「あ……ノワール、おかえりなさい」
自室の扉の前で、ノワールは偶然リリィと鉢合わせた。無垢なくりくりとした瞳で見つめられて、ノワールは思わず目を逸らしてしまう。
「今日……すごく激しい雨降っていたよね。大丈夫だった?」
「……ああ、うん。近くにあった建物で雨宿りしていたから、そんなに濡れずにすんだよ」
「そう、よかった」
にこ、と安心したようにリリィは笑う。あまりにも純粋な好意。それをひしひしと感じて、ノワールはいたたまれなくなった。
君はこんな穢い人間を想ってはいけない――見ないでくれ。
「あれ……ノワール、」
ふと、リリィが不思議そうな顔をしてノワールに近付く。そして、しげしげと顔を見つめた。ここまで彼女がまっすぐに自分をみてくることはあまりなかったため、ノワールは参ってしまいそうになる。
「……グリフォンが怒っているわ」
「え……」
「グリフォンの魔力の波長が……揺れている。なにかあったの?」
一瞬、彼女は何を言っているのかと思って、ノワールは息を呑んだ。しかし、リリィが適当なことを言っているとは思えない。彼女は召喚魔術を得意としており、聖獣――つまりグリフォンについて見当違いなことを言うとは考えられないのだ。
「……べつに、何もないよ」
「……なら、いいけど……」
リリィの瞳が心配そうに揺れる。グリフォンになにかあったということは、ノワールの身になにかあったこと――だが、その本人であるノワールがなぜグリフォンが憤っているのか、わからなかった。
「……もう、遅いね。また明日。おやすみリリィ」
「……おやすみ」
ノワールは逃げるようにして部屋に入っていってしまった。その背中が頼りなさげで、リリィの心が揺れる。
グリフォンと契約しているノワール本人が、グリフォンの怒りに気づけなかったのは、リリィの力が特別優れているからではなく……ノワールがあまりにも、心を塞ぎこんでしまっていたから。瞳に闇を灯した、彼の様子……それに、リリィは微かに気付いてしまっていた。
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