「さて、僕の専門は人の記憶をよみとってきちんと記録として残すことなわけですが」
「……それは先ほど聞きました」
「じゃあ僕にしたがっていただけますか」
「……脱ぐ必要性を説明していただけますか」
リノに着いていった先は、たくさんの書物のある部屋だった。先ほどの薬品の臭いの立ち込める部屋とは雰囲気は一変している。初めの部屋でみた危なっかしい器具などが置いていなかったため安心した矢先にラズワードが言われたのが「服を脱げ」という言葉である。部屋にくる途中でリノが記憶の魔術を扱うことができるというのは聞いていたが、なぜそれで脱衣する必要があるのかと、ラズワードはそれを渋った。ハルとリノの会話を聞いていたのだから尚更だ。
「記憶をよみとる魔術は水魔術の一つなんですよ」
「……そうなんですか?」
「だから、わかるよね? よりスムーズに記憶をよみとるには、より広い面積で肌に触れたほうが良い。肌から分泌される皮脂、その他水分を介して魔術を使い君の記憶を探らせてもらう」
「……なるほど」
リノの言っていることを、ラズワードは理解することができた。治癒魔術を使うときも同じだ。肌と肌を触れ合わせ、わずかに分泌される水分を介して魔術を使う。そのためリノの言葉に納得はできたものの、どうにも服を脱ぐことは気が進まない。それというのも、リノの妙に不気味な笑顔のせいだろうか。しかし、あまり渋るのも自意識過剰な気がしてそれはそれで嫌だったため、ラズワードは意を決してジャケットを脱ぐ。
「シャツの上からでもわかるね〜。きれいな身体のラインしているね〜」
「……」
絶対こいつヤバイやつだ、ラズワードはそう確信した。わざとらしく銃を音をたてて机の上に置く。威嚇するように軽く睨んでやったが、リノは気にしていないようだ。おもいっきり脱ぐ様子を見つめられているため、居心地が悪くてラズワードは手際よくタイを外し、シャツのボタンを外し、素早く衣類を剥いでいった。
「あー、やっぱりきれいな身体している。水の天使ってさ、治癒魔術使えるから肌の調子悪くなったりしないんだよね。ほらすっごくきれいな肌」
「身体を撫でる必要性は」
「はいはい怒らないで、さっそく記憶よむからね」
「押し倒す必要性は!」
ぐい、と机の上に押し倒されてラズワードはさすがに身構えた。身体に触れるだけならこうする必要などないのだから。
「あっ、その顔かわいいね」
(変態の目つきだ!!)
メガネのレンズが光に反射した瞬間、ぞわ、と寒気が身体をはしった。思わずリノの腕を掴み投げ飛ばそうとしたが、ぐっとこらえる。
「じゃあ、イヴと会ったときのことを思い出して。できるだけ鮮明に」
「……、あの……、協力したいのは山々なんですが……あまりいい記憶ではなくて」
「……おっけー。じゃあ軽くでいいよ。僕が勝手に探らせてもらうから。その代わり何しても抵抗しないでね」
「何してもって、……はい、わかりました」
ふっと一瞬、グラエムの自らの手で殺したことを思い出す。そのことをちらりと考えただけでも吐き気がこみあげてくるというのに、鮮明に思いだせだなんて、正直なところ無理だった。ただそれはラズワードの判断であって、それを理由にイヴの調査へ非協力的になることはいただけない。ラズワードは仕方なくリノの言葉に従う。
「……、」
リノがラズワードの肌を舐めた。体液を触れ合わせるためだと無理やり納得し、ラズワードは黙ってこらえる。会ったばかりの男にこうして身体を触られることはあまりいい気のしないことだが、ここは我慢しなければいけない。
「ああ……はいはい、なるほど……君、淫魔術使えないんだねぇ〜イヴのつかったそれに全く抵抗できてない」
「……いん、魔術?」
「ん〜、あ、これか君が思い出したくない記憶……へぇ〜。なんだ特に新しい情報はみつからな……ん、なんか変なのがあるね」
ぶつぶつと独り言を言っていたかと思うと、リノはガバっと身体を起こす。驚いて目を見開くラズワードを見下ろし、リノはぎらぎらとした目で笑った。
「あっは。なんかすごいもの見つけちゃった。君さ、イヴに触れたとき、奴からなにか得体のしれないものを感じ取ったりしたんじゃない?」
「……あ、」
