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「……ノワール、いる?」



 パーティーが終わって、リリィは施設にもどった。ルージュであるリリィは施設のなかに私室をもっており、そこで普段生活している。ノワールとは隣室であり、よく行き来していた。

 指輪を盗んだ罪悪感から、ノック音はどこか自信なさげ。しかし、すぐに中から足音が聞こえてきて、扉が開く。



「……リリィ? どうしたの?」

「あ、あの……ちょっと話が……って、あれ? ノワール、今帰ってきたところ?」



 中から現れたノワールは、よそ行きといった風の、制服とは違うシックな私服を着ていた。一瞬その姿に見惚れそうになったが、リリィは軽く頭をふって雑念を打ち消す。ノワールの仕事の内容をそこまで把握しているわけではないが、こんな時間までいつも仕事しているということは殆ど無い。



「ん、いや……これからちょっと外でようかと思って」

「……そうなんだ、じゃあ今忙しいかな?」

「ううん、大丈夫だよ。まだ少し時間あるし。中においで、話きくから」



 ノワールは笑ってリリィを手招きした。その言葉に甘えてリリィはおずおずと中に入っていく。靴を脱いで、奥へと進んでいくと、少しだけノワールの匂いが鼻をかすめて、目眩がする。……彼の匂いが、少し苦手だった。ノワールへの好意を心で否定したくても彼の匂いを感じると、どうしても胸が跳ねる。もっとこの香りに、彼の腕に、包まれたいと、そう思ってしまう。



「……リリィ」

「あ、はい!」

「それ、」

「えっ……」



 リリィを先導していたノワールは突然振り返ると、リリィの前に立つ。いきなり近づかれただけでもびっくりしてしまうのに、彼のとった行動に完全にリリィのキャパシティはオーバーしてしまった。ノワールがリリィの首に腕を回すようにして、軽く抱きしめてきたのである。



「あ、ああああ、あの、の、ノワール!」

「あのね、リリィ」

「え、は、はい……」

「せっかく可愛く着飾るんだったらキッチリしないとね」

「え?」

「首のリボン、ほどけているよ」

「……あっ」



 ラズワードに脱がされたドレスを着直したときに、リボンを上手く結べていなかった。リリィはそのことに気付いてサッと青ざめた。彼に嫌われたいと、その一心でやったことなのになぜかその事実を知られたくない。まだ迷っている自分が憎たらしい。リボンを結びなおしているノワールに抱かれるようにして、リリィは自戒する。目の前にノワールの首元があって、なんだか鎖骨が妙に色っぽく感じて直視できず、目を閉じる。



「はい、終わったよ。リリィ、パーティー楽しかった?」

「……あ、う、うん……」

「……なら良かった。リリィもルージュになって一年過ぎているし、ああいうのにも慣れないとね。今日はただ本当に慣れるためだけの参加だったけど、今度は仕事でもでなきゃいけなくなってくるかもしれない」

「うん、頑張るね」

「ああそうだ、話ってなに?」

「あ……」



 ノワールが離れる。問われて、リリィはビクリと身体を強ばらせた。



「あ、あのね……」



 声と身体が震える。かたかたと覚束ない手で鞄の中の指輪を取り出すと、ゆっくりと、差し出した。



「ご、ごめんなさい……!」

「え?」

「こ、これ……ノワールの部屋で、……えっと、タオル取るときに落としちゃって、それで……思わず、その……持ってっちゃった、んです……」

「この指輪? タオルって……その引き出しに入っていたの?」

「本当にごめんなさい……ノワールの大切なものだよね……それなのに……」

「……いや……いいよ、そんなに謝らなくても……返すタイミング失っちゃっただけでしょ? よくあることだよ」

「で、でも……」

「本当に気にしていないから。ありがとう、返してくれて」

「う……」



 優しい声と、彼の笑顔に。思わず緊張の糸が切れて、ぼろ、と涙が零れてしまった。ハッとしてリリィが隠すように目を手で覆ったが、ノワールはあっさりと感づいたらしい。今度こそリリィを抱きしめると、子供をあやすようにぽんぽんと背中を撫でた。



「ごめん、ごめんね、ノワール……」

「なんで泣くのー、怒ってないっていってるじゃん」

「だって、だって……」

「そんなに俺のこと怖かったの? ひどいな〜」

「ち、ちが……ちがうのー……」



 泣いてはいけない。泣いて許しを請うような、まるで女の特権を使っているかのような、リリィはそんな自分に嫌気がさした。それでも、一度泣いてしまうと涙が止まらない。次々と涙が溢れてきて、嗚咽がとまらなくて。



「はいはい怖い俺にこんなことされたら余計に泣き止めないよねー、ほら、もっと泣いちゃえ」

「ち、ちがうって言ってるでしょ、ばかー……ううう」



 ああでも、もっとこうされていたい。この人の優しさに、抱かれていたい。彼への「好き」が大きくなるたびに、胸が痛い。
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