3


「また人通りの少ないところに……」



 パーティーも終わり、参加者たちとの挨拶もすませ、ハルとエリスはラズワード達の尾行に勤しんでいた。ラズワードと少女は会場の外の暗がりに入っていき、向かいあう。今にも倒れてしまうのではないかというほど青ざめながら二人を見ているハルの横で、エリスは余裕そうな表情を浮かべていた。



(どうせハルに寄ってくる女を遠ざけたかったんだろ、可愛い野郎だな)

「ラズワード様はあの会場でもとても注目を浴びていましたね。いいんですか? 私なんかとこうして一緒にいても」

「ええ。初めて貴女を見た時から俺は貴女にしようと決めていましたから」

(あ、あれ……?)

「……まさか貴方のような方に私を選んでいただけるとは思っていませんでした。ねえ、ラズワード様、もう少し……側にいってもいいですか?」

「……はい」

(おいおいおいおいちょっと待てェ!!)



 少女がラズワードの胸にそっと額をあて、ラズワードが彼女を抱きしめた瞬間、エリスは思わず立ち上がってしまいそうになった。なんとか自制してはみたものの、動揺が止まらない。



(ば、バカな……あれマジの浮気なのか……!? え、これじゃあハルに犯行現場見せつけてるようなもんじゃねぇか、ハル大丈夫か……あ、)



 ふとハルのほうを顧みて、エリスは口元をひきつらせる。ハルが魂の抜けたような呆けた顔をしていたから。



「は、ハル! 希望を捨てるな! アイツのことだ何か考えがあるんだよ!」

「ああ、うん……」

「ハルー!」



 少女がそっとラズワードを見上げる。小柄な彼女はすっぽりとラズワードの胸に収まっていて、ラズワードを見つめるその姿は実に愛らしい。少女はラズワードの首に腕を回し、そしてぐっと背伸びをする。彼女の意図を悟ったラズワードは、ふっと笑うと彼女の口を指で抑え、その行動を制した。



(よ、よかった……やっぱりラズワードは……)



 エリスはほっと安堵したのもつかの間、ラズワードは少女の肩を掴み、壁にゆっくりと押し付けた。びっくりした表情を浮かべる少女の脚の間に膝を割って入れ、ぐっと顎を掴むと冷たい声で言う。



「俺は主導権を握られるのはあんまり好きじゃないんですよ」

(な、なんだとー!!)

(ど……どの口が言うんだ……)



 予想と期待を裏切るラズワードの行動に、二人の精神はグラグラと不安定状態であった。ハァ、と青色吐息を力なく吐いてエリスにもたれかかるハルは、もうどうにでもなれとばかりに笑っている。



「ああそうかラズは女の子にはSキャラなのねなるほどねそりゃモテるわけだね」

「き、気を確かに、ハル!」



「ら、ラズワード様って……結構強引、なんですか?」

「お嫌いですか?」

「そ、そんなことはないです……むしろ……私、ひどくされるほうが……いいです」

「――ハッ」

「……ぅ、あッ」



 その時のラズワードの様子に、それまでぐったりとしていたハルは、ガバっと体を起こし、目を見張った。少女の唇を親指でなぞり、太ももの間に差し入れた膝にぐっと力を込める。そこまではいい(よくない)。そのラズワードの口から漏れた、人を嘲るような笑い声に、ハルは違和感を覚えたのだった。――らしくない。いくら女性に対しては嗜虐的になるといっても、そんな風に嗤えるのだろうか――



「――これは驚きましたね。俺たち奴隷をゴミクズみたいに扱ったあの女王様の仮面の下が――こんなマゾ女だったとは思いませんでしたよ」



「――!?」



 ラズワードの言葉に、ハルとエリスが息を呑んだ。そしてエリスは、少女をみたときから感じていた違和感の正体にようやく気付いた。デジャヴを覚えた彼女の魔力の波長。そう、彼女に会ったことがあるはずなのに、顔を覚えていない。それは、彼女が――



「ルージュ様、どうです、自分が虐げた奴隷にこうして下されるのは……きっと貴女はそれすらも……」



――ルージュだから。ノワールと並ぶ、仮面の女。

 レッドフォード家の長男であるエリスは、何度もノワールとルージュに会ってきている。しかし、ふたりとも仮面をかぶっているためにその素顔はわからない。だから、エリスは魔力の波長だけは覚えているのに少女の顔がわからなかったのだ。



「……ラズワード、そうだ、貴方のこと覚えてる……たしか……ノワール、の……」

「ああ、思い出しました? ルージュ様、貴女一番ひどいこと俺にしましたよ。べつに怒ってもいないし貴女のことなんて興味ありませんけど。ただ、」

「ひっ、やぁ……!」



 ラズワードが少女の首筋に唇を這わせる。歯をたてたのか、少女は眉を潜めて仰け反った。しかし、少女は嫌がるわけでもなく、ラズワードのことをきつく抱きしめ、その痛みに耐えている。



