「……」
シャワーを浴び終えれば、必然的にこういうことになる……ダブルベッドの上に隣り合って二人で座る。しかも服は雨に濡れてしまったため乾かしていて、バスローブを着ることになるし……
「の、ノワール様」
「ん、」
「何をしているんですか?」
「ああ……書類の整理」
黙っていたらなんだか気まずい。この雰囲気はなんかヤバイ。一人焦ってしまって適当に話しかけてみれば、一瞬で会話は終わる。
意識しているのは自分だけなのか……ラズワードはチラチラと横目でノワールの様子を伺う。こんな場所でこんな格好で、抱かれたことのある相手と一緒にいるのだから仕方のないことだ。すました顔で書類を見つめているノワールの横顔に、あの頃の彼を重ねてみる。こんな顔してセックスは激しいしサディストだし……
「……ラズワード?」
だめだ。緊張してどんどん体がかたくなっていって疲れてしまう。ラズワードはベッドに倒れるように横になった。
ノワールに背を向けるようにして目を閉じる。早く雨がやまないだろうか、ここを早く出たい。さっさと夢の世界へいってしまえば時も早くすぎるだろう……
「ラズワード」
「……はい?」
心が落ち着かない。妙にそわそわとしてしまう自分に違和感を覚える。彼に名前を呼ばれて心臓が跳ねてしまったのは、ただ単に驚いただけなのだと信じたい。
「俺のこと、意識しているでしょ」
「……は」
振り向いてノワールの表情を伺えば、彼は意地悪そうに微笑んでいた。ゾクゾクとわけのわからない感覚が全身を貫いた。なにかが危ない気がして体を起こし逃げようとすれば、手首を掴まれ、それはかなわない。
「さっきから落ち着かない様子だけど」
「……な、にを……だ、誰だってこんな状況になればそわそわしちゃいますよ……それに、俺は付き合っている人もいるんですから……」
「そう? 雰囲気に飲まれているだけ? ……じゃあ、拒んでみてよ」
「え……」
ノワールがラズワードに馬乗りになり、ラズワードの手首をシーツに押し付けて縫い付ける。驚きと何故かこみ上げてくる熱で言葉もでてこないラズワードは、ただ自分を見下ろす黒い瞳に釘付けになっていた。ドクドクと心音が高なっていき、視界がちかちかと白み始める。
「……今日だけでいいから……ラズワード、君のこと、抱かせて」
「あっ……」
頭が真っ白になって固まっている間に、唇を奪われてしまった。拒まねば、押しのけねば……ラズワードは頭のなかで何度もノワールを拒絶したが、身体が動かない。もちろん魔術を使われているというわけではない……久しぶりに感じた彼の熱に、たしかに欲情してしまったのである。
「まって、……ノワールさま、だめ……」
「嫌なら俺をはねのけてみてよ。できるでしょ、ラズワード……君は非力ではないはずだ」
「ちょ……!」
ぐ、とバスローブを開かれて、ラズワードはたじろいだ。わかってる、だめだ、ここで彼に抱かれては絶対にいけない。それなのに、頭がくらくらとして体に命令を出せない。苦手だ、この人の顔も声も体もすべて……理性を破壊してしまう。ちゃんと好きな人はいるのに、この人に近づかれるとわっと身体の内側から熱がこみあげてきてどうしようもなくなってしまう。
じっとその黒い瞳に見つめられて、息が荒くなってくる、心拍数が高まってくる。
だめだ、だめだだめだ、自分にはハルがいる……
「ラズワードは……俺の声がダメなんだっけ?」
「ひっ……」
ぐ、とノワールがラズワードの耳元に唇を近付け、囁く。低めで上品な声。施設にいたときに、この声で毎日のように責められたせいで、耳が性感帯になってしまったのだ……久々に本人に耳を責められてカッと体中に熱が湧き上がってくる。
「おまえは、俺の声で命令されると、どんな淫らなものでも従ったね」
「や、ほんと……やめて、ください……!」
