「ハルさんの恋人可愛いねー。舐めまわしたい」
「いいなーあれ独り占めできるんだもんなー羨ましい」
ハルとラズワードが帰ったあとの研究所。それぞれの資料を整理しながら、研究員たちは他愛もない話をしていた。その内容はもっぱらハルの恋人についてである。ハルはこの研究所に来てから「ドーテー」とネタにされてきており(事実なのかは謎である)、そんな彼が恋人ができたというのだからどんな人なのかと研究員たちがその好奇心をむき出しに待っていたところにきたのがラズワードである。正直、思っていたよりも数段整った容姿の恋人だったため、驚いていたのだった。
「見た目もすごいけどさー……ヤバイのはあれだよね。魔力量」
「あのレベルは初めて……いや、二人目かな、見たのは」
「そうだね。あの子と同等……いや、上の魔力を持つ人なんて、……あ、はいはい」
研究員たちがラズワードの話で花を咲かせていると、扉のノックの音が響いた。リオがのんびりとコーヒーを片手に扉を開けに行く。
「あ、いらっしゃいませ〜! お待ちしていましたよ」
「ああ、忙しいところごめんね」
「いえいえ、こちらこそ」
入ってきたのは、きっちりとしたスーツに身を包んだ男。その彼をみた研究員はわっと騒ぎ出す。
「お久しぶりですー! 相変わらず美人ですね!」
「……男に美人って言うのはどうなのかな」
「間違ってないですよ! ああもうほんとに美しいです!」
ハートをとばしながら迫ってくる女の研究員に困ったような笑顔を向けながら、男はポケットからUSBをとりだした。そして群がる研究員のなかの一人、黒髪のショートヘアーの女に渡す。
「これ、頼める?」
「ええ、もちろんです。いつもありがとうございます。おかげで完成しそうですよ」
「……俺の功績ではないよ。レイラと、ここにいるみんなの功績だ」
「そう言っていただけると光栄です。でも、貴方のつくってくれた魔術式がなければここまでつくりあげることはできませんでしたよ」
レイラと呼ばれた女は、にこりと笑う。
「――ハンプティダンプティ。これでこの世に3匹目の「幻獣」が誕生します。それも、ジャバウォック、そして貴方のグリフォンを凌ぐほどの強力な幻獣が」
「……うん、そうだね」
どこか物憂げに、男は言った。
この研究所は、イヴの研究の他にも様々な分野の研究が行われていた。レイラの属するのは、「幻獣」について研究するチームだ。「幻獣」は普通の魔獣は聖獣とは違った特別な生物であり、そしてそれらと最も違う点は、人間の手によって作られた生物であるということである。非常に複雑な魔術式を組み合わせて作られた生物で、この研究所では新たな「幻獣」をつくりだそうとしているのだった。
しかし、「幻獣」の魔術式はそう簡単につくりだせるものではなく、事実、非常に長い年月をかけて研究されたのにも関わらず今現在「幻獣」はジャバウォックとグリフォンの二体しか存在していない。そこで、この男が研究に手を貸しているのである。この男――
「あ、ノワールさん、みてくださ〜い! イヴについて新しい情報が! できたてほやほやのデータですよ〜」
――ノワールは、非常に魔術の知識に長けており、こうして研究所にその知識を貸すことがしばしばあったのだった。ただ、今回の幻獣『ハンプティダンプティ』の研究はノワールにとってはあまり気の進まない研究のようであまり積極的に関わろうとはしてこない。それというのもそのハンプティダンプティは契約者にとってリスクの高すぎる幻獣だからだ。
施設のトップ、ルージュとノワールには幻獣との契約が義務付けられていた。ルージュにはジャバウォック、ノワールにはグリフォン。どちらの幻獣も強大な力を持っており、それが施設の威厳を保つ要素の一つにもなっている。
しかしこれら幻獣との契約には、普通の聖獣魔獣にはないリスクを背負うことになのだ。ひとつは、その結びつきが通常の契約と比べて強いこと。幻獣へのダメージが直接伝わってくるようなことはないが、もしも強力な刺激によって幻獣の身体が一気に破壊されてしまうようなことがあれば、契約の結びつきを通して契約者の身体にも影響がでてしまう。そしてもう一つが、幻獣のその歪んだ性格。力が強い幻獣ほど、その中身は狂気に満ち溢れている。そのような幻獣と常に共にいるというのは肉体的にも精神的にも危険なことなのだ。