リノの言葉に、ラズワードのなかであの記憶がフラッシュバックする。イヴと目があった瞬間にラズワードの中で暴れだしたモノ。おぞましい呪詛のような強い思念が蠢いたあのとき。そして、ラズワードがそれを感じ取ったと知った瞬間に激しく取り乱したイヴ。あれについては、今でのラズワードにはなんだったのかわからない。でもきっと、あれはイヴという存在に深く関わるモノのはずなのだ。
「あれがなんだか、わかるんですか?」
「さぁ〜? 僕の仕事は記録をすることだけだからね。僕の記録をつかって、これから調べるんだよ」
「……そうなんですか」
「そういうわけで、もうちょっと詳しく知りたいんだよね」
リノはにっこりと笑うと、ポケットからペンを取り出す。
「発汗量が足りないかな。もうちょっと魔術の媒介となる水分がほしいな」
「え?」
「……丁度いい。淫魔術、ちょっとだけ教えてあげる」
ぐっと強く手首を掴まれて、ラズワードは驚いて身体を起こそうとした。しかし、その瞬間、ぐらりと視界が歪み、再び倒れこんでしまう。
「な、なんですか、これ……!」
「なにって、淫魔術だけど?」
「どういう魔術なんで……あっ」
「ん、良い反応」
つうっ、とペンがラズワードの身体をなぞる。ゾクゾクっと妙な感覚が下から這い上がってくるような感覚に、ラズワードは身をよじった。
「ちょっと、やめて、ください……!」
「研究所では研究者に従え」
「あっ、……ひゃ、」
ぐ、とペン先で乳首をつぶされる。リノは片方の乳首を引っ張りながら、もう片方をペンをぐりぐりとねじりながら刺激した。ハル以外の男にそういったことをされるのは嫌で仕方なかったが、どういうわけか身体がいうことをきかない。刺激されるたびに視界に白い火花が散って、身体がびくびくと跳ねて、イッたときと同じような感覚が何度も何度も迫り来る。
「んっ……、んん……」
「我慢しちゃって……可愛いね」
ラズワードは手の甲で必死に声を抑えた。感じている自分が嫌になって涙まで流れてくる。耐えようとして身体に力が入って、机の上の紙束に腕をぶつければ、それはバラバラと散ってゆく。
「あ、君の下敷きになっている資料、大事なやつだからシワにならないようにして。動くなってこと? わかる?」
「……、……ッ」
「そうそういい子。おとなしくイけばいいんだよ……ほら!」
「あッ……――!? やめっ、だめっ、」
「ダメ? 嘘つくなよ、こんなに感じてるくせに!」
「あっ、おねっ、がい、ッ、だめ、だめ、あ、あ、」
ぱち、ぱち、と視界が白む。茹だるような強烈な熱に身体が支配される。虚ろに涙を流しながらびくびくと身体を痙攣させ始めたラズワードをみて、リノは実に楽しそうな笑顔を浮かべた。
そして、指におもいっきり力をこめた。
「ああぁあぁ――――ッ」
ガクっと大きく跳ねたラズワードの身体を、リノが抱きとめる。そして、そのまま机の上にたたきつけた。ぐったりとしながらはあはあと弱々しく息を吐くラズワードに覆いかぶさって、笑う。
「ん、いいね、これならちゃんとわかりそう」
「……、あ、の……りの、さん……」
「んん〜なるほどねぇ〜これはきっちり分析しないとわからないな〜」
「……いまの、まじゅつ、が、いんまじゅつ、なんですか……」
「すごい、すごいな〜こんなヤバイの初めてみたよ、興奮してきた」
リノは急に身体を起こしたかと思うと、紙を取り出して凄まじい勢いで何かを書き始めた。ぼんやりと机の上に横たわるラズワードのことはまるで無視をしているかのようだ。ラズワードは急激に絶頂をむかえさせられたものだから、身体がだるくて動く気にもなれない。ただ、リノが作業を終わらせるのを待つばかりであった。
ガリガリとペンが走る音を聞きながら、ラズワードは以前レヴィに言われたことを思い出す。あえて神族が剣奴に教えない魔術があるということ。それがもしかしたら、この「淫魔術」なのだろうか。それがなければ神族には敵わないと、レヴィはたしかそう言った。こんな魔術を戦闘でどう使うのかわからないが、対策を知らなければ、もし使われたときに何もできなくなってしまう。今の自分のが、まさにその状態であると気付き、ラズワードは焦りを覚えた。
「よーし、記録完了〜」
「り、リノさん……!」
「え?」
「今の魔術、ちゃんと教えてもらえませんか……、水魔術、ですよね?」
「え〜? だめ〜」
「な、なんでですか」