「やめてほしい? どうして? 逆らえないと思うから、かな?」
「ノワールさま……だめ、おねがい……ゆるして、ください……」
「……随分と可愛いこと言うんだな」
この淫らな身体をつくりあげた張本人。ラズワードの元調教師。ラズワードの全てを知り尽くしたノワールは、自分のどこがラズワードにとって魅力的なのかもわかっていた。ラズワードはノワールの声に弱い、瞳に弱い、少しサディスティックな言葉に弱い。それらを理解していたノワールは、わざとそれを使ってラズワードを責めてたてる。
「あっ……! ノワールさま、だめ……! 耳……あ、ふ、ぁあ……ッ、なめない、で……」
「感じてるくせに……好きだろ、こうされるの」
「ひゃ、……う……! そこで、ささやかないで……やだ、あ、ぁあっ」
ノワールの様子がおかしい、それはカフェで話したときから感じていた。異常に思い詰めたような、陰鬱とした表情。ノワールがこうした行動にでるときは、自分という存在を否定したくなったとき……それを、ラズワードは知っていた。ノワールはラズワードに「自分の死」を写し見ているから。
きっと、今ノワールは苦しんでいるのだろう。彼を救いたいと心から願うラズワードは、そんなノワールに手を差し伸べたい……とは思っている。が、それとこれとは別である。恋人がいる身で、この身体を抱かれるわけにはいかない。たとえ、ノワールが自分を抱くことで心が落ち着くのだとしても、だ。
ラズワードだってそこまで性にだらしなくない。貞淑にいきたい。……それなのに。心では、そう思っているのに。
「あぁっ……!」
身体が、いうことをきかない。
耳孔に舌を捩じ込まれて、ラズワードは肩を強ばらせた。ノワールの吐息が嫌というほどに聞こえてくる。頭の中がその音でいっぱいになって、それだけで全身が支配されたような心地になった。
息も絶え絶えに、ラズワードは縋りつくようにノワールの背を掻く。掴んだ瞬間に、微かに笑う声が聞こえて、もうだめだ、と思った。完全に下された。理性が、ノワールによって粉々に壊された。
「あっ……」
顎を掴まれる。そして、ノワールは体を起こしてラズワードを見下ろした。「言うこときけよ」そんな目で見つめられて、ゾクゾクして、それだけでイッてしまいそうになる。逆らえない。ノワールの前になると何をされてもいいという気持ちになってしまう自分が恨めしくも、狂おしい。
「だめ……ノワールさま、だめ……」
「大丈夫……誰にも言わない」
「でも、」
「俺のことだけ考えて」
「……っ、だめ、俺は、」
「……ラズワードがだめって言っても」
ぐ、と顔の距離を狭められる。目をそらせない。深い闇の色をした瞳に、吸い込まれそうになる。
「……俺とセックスすれば、俺のことしか考えられなくなる」
「……ッ、」
危険だ――本能でそう思った。本当に、この人に心を支配されてしまう……今までにノワールに抱かれた記憶から、ラズワードはそれを悟る。ノワールはラズワードの感じるところを知り尽くしている――それこそ、ハル以上に。心がどこを見ていようが、ノワールに抱かれれば、彼のことで頭がいっぱいになってしまうだろう。だから、抱かれるわけにはいかない。抱かれるわけには……
「あ、あっ……!」
ノワールは逃げようとするラズワードの背を抱いて、胸に唇を這わせた。乳首の根元から口に含み、吸い上げる。
「あっ……そこ、……だ、め……!」
たまらずラズワードは仰け反って叫ぶ。ほんの少し胸を弄られただけなのに、イッてしまいそうになった。腰が砕けて、へろへろと力が入らない。つま先だけが虚しくシーツを掻いて、ノワールの責めからは逃げられない。
「あっ……うそ、まって……とめて、ノワールさま、だめ、」
