3
「空気が悪くなってきたな……そろそろ近いぞ」


 ハルとラズワードの二人は、目的地に到着した。そこにははどんよりとした空気が漂い、青かった空もどこか暗く感じる。魔獣が多く溜まる場所に多い現象だ。いつターゲットが現れてもおかしくない状況に、二人は周囲に注意を向ける。


「……そうだ、ラズワード、プロフェットは剣の形のもので大丈夫? 一番オーソドックスだからこれでいいかなと思ったんだけど」

「ええ、大丈夫です。ありがとうございます。……これの魔力投影率はどのくらいですか?」

「ああ、えーとなんだったかな。昔手に入れたものだしあんまり使っていないから確かじゃないけど、70くらいあった気がするな」

「わかりました」


 ラズワードはハルから剣を受け取る。そしてハルから少し離れると、剣の感触に慣れるためか、軽く素振りをした。

 その後ろ姿をハルは見つめる。朝着ていた青いシャツだけでは流石に寒いだろうから上着も着せたが、その上からでも彼の体の華奢さが見てとれる。

 本当に大丈夫だろうか。

 戦うには適していないと思われる細い体を見ているうちに、ハルは心配になってきた。そもそも水魔術は戦闘に向いていないとハルは聞いていたため、余計に不安が煽られる。


「!」


 どこからか、獣の呻き声のようなものが聞こえた。目を凝らして前方を見れば、大きな体をした赤黒い獣の群れがこちらへ向かってきている。


「……久々に見ました、シュタールは」

「……あ、そういえばおまえは魔獣狩りをしていたんだっけ? シュタールも狩っていたことがあるのか?」

「ええ、あれよりも少しサイズの小さな亜種ですけれど。懐かしいですね、あの時は一緒に戦ってくれる人がいたから……」

「……!」


 ラズワードは目には見えない記憶を見ているように、そしてそれを懐かしむように、微かに微笑んだ。それを見て、ハルは何かとてつもなく重い衝撃を胸に受けたような気がした。呼吸すらも忘れて、その痛みをどうにかしようと頭を落ち着かせようと思ったが、うまくいかない。バクバクと鼓動が大きくなって、このままでは破裂してしまう――その寸前、ブンと剣が空気を裂く音でハルは我に返る。


「……っ!!」

「きます、ハル様もどうかお気を付けて」


 一匹の獣が吠える。すると、獣たちが一斉に走って向かってきた。


「……ラズワード!」


 獣が近づくに連れて、シュタールの禍々しさが増していくような気がした。遠くから見ればそうでもなかったが、実際のところ人のふたまわりほどもある巨大な獣で、それが群れで襲いかかってくる光景は圧巻である。その巨大な獣の集団に対してラズワードの背中の頼りなさ。もし一匹にでものしかかられたりしたら、全身の骨が粉々に砕け散るのではないかとすら思ってしまう。

 やっぱり無理だ。

 ハルはすぐさまラズワードの前に立とうと駆け出した。腰に差した短剣の柄に手をかけ、それを抜こうとしたが、その前にそれは起きる。

 ラズワードが、静かに剣先を獣たちに向けた。


「……?」


 そして次の瞬間、獣たちの姿がノイズがかかったようにブレた。それは一瞬の事で、ハルは一体なにが起こったのかと目をこすってみたりしたが、なにも変わらない。しかしよくよく見てみれば、獣達の様子がどこかおかしい。こちらへ真っ直ぐに向かってきていた獣達は、何故か同じ所をぐるぐると回りだしたり、地面の匂いを嗅いだりしている。

 
「……あいつら、どうしたんだ……?」

「視覚操作の精神魔術です」

「……せいしん、魔術?」


 ラズワードが獣達を見たままハルの言葉に応える。ハルはラズワードが発した聞きなれない魔術にオウム返しをするしかなかった。


「大気中の微量な水分を通して、俺の魔力をアレらに送り込むんです。そうして、脳を操作する魔術をかけることによって、アレらの視覚に異常をきたす。水魔術のひとつです」

「……?」


 水魔術は治癒しかできないと思っていたハルにとって、ラズワードの言っている魔術は全くの未知のものであった。なんとか理解しようと考えているハルの視界に、なにか光のようなものが飛び込んでくる。ハルはそれが何か考えて、ハッと短剣を抜いた。


