「起きろ……おい、小娘」
は、とリリィは目を覚ました。目の前に広がるのは真っ暗な世界。ついさっき自分はベッドに入って寝たはずなのに……とわけがわからなくなっておろおろとしていると、一匹の獣が近づいてくる。
「……グリフォン」
それは、ノワールの契約獣・グリフォンだった。ほとんど話したことのないグリフォンにせまられて、リリィはずりずりと後ずさる。
「……ここ、どこ?」
「おまえの精神のなかだ」
「……どうやって入ってきたの」
「私は特別な聖獣だからな。ノワールから抜けておまえのなかに入ることくらい、難しいことではない」
じゃあなんで私のなかに入ってくるの、そう言おうとしてリリィは口を噤んだ。先ほどノワールと話しているときに感じた、グリフォンの怒りの波長……それが関係しているに違いない。そう思ったのだ。
「……今日、ノワールに何があったの? なんで貴方はあんなに……」
「……リリィ。おまえは、ノワールを愛しているか」
「えっ?」
「答えろ」
「……うん。……結ばれたいとか、そんなことは思っていないけど……愛してるよ」
なぜそんなことを聞くのか……リリィが怪訝な視線をグリフォンに向けると、グリフォンは舌打ちをする。何かを思い出したように忌々しげに。
「……今、ノワールは……生きることを辛いと、死にたいと思うほどに苦しんでいる」
「……うん」
「おまえは……それでも、ノワールに生きていて欲しいと思うか」
「……あたりまえよ。どんなに苦しくても……生きて欲しい。そんなに苦しいなら……私が救って、生きたいって彼に思わせたい……私に、そんな力はないかもしれないけれど……」
「……それが、普通だよな」
グリフォンはため息をつくと、リリィに擦り寄ってきた。グリフォンは滅多に人に懐くことはなく、ノワール以外の人間は見下し、突っぱねる。こうして甘えるような仕草をしてくるなんて、グリフォンも相当悩んでいることがあるのだと……リリィはギクリとしてしまう。
「アイツは……アイツは、それなら死んで欲しいと……自分が殺してやると言ったんだ」
「え……?」
「ノワールはもう、そいつに依存しっぱなしだ。溺れるようにそいつに夢中になって、……見てられない。アイツといるせいで、ノワールのなかの死への願いが強まってゆく」
震えるような声でグリフォンが言う。それを聞いたリリィは、信じられないといった顔をした。
「え? あの、その……アイツって……その人は、なんでノワールのことを殺すなんて言うの? 嫌いなわけじゃないんだよね?」
「そいつもまた……ノワールのことを愛してる。おまえと同じようにな」
「……同じ?」
すうっとリリィの声が冷えていった。グリフォンはちらりと視線をあげて、リリィの表情を伺う。いつも、どこか淋しげな表情をしている彼女とはまるで違うーー冷たい怒りに満ちた瞳に、些かグリフォンは驚いた。
「同じなわけないでしょう……愛している人に死んでほしいなんて、願えるものじゃないわ。ノワールはその人といて、死にたいって想いを強めてしまっているの? そんな歪んだ愛をもった人のせいで……ノワールは、さらに苦しんでいるというの? 死んだ方が楽なんて、きっとノワールは思うでしょうけど、それでも生きたいって思わせたいって思うのが……好きってことじゃないの?」
「……っ」
「……誰、その人。ノワールをこれ以上苦しめるなら……私、許さない」
彼女に言って、正解だったとグリフォンは思った。自分とリリィのノワールへの想いはほぼ一緒だと、そう感じていた。愛するからこそ、生きていてほしい。だから……ノワールを愛しながも死へ引きずりこもうとするなんて……許せない。
「ラズワード・ベル・ワイルディング。以前この施設で奴隷候補として、ノワールが調教していた青年だ。現在は……」
「レッドフォードの付き人ね。……知ってるわ、会ったことがある」
パーティーでラズワードと会ったときのことを思い出して、リリィは苦虫を噛み潰したような顔をした。ノワールのことを、ただの調教師と調教される奴隷の関係では片付かないような……そんな表情で話していた。結局彼がノワールをどう思っているのか、明確な答えを聞くことはできなかったが……ああ、そうか、愛していたのか。
「……あの人がノワールが生きていく希望を邪魔するなら……私は、」
チリ、と空気が歪む。精神世界のなか、リリィの心の揺れがその空気に直結してしまっているのだろう。グリフォンはリリィから感じる――「普通」ではない魔力の波動に目を眇める。
「私は、ラズワードを殺すわ」
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