じわ、と絶頂の直前にやってくる感覚が生まれ出る。まだ少し胸を触られただけだというのに。ノワールに触られたというだけで……この身体はこんなにも狂ってしまうのか。自分の身体の変化が信じられなくて、ラズワードは狼狽えながら……
「だめ、や、……あ、いっちゃ、……いっちゃう、いく、ノワールさま……あっ――」
イくことしか、できなかった。
あっさりとイッてしまって、ラズワードはもう、抵抗する気が失せてしまった。はじめから無理だったんだ、この人に見つめられて、この人を拒むなんて。この身体は……ノワールには逆らえない。
はーはーと息を吐きながら、虚ろな目でくたりとしているラズワードを、ノワールは冷たく見下ろした。さあこれからどうしてやろうという、嗜虐に濡れた瞳だ。
「悪くないだろ? もっと気持ちよくしてあげる」
「……や……も、ゆるして……」
「そんなに嫌がらないでよ……余計に燃える」
ノワールがラズワードの体を纏う布を全部はぎとった。つんと存在を主張している乳首、すっかりたちあがって先走りの溢れるもの……言葉とは裏腹に快楽に支配されきっているその体をみて、ノワールは口元だけで嗤ってみせた。もっと開いてやる、そんな狙いを定めた獣のような瞳に、じんとラズワードの身体が熱をもつ。
「んッ……」
ノワールがラズワードの身体を抱きしめるようにして覆いかぶさってくる。香水と彼の体臭が混ざった独特の匂いに、くらくらした。この匂いだけでイッてしまうんじゃないかと思うくらい。
「口……あけて」
「……や、」
「あけて」
「……っ」
「……いい子だ」
その眼差しが、拒むことをゆるさない。ラズワードが観念したように唇を薄くひらくと、ノワールがそこに噛み付くようにキスをしてきた。それだけで、身体が仰け反ってしまう。全身を押さえつけられて、舌で咥内を弄られ……頭のなかが、蕩けてしまう。
「んんっ……んー……ん、」
後頭部を掴まれて、キスが深められてゆく。なんて熱いキスなんだろう。普段冷静でポーカーフェイスの彼にそんなキスをされると、そのギャップにどきどきしてしまう。あんまりにも気持ち良くて、ラズワードは咥内を弄るその舌に、自然と自分のもの絡ませてしまった。
(ああ……今、俺……ノワールさまとキスしてる……)
もう、こうなっては「無理矢理された」なんて言い訳はきかない。同意したも同然だ。押し寄せる後悔と、これから待っている快楽への期待。相反する気持ちがせめぎ合って、よけいに興奮する。
(あっ、ノワールさま……そこ、舌先で、触って……ああ、触ってくれた、……すごい、ノワールさま、俺の身体のこと……本当に全部わかってる……)
キスはもちろん、して欲しい、そう思ったことをノワールはラズワードのわずかな動きから汲み取ってやってくれる。そのせいで、久々のセックスなのにまるで長年の恋人のようにぴったりと凹凸がはまるような、全てが満たされるようなセックスだった。とにかく、気持ち良い。最高に、イイ。
「あっ……ノワールさま……そこ、だめっ……」
「ここ? ここがいいんだね」
「ふ、ぁッ……! いっちゃう……ノワールさま……」
「ラズワードはイきやすいね……ああ、俺のせいか。俺がこんな身体にしちゃったんだもんね?」
「ぁ、ん……ノワールさまぁ……」
目を閉じて、快楽に堕ちていった。もう這い上がれない。もっともっと、深く、熱い闇の中へどこまでも堕ちてゆくことしかできない。
イケナイこと。ワルイ戯(あそ)び。罪の意識が心を燃え上がらせて、彼を求めてしまう。
ラズワードは決して、誰にでも身体を開くというわけではない。……ノワールだから。なぜかノワールにだけは、身体が従順に反応してしまうのだ。わからない。黒髪の隙間から覗く、ゾクゾクとするほどに陰鬱な闇を孕んだ瞳。それに見つめられると、なにをされてもいいという気持ちになってしまう。