「ラズワード! 魔力放出だ、よけろ!」


 こちらの居場所がわからない獣の一匹ががむしゃらに撃ったのであろう、魔力の塊が向かってきたのである。ハルは魔術をぶつけてそれを相殺しようとしたが、それもまた、ラズワードの動きによって阻まれた。

 ラズワードは逃げようともせずに、魔力の塊に剣を向ける。


「おいっ……!!」


 魔力は、そのまま剣先にぶつかった。そしてそのまま柄まで向かっていき、ラズワードの手まで到達しそうになる。しかし、ラズワードが僅か腕をひねり、そして振るうと、それに沿って魔力の塊は違う方向へ飛んでいってしまった。


「な……」

「自分の魔力を使わずに魔術を受け流す方法です。タイミングをしっかりしないと自爆しますけどね。魔力投影率が高い武器でのみ可能だそうです」

「……そうです、って……」

「ノワール様が言っていました」

「え……」


 突然ラズワードの口からでた名前を、ハルはすぐに飲み込めなかった。この流れでその名前がでてくるとは思わなかったためか、それとも彼の口からその名前がでてきたのを認めたくなかったのか……。いつぞやの不快感がまた蘇る。

 今、こちらに背を向けるラズワードはどんな表情をしているのだろう。

 そんなどうでもいいことが気になり出す。


「ラズワード……」


 ハルの唇から、彼の名が漏れる。ハル自身、無意識だったのだろう。自分の口から勝手に声がでていて、ハルは驚いた。

 こっちを向いてくれ。あいつのことは忘れろよ。あんな顔、もう俺に見せるな。

 おぞましい感情が、心を満たす。

 なんだ、これは。うるさい……、気持ち悪い……。不快だ、……すごく不快だ。

 ヒュ、と剣が風を切る音がした。顔を上げれば、ラズワードの真っ直ぐな背中。少し錆びた剣が、彼の魔力を纏い仄かな光をおびている。

 ラズワードの剣が通ったあとに、青白い光がわずかに残っていた。それは瞬く間に強みを増して、激しい閃光を散らし始める。


「……あれは……」


 チラチラと空の光を浴びて輝いているのは……氷の粒。ぼんやりとその光の粒を見ていれば、冷たな音がして、地面から氷が生えてくる。それはみるみるうちに増えていき、真っ直ぐに獣たちに向かっていった。


「……」

 
 獣たちの体を貫く氷の刃。血を帯びなおも光を受けてきらきらと光っている。彼を中心に広がる氷の柱。美しいそれは、彼の魔力から紡ぎ出されている。


「……眩しい……」


 空から覗く太陽の光を反射する氷が、目に辛い。目が眩むような光を背に、ラズワードは振り返る。

 ……綺麗だ。

 今、目の前に広がる景色がすべて。

 氷の柱。きらきらと舞う氷の粒。そして、それを支配している彼が。


「……ハル様」


 不安げにラズワードがハルを呼ぶ。


「あの……今の感じで大丈夫ですか? 心臓はとらなくてもいいんですよね?」

「あ……ああ」


 ラズワードがハルの方へ歩み寄る。それが視覚で確認出来た時、ハルは思わず後ずさりをした。

 なんだ、なんなんだこれは。

 ハルは胸のなかで蠢く何かに、吐き気を覚えた。今まで心が無駄に動かないように余計な感情を抱えることを避けてきたハルにとって、今の状況はおぞましいものだった。感情が暴れ狂っている。止め方が、わからない。


「……ハル様?」

「……あ」

「具合、悪いんですか? 顔色が優れないですよ?」


 気づけばラズワードはすぐそばまで近づいてきていて、ハルはもう固まってしまった。頭がパニックになって動けない。予期せぬ事態に脳が対応できていない。


「体調の不良でしたら、治癒魔術で治せます。……ちょっと失礼してもいいですか?」

「えっ」


(ち、治癒魔術……!?)