ノワールの契約しているグリフォン。この幻獣は力はそれほど強くない。そのため性格もそれほどおかしいところもなく、ノワールとは良好な関係を築くことができていた。しかし、ルージュの契約するジャバウォック。これはふつうの聖獣魔獣なんかとは比にならないほどの恐ろしい力を持っている。そしてそれに比例する、狂った中身。その狂気は今までのルージュの身体を蝕み、そして命すらも奪って生きている。ジャバウォックによって命を失ったルージュを今まで何人もみてきたノワールにとって、リスクの高い幻獣を作ることにはあまり賛同できないのだった。
ハンプティダンプティは、おそらくジャバウォックよりもずっと強力な力をもった幻獣となる。そして、それのもつ狂気は更に強くなるだろう。おそらく契約するのは、次のノワールの座についた人から。ノワールは自分の作った幻獣によってまた何人も命を奪われるのかとそう思うと気が重くてしかたがなかった。
……それでも研究所に手を貸しているのは、「上」の命令だからなのだが。
「リノ、このデータは?」
「今日ゲットしました! これは有力な新情報ですよ〜!」
ノワールは長い時間をとることもできないため、施設で空いた時間にデータをつくり、そしてそれをこの研究所に渡しに来てすぐ帰る、というのが平常であった。ただ、たまにこうして研究の様子をみていくということも多々ある。そして、この研究所だけには仮面やローブの着用はなしできていた(「研究所では白衣を着なくちゃ!」と無理やり脱がされたことがきっかけだが、おそらくその言葉は適当に作った口実で、研究員がノワールの素顔を見たかっただけのように思われる)。
「……どこからこれを?」
「ああ、今日ハルさんの従者の方が来ましてね、その方の記憶からとったものです」
「……従者……ラズワードか?」
「……あれ、知っていましたか、ラズワード君が奴隷から従者になったの」
「……あたりまえだろう。レッドフォード家の情報は全部こっちにきているんだ」
表情を変えずにノワールはリノに渡された資料を見ている。その瞳は資料に羅列する文字を追って静かに動いている。
「ねえ、ノワールさん」
リノはひょい、とノワールの顔を覗きこんだ。
「……会いたかったですか?」
「……誰にだ」
「……ラズワード君に」
すっ、とその瞳がリノを見つめた。暗い色をしたその瞳に、わずか光が差す。微かに動いた唇は何かを言いかけ、そして飲み込んだように閉ざされた。
「――リノ」
「はい……いたっ」
ぱん、とノワールが持っていた資料でリノの額を叩いた。微弱な刺激が頭に響く。もどかしいそれにリノはわずか驚いて、資料をどかしてノワールの顔を伺い見ていれば、ノワールはかすかに笑っていた。
「くだらないことを考えていないで研究に精をだせ。俺はリノたちの研究を頼りにしているんだから」
「……すみません、」
「悪いけど、これコピーとってもらえる? 帰ってからもう一度よく見てみるから」
「ああ、はい。ちょっとまっていてください」
リノはコーヒーを淹れてノワールに渡すと、資料を受け取って部屋を出て行った。コピー機のある部屋までいくと、一人の女研究員がいた。
「あ、リノ。今ノワールさん来ているんだって?」
「そう。これコピーするように頼まれて」
「へえ。私も挨拶してこないとなあ」
女はコピー機から紙束を取り出してそれをまとめると、部屋を出ていこうとした。しかしすれ違いざまに女はリノの表情をみて「げっ」、と小さい声を発して立ち止まる。
「リノ……顔キモい」
「え? いきなり失礼な」
「いや、そうじゃなくて、表情」
「んん〜? いやなんか〜……ノワールさん俺の研究室に連れこみたいな〜なんて……ふふふ」
「……それ何? 死にたいって言ってるの? あんた」
ドン引きと言った表情で女は部屋からでていく。リノは彼女のことを気にすることもなく、原稿ガラスに資料をセットしてカバーをした。そしてコピー機に寄りかかって、ぼんやりと天井を見ながらつぶやく。
「……不思議な人」
額が、仄かな熱を持つ。
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