「貴女があんまりにも飢えた目であの会場を歩いていたから……たまらず惹かれてしまったと、そう言っておきましょうか」

「……、飢えた、……私、そんな目をしていた……?」

「……寄ってくる男たちをあしらう風でいながら、きっちりとチェックしていたでしょう? こうして自分を抱いてくれる人を、探していたんじゃないですか?」

「んっ、……あ、……」



「まじかまじかルージュ様のこと抱く気かよアイツ」

「……ラズの意図が未だにわかんないんだけど」



 ラズワードが少女のドレスを解いてゆく。少女は熱い吐息を吐きながら、声を抑えようと口を手で塞いでいた。女の服を脱がしているというのにラズワードの瞳はあまりにも冷たく、その様子はどこか歪んでハルにはみえた。



「うっ、あ、……どうして、嫌じゃ、ないの……なんで、怒っていないの……? 貴方は、私のことを嫌わないの……?」

「……さっきも言ったでしょう。俺は貴女に興味がない。だからどんなに貴女が俺に無慈悲なことをした記憶が蘇っても、そんなのどうでもいい。俺は今の貴女が、ただ俺の下で哭くのをみてみたいだけ」

「……っ、だめ、そんなの……ねえ、もっとちゃんと思い出して……私が貴方に何をしたのか……恨んで、憎んで、……私を……!」



「……え、ルージュ様アレ大丈夫なの?」

「ラズも様子変っていうかなにあの棒読み」



 取り乱しはじめる少女と、依然として冷静なラズワード。混乱しっぱなしのハルとエリスは状況を汲み取ろうとするが、ふたりとも何を考えているのかさっぱりわからない。そしてルージュという「施設の頭」に抱いていたイメージとあまりにも違う少女に驚いていた



「貴女はなにをそんなに俺に……」

「……ひどくして欲しいの……何もかもわからなくなるくらいに、私を、めちゃくちゃにして欲しいの……」

「……ああ、そう」

「――あッ……!」



 するりと肩紐がおちて、少女のドレスは脱げてゆく。露わになった白い肌をラズワードが愛撫していけば、少女は甘い声を上げ始めた。突っ込みながら二人を見ていたハルとエリスも、固唾を呑んでそれを見つめていた。絶世の美少女と、いつもと全く雰囲気の違うラズワードの交わり。戸惑いと、「見てみたい」という僅かな欲望が混ざり合って、ハルもエリスも思わず黙りこむ。



「んん、ぅ、やぁ……」

「……ルージュ様……ドレスで見えませんでしたけど……全身に薄く、痣がありますね。いつもそういうことしているんですか?」

「……だめ……? 私、乱暴にされたいの……そのほうが、気持ちいいでしょ……?」

「……なんか本当に想像以上で笑えてきますね。……貴女をルージュとわかっていてそんなことをする男がそんなにいるんですか? ……もしかして――ノワール様とか」

「――ッ!」



 ビクン、と少女の身体が強張った。



「ち、ちが……ノワールは……ノワールは、私のことなんか、嫌いだもん……私となんか……こういうことしたくないんだよ……」

「……え」



 ラズワードが間抜けな声をあげたのは、少女が突然泣きだしたからである。ノワールの名前は別の意図でだしたのだが、思わぬ地雷を踏んでしまったようで、さすがのラズワードも慌ててしまった。かがめていた体を起こし少女を見つめれば、彼女は嗚咽を上げながら手の甲で涙を拭っている。



「ノワールは、迷惑だと思っているの……! 私みたいな汚い女に好かれて……だから……だから、私はノワールのこと、好きじゃなくなろうって、そう思って……」

「……え、あの、ルージュ様はノワール様と良い関係を築けていると思ってたんですけど、違うんですか?」

「そんなわけないでしょ……私が一方的にあの人のこと好きなだけなの……今朝だって……私、ノワールにひどいことしちゃったし……」

「は、はあ……ひどいこと、って?」



 ラズワードはすっかり素に戻っていた。――というのも、ラズワードが少女にこうして迫った理由が、「少女と深い関係を築き、ノワールの情報を聞き出すため」だからである。会場で彼女を見つけたラズワードは、即座に彼女がルージュであるということに気付いた(施設時代に彼女に調教された際に感じたあまりにも特徴的なその魔力の波長を、覚えていたため)。ノワールと同じ立場につく彼女ならば必ず彼の詳しい情報を持っているだろうとふんだラズワードは、どうにかして少女に近づこうとしたのだ。つまり、ノワールとそこまで良い仲ではないのなら、少女に近づく意味がない。(ちなみに、サディストを演じたのは、少女と話す中で彼女が若干のマゾヒストだということに気付いたからである。マゾが共鳴したようだ)

 すっかり少女の相談にのる体勢に入ったラズワードは、少女の肩をぽんぽんと叩き、腰を下ろすように促した。少女は素直にそのまましゃがみこむと、腕にかけていた小さなかばんから、ハンカチをとりだす。それで涙を拭くのかと思いきや、彼女はそれをそっと広げた。



「……これは?」

「……ノワールの部屋から盗んだ指輪」

「……盗んだ?」



 ハンカチにくるまれていたのは、少しだけ古い、シルバーリングだった。
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