 それを聞いた瞬間、ハルはカッと血が上昇するのを感じた。

 ハルは、今まで見てきた治癒魔術を思い出す。

 体液を傷に触れ合わせるために、大抵の場合、水魔力をもつ彼らは……唾液を使っていた。つまり、傷を舐めていた。


「ちょ……まて、ラズワード」

「え?」

 
 制止の声を上げたハルを、ポカンとした顔でラズワードが見上げている。その表情に、なぜかさらに心拍数が上がっていく。


「……だめ、でしたか?」

「いや、だめっていうか……そうじゃなくて……」

「……たしかに……ハル様のような高貴な方、奴隷の俺が触れていいわけないですしね……すみません、出過ぎたことを……」

「ち、違う……そういうことじゃなくて……ああ、もう、いいよ、お願いします!」


 淡々と自分を卑下するようなことを言ったラズワードに、ハルはヤケになって叫んだ。そうすれば、よかった、と安堵した表情をラズワードは見せる。


(やばい……なんかこの状況やばい……)


 確実にバクバクとうるさく鼓動はなっている。今まで体験したことのない、その体の動きにハルは戸惑いを覚えた。


「……それじゃあ、やりますね」


 落ち着いてそう言うラズワードに、ハルはただ頷くのみだった。たぶん今声を出したらひっくり返るからだ。

 近寄られると、僅かに身長差があることがわかる。

 普段よりも少しだけ上目遣いに見られて、いよいよ心臓は爆発寸前である。

 そんな風にハルが狼狽えていれば、ラズワードは少し考えるように目を閉じた。


(え、その顔はアウトだろ……まて、いや、ほらやっぱダメだって……ストップ、とまれ、まてまてまて――)


 パシ。


「……へ」

「……あれ、特に変なところは感じられませんね……強いて言えば多少体温が高い……いや、不整脈も……」


 目を開ければ、ラズワードが困ったような顔をしている。いつの間にかハルが目を閉じていたことは置いておいて、とにかくハルは予想とは違うラズワードの行動にまたもや混乱していた。

 ラズワードは、ハルの額に手をあて、じっとハルを見つめていた。その手のひらからは、微かに魔力の波長を感じ取ることができる。


「……え、粘膜接触……じゃなくていいの」

「体液さえあなたに触れていればあなたの体を読み取ることはできますよ」

「いや……体液触れてないじゃん」

「触れてます。皮脂を通して俺の魔力はあなたに届いているので」


 皮脂?んな馬鹿な。

 ハルは自分の額に触れているラズワードの手を掴んで、観察をはじめる。治癒魔術は簡単な魔術といえども、それなりに魔力は消費する。皮脂程度の微量な体液にその魔力を込められるわけがない。ハルがぐるぐると思考を巡らせていれば、ラズワードが言う。


「人によって、同じ量の体液でもその魔力の密度は違うんですよ」

「……いや、知っているけど……それにしたって」

「俺は治癒魔術くらいのものなら手で触れるだけでできます。……昔から驚かれてましたね」

「……」


 また昔を懐かしむように笑ったラズワードをハルは見つめる。その淡い笑顔に心をかき乱されそうになったが、なんとかそれを鎮め、見つめた。

 そこにあるのは、青い瞳。黒に近い青、闇を飲み込んだような青。

 魔族は瞳の色の濃さである程度その体に宿る魔力の量を測ることができる。黒なんて色はあまり存在しない。するとしたら、常軌を逸した化物くらいだ。

 いままで見てきた水の魔族は、薄い水色の瞳をしていた。それが、彼はどうだ。この色、この青。化物の色とされる黒に近い、深い青。

 たしかに、こんな色の瞳をもつ彼ならば、治癒魔術くらい軽くやってのけられるかもしれない。ハルはラズワードを見つめ、そう納得する。


「は……ハル様……」

「……え? ……あ! ごめん!」


 ラズワードに困ったような声で呼ばれ、ハルは彼の手を掴みっぱなしにしていたことに気づく。慌てて解放してやれば、ラズワードは静かに言う。


「ハル様……俺は、どうでしょうか」

「え?」

「奴隷として、あなたのモノとして使えますか?」


 青い瞳は、不安の色に染まっている。

 本当に、自分を奴隷だと、モノだとそう認識しているということだ。ハルはその事実に些か苛立ちを覚えたが、その理由については思案しないようにした。

 奴隷なら奴隷でいい。俺に深く関わってこないのなら、その身分なんて興味はない。

 心のなかで、ハルはそう唱える。そうしていなければ、また心が壊れそうになるからだ。


「……ああ、おまえを買ってよかったと思うよ。最高の奴隷だと思う」

「そうですか……よかった」


 ラズワードが笑う。

 そんな風に笑うなよ。自分を奴隷だなんて思うな。人としての誇りを捨てるな。おまえを捨てるな……!

 心に浮かんだ邪念を、ハルは打ち砕く。

 
「帰ろう」


 そしてぶっきらぼうにそう言って、不快な感情を忘れようと、彼に背を向けた。
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