身体を起こし、唖然とラズワードが問えば、リノはペンをくるくると回しながらラズワードに近づいてくる。そして、ビッ、とペンをラズワードの胸に突き立てると、にっこりと笑って言い放つ。
「君が施設の商品だからだよ」
「……それがどうして理由になるんですか?」
「君はたしか剣奴だったよね? 剣奴は、たしかに戦闘術を知り尽くした特別な奴隷だ。でも、剣奴は剣奴であるまえに性奴。主人の性的な欲求に完璧に応える人形でなくてはならない。……たとえ、君が今そのような状況になかったとしても、僕達は君をそうした商品として売っているんだ」
「……それは、理解できますけど。……でも、なんで」
「……淫魔術は、水の魔術を扱うことのできる者なら使えるはずなのに、あえて調教師たちは教えない。考えてみてごらん、理由はすぐにわかるはずだ。……もしも淫魔術を性奴が使えてしまえば、せっかく性奴として身体を開発してやったのに、快楽を自在に操ることができるから身体を刺激されても抵抗することができてしまう。そんなことができれば、性奴が主人のもとから逃げ出す可能性が一気にあがるだろう? なんのために僕達が君等性奴をインランにしてやっていると思ってるの」
「……、」
「どうしても知りたいなら自分で調べることだね。僕は一応施設の人間としてカテゴライズされるから教えることはできないんだよ。特に君とか、ノワール様が熱をいれて育ててたみたいだし? ノワール様に怒られたら命がいくつあっても足りない」
淫乱ときっぱりと言われたことに弁解したい気持ちもあったが、リノの言い分には妙に納得してしまった。ラズワードはそれ以上請うこともできずに黙りこむ。
「ねえ、なんで淫魔術なんて知りたがるの」
「そ、それは……」
「――あ、そう……ふ、ははは! ノワールさんを殺したいんだぁ〜へえ〜大胆だなぁ」
「……っえ、なんで」
何も言っていないはずなのにリノはラズワードの考えていることをよんだかのように笑っている。無意識に口に出してしまったのかと思ったが、どうやら違うようだった。
「心をよむ魔術。記憶をよむ魔術と似ているんだよ」
「……、」
「それよりさ、君、ノワールさんのこと殺したいんだね。……どんな事情か知らないけどさ、もしそれなら」
ペン先が、つ、と身体をなぞる。それは上へと登って行き、やがて、喉へたどり着く。
「――僕も敵になるわけだ」
「……っ!?」
殺意が身体を貫いたような気がした。ラズワードは反射的に立ち上がると、リノを勢い良く引っ張り机に叩きつける。そして、腰のナイフを抜くとそれを首に突きつけた。
リノは驚いたような顔をしていたが、やがて吹き出し、笑い声をあげ始める。
「はやいね、抵抗する暇もなかったよ」
「……俺はここで死ぬわけにはいかないんだよ」
「冗談だって、冗談。そんな怖い顔しないでよ。……もしも君が神族の敵にまわることがあったとしても、僕と直接殺しあうことにはならないでしょ。僕はノワールさんのことは好きだけど、命をはってまで守りたいなんて思ってないし」
「……さっき本気で俺のことを殺そうと思いませんでしたか?」
「ん〜。だって僕はずっと研究を続けていたいからね。もしも君が神族に敵意をもって、僕まで殺そうとしてたらさすがに嫌だからさ。ちょっと敵意もっちゃった」
「……べつに……俺は神族全員に敵意をもっているわけでは、」
「そう、ならいいや。君はノワールさんだけを殺したいって、そう思ってるんだね」
リノは喉に突きつけられたナイフをどかすと、起き上がる。そして、すうっとラズワードの頬をなでた。
「――君がノワールさんを殺せるなんて、全く思えないけどね」
「……、」
「君が普通から大きく外れた強さを持っているのは十分知っている。君から感じる魔力量も、規格外のものだ。……ただ、ノワールさんも異常すぎる力を持っている。ただの神族の親玉だと思わないほうがいい。ただの魔力が強い人だなんて、思わないほうがいい。……あの人は正真正銘のバケモノだ」
「……ッ」
リノはとん、とラズワードを軽く押すと、そのまま立ち上がってふらふらと部屋の中を歩き出す。ラズワードはというと、押された衝撃のままにふらっとよろけてしまった。床に落ちた大量の紙を片付けているリノのことを横目に、ラズワードはなにかに衝撃を受けたのか、ぼーっとしていた。