「……挿れるよ」
「のわーる、さま……あっ……」
ああ、嬉しい。彼と一つになれることが、たまらなく嬉しい。ノワールに脚を掴まれて、大きく開かれて。冷たい目で見下ろされながら挿入されると、それだけでイってしまった。身体も心も征服されている、逆らえない。もっともっと、おかしくして。狂わせて。ノワールの闇に閉じ込められて窒息してしまいたい。
「すごい締め付けだね。感じてくれてるんだ?」
「……はい、」
「はは……可愛いね」
「やめ、て……言わないで……」
「事実だ……俺の下でよがっているラズワード……最高に可愛いよ。もっとどうにかしてやりたくなる……めちゃくちゃにイキ狂わせてあげるから……ついてきてね」
「……っ、ノワール、さま、……だめ……俺、そんなの……」
「……また、ぎゅって締め付けてきた。期待してるんだね……可愛い」
ギシギシとベッドが軋む。一度突かれるたびに、大きく身体が跳ねてイってしまった。異常だと思う。ここまで感じるなんて、いままではなかった。断続的にイき続け、意識が飛んでしまいそうになる。
「あぁああ……! ノワールさま!ノワールさま……!」
「……ラズワード……ほら、もっと鳴け」
「んっ、……あぁあああ!」
きつく手首を掴まれ、激しく突かれた。あまりに強い快楽に、頭の中は真っ白。逃げようという気すら起きなくて、ただされるがままに突かれるしかない。身体が自分の支配から逃れたように勝手にビクビクと跳ねて怖くなる。このまま死んでしまうのではないかと思うくらいに、感じてしまう。
「も……たすけ、……あっ、……」
「もう限界なの?」
「しんじゃ……う……ゆる、して……」
強すぎる快楽のせいか、苦しさすらも感じてしまう。泣きながら許しを請うたラズワードをノワールは冷たく見下ろした。そんな彼の表情をみてまたイって。これ以上この行為を続けられたら、壊れてしまう……本能的にそう思った。
「まだ俺イってないんだけど」
「あ……」
「欲しくない? 俺の……なかに、注いで欲しくない?」
「あぁ……」
耳元で囁かれる。ゾクゾクした。全部、見抜かれている。自分が彼に抱かれることに悦びを感じていると……。全てを支配されているような感じがした。逆らってはいけないのだと、そう思った。ラズワードはぼんやりとする意識のなか、ぽっと浮かんだ言葉を言う。
「くだ……さい……ノワールさま、の……おれの、なか……いっぱい……」
ノワールの瞳がすうっと細められた。ノワールはラズワードの頬をつうっと撫で、息のかかる距離で囁く。
「……いい子」
「……あ、」
……もう、だめだ。
ラズワードの中で全てが壊れた。自分の頬を撫でるノワールの手に、自らのものを重ねて……朧気に返事をする。
「……めちゃくちゃに……して、ください」
は、とノワールの唇から嗜虐に満ちた吐息が吐かれた。この人にぐちゃぐちゃにされたい、おかしくしてほしい。狂ったような願望がふつふつと湧き上がる。
そこからの意識は半分飛んでいただろう。乱暴と言ってもいいくらいに激しいノワールの律動に、ラズワードは悶え、よがり、ぐちゃぐちゃになってイキ狂った。途中からは声もでなくなって、パクパクと唇を動かすことしかできなくなった。
「ぁ……ッ、は……、……ッ、ぁ、あ!」
ぐ、と腰を強く押し込まれて、「ああ、出される」と思った。なかで少しだけ震えたその感覚に、全身が歓びに燃え上がる。無意識にノワールの背を掻き抱いて、全部受け止めたいという本能に抗えなかった。
「あ……、」
その瞬間、がくんと目の前が真っ暗になった。ぎりぎりで保っていた意識が、行為の終了とともに……飛んでしまったのだった。
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