれを撃破する。次に身体をそらして避けようとするが……今度はノワールがサポートの魔術でラズワードの攻撃の軌道を変える。
当たるか――息を呑んで、ラズワードは自分の放った攻撃の行方を見守った。
「――っ」
結果は――勝利。ラズワードの攻撃は魔獣の弱点に命中し、魔獣は悲鳴をあげながら倒れていった。
砂煙がまきあがる。ラズワードの放った氷が光っている。魔物の長い手足のせいで行く手を阻まれているが、なんとかラズワードはノワールのもとにたどり着いて叫ぶ。
「た、倒せましたか!?」
「……ああ、死んでるな」
ノワールは少し疲労したように息をきらしていたが、笑ってくれた。
「ノワール様のサポート魔術、すごいですね、なんですかあれは! 軌道の調整までできるんですか?」
「火と水の魔術を合わせて使って気圧を変えている。ラズワードには火の魔術が使えないから教えられないかな」
「え……そんな」
「……まあ、本当にがんばったのはラズワードだから。おまえがいなかったら勝てなかったよ」
ノワールが手を差し出してきて、握手を求めてくる。ラズワードがそれに応じると、ノワールが苦笑しながら言った。
「……髪に氷ついてる」
指摘されて、ラズワードが自分の頭をはたくと、きらきらと細かな氷の粒が落ちてゆく。ノワールはその様子を、どこか眩しそうに見つめていた。
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