「……バケモノって、」
「知ってるよね? ノワールっていうのは役職名で、その人の名前じゃない。今のノワールさんが死ねば次に誰かがまたノワールになる。……今のノワールさんは歴代最強と言われている、常軌を逸した強さと知性をもった人。誰もが恐れ、誰もが崇拝し、誰も逆らうことができない。どんなに恐ろしい暴動が起きようと怪物が現れようと、息一つ乱すことなく鎮めていくその様はまるで夢をみているかのようだった」
「……でも、人間でしょう」
「……さあ、どうだか。僕はあの人の素顔を知っているし、話したこともある。あの人の為人を好いているし、心の底から尊敬している。……でもあの人のことを同じ人間だなんて思っていない」
「――なんで!? あの人は……ノワール様は、俺達と同じように感情をもっているじゃないですか……! 俺たちと何が違うっていうんですか! 異常に強いって言っても首を絞めればそのまま折れるような普通の体をもっているし、恐れられているって言っても普通の人と同じように泣くことだってあるんですよ! 触れれば、温かいんですよ……!」
「……君さ、」
いつの間にか目の前にたっていたリノを、ラズワードは見上げる。なんとも言えないような表情でリノはラズワードを見下ろしていた。
「……これ以上ノワールさんのことを考えないほうがいいよ。……君のためにも」
ぐい、と何かが顔に押し付けられる。なんだと思ってそれを手にとって見てみれば、ハンカチだった。知らない間にラズワードは泣いていたのだ。
「……ッ」
「……君は、ノワールさんのことを、好き?」
「え……」
「僕は好きだよ。君は?」
「……」
ラズワードの瞳が揺れる。困ったように眉をひそめ、唇を噛んで、ただじっとリノを見つめた。力が込められた拳は、かたかたと震えている。
「……リノさん。……教えてください。……好きってなんですか? ……俺は、ノワール様のことを嫌いではありません。でも好きかって、そう聞かれたら違うと、そう思います。……だって、俺がハル様のことを想う気持ちとそれは全く違う……」
「……ハルさんのこと、どう思ってるの?」
「……好きです。一緒にいたい、そばにいたい、そう思います。あの人のことを想うと心が暖かくなります。あの人と一緒に過ごしていると、生まれてきて良かったって、そう思うんです」
「……うん、そっか。……じゃあ、ノワールさんは?」
ラズワードはリノの視線から逃げるようにうなだれた。そしてそっと、引っ掻くように胸のあたりに手をもってくる。
「……あの人のことを考えると、……苦しくなります。苦しくて、苦しくて……泣きたくなって……。俺は、あの人の幸せを願っているだけです、だけど、そう思うたびに辛いんです……」
「……ね、一つ聞いていい?」
「はい……?」
「……君……ノワールさんのために死ねる?」
「……、」
ラズワードが顔をあげる。その瞳孔が開いている。
リノは黙ってラズワードの答えを待った。質問の意味に、ラズワードはおそらく、
「――死ねます」
――気付かない。
「ん、そう。……だめだよ〜死ぬとか簡単にいっちゃ〜。君、みんなから愛されているんだからね〜」
「あ、あなたが言わせたんでしょう」
「……そうだったね。……ラズワード、この話は終わりにしよう。そろそろハルさんのところに戻ろうか。データもちゃんとれたしね」
リノは先ほど書きなぐった紙を集めると、ファイルに綴じてまとめた。そしてラズワードに服を着るように促して、コップに水をくんで渡す。
散らかった部屋を片付け、そしてちらりとラズワードを見つめながらリノは考える。ラズワードの言葉。あの、純粋無垢な、それでいて冷たく刺すような瞳。自分自身でも気付くことのできない感情が、その中で育っている。
『死ねます』
――君は、ハルさんと一緒にいて、生まれてきて良かったって、そう思うことができたんじゃなかったの?
愛を超越するその感情は、自分の命すらも惜しいと思わないその想いの正体は、
「――まったく、危なっかしいなぁ」
「……リノさん? なにか言いました?」
「……ううん、なんでもない」
――心を焼く、
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