「リーブス様ですね、招待状を確認させて頂きました。途中の入退室の際にも此方が必要となりますので、貴重品と併せて管理をお願い致します」
「ああ」

 濃い緋色のインクで判子が捺された招待状が、刺青を隠すべく手袋を嵌めているローの手に何事もなく渡った。

 インクを乾かすように二、三度無造作に振られた紙を今度は俺が受け取りつつ受け付け係に会釈をし、前方に伸びる階段を昇り始める。
 踊り場に着いてから眼下を見下ろせば、城の正門前から階段下までの約二十メートルの範囲に、大勢の客が長蛇の列を作っている様が改めて確認出来た。

 階段の中央がロープで縦半分に区切られ、招待状の確認係を兼務する係員は左右にそれぞれ五人。
 階段の脇にも左右に二人ずつスーツ姿の男性達が立ち、どうやら入場規制を呼びかけるタイミングを図る為に各々が男女別に参加者の人数を数えているらしかったが、その数え方は手にした羊皮紙に何やら書き綴るという大分アナログなものだった。後々ずれが生じそうだ。

「思ったより混んでるね、新王って意外と人気者? 帰りもあんなだったら、あれだけの数の民間人蹴散らすのは気が進まないんだけど……」
「人気なのは城の方だろうな。リフォームされた王宮で一足先に遊んだっつう事実が欲しいんじゃねェか」
「ああ、若い女の子は特別とか限定って響き好きだよな」
「お前も好きだろ」
「市場のタイムセールで聞く分には」

 入場を待つ列に並んでいる間、俺に不審げな視線や声が向けられる事はなかった。不安のあまり耳へオーラを集めて聴力を強化したまま過ごしたので間違いない。
 取り敢えずは初見で男だと看破されてしまわない程度には変装出来ている、と実感が得られて安心する。

 エントランスを進んで開け放たれている扉を潜ると、シャンデリアの輝きが眩い正面ホールに着いた。
 葡萄の房のように蝋燭が連なる細工で造られた照明が天井の真ん中を縦断して室内の奥まで計四つ並び、壁にも燭台が至る所へ取りつけられ、部屋全体が真昼の明るさだ。

 入り口から見て右手の壁面に飾られている絵画を順に目で追ってゆく。
 風景画が主に連なる中で部屋の最奥、上階に続く大階段の脇まで眺めても目的の物が見当たらずに内心首を傾げるも、不意に視界の中へローの片手が映り込む。

 伸ばされた人差し指が示す先を辿って目線を上向かせると、階段の上、踊り場の壁中央にマリアンヌの話していた肖像画が据えられていた。最も目立つ位置に飾る辺り自己顕示の強い新王だ、と思うのはやや偏見だろうか。

「最低限の通行止めはしてあるね」
「一般人相手ならあれで済む。宝石の類いならともかく、絵画に触りたがる奴はそう居ねェよ」

 階段の最上段にはロープが張られ、両端は手すりへと結び付けられて、簡易的ながら明確に二階への立ち入りを禁じていた。
 万が一にも不慮の事故などで隠し部屋を暴かれては堪らないからだろうが、これでは絵に近付く以前にあの大階段を昇るだけでも警備兵から警戒されそうだ。

「折角だ。動く前に腹拵えするか」
「え、良いの」
「旨いモンがあれば味を覚えて船で再現しろ」
「あっ俺今お腹一杯かな」
「この時間まで食欲湧かねェ程昼飯食ってねェだろ」

 まさかの難題に思わず首を横に振るが、ローに腰を抱かれて半ば強制連行される。

 俺の地声は完全に男性のそれなので会話の際にはどうしても顔を寄せて囁くように話さなければならない為、端から見たなら仲の良い恋人か何かに見えるかもしれないが、腰を抱かれてエスコートされるなど当然初めてなので落ち着かない。
 ついでに言えば、ローと身体の側面が触れ合う所為で若干歩きにくい。世の女性がこういった体勢に憧れる理由は、来世で女に産まれない限り俺には理解出来なさそうだ。

 正面ホールは立食と歓談の為に解放され、全長十メートルはある長方形のテーブルが横に四つ並び、奥行きが目測で三十メートルを越すであろう室内のおよそ三分の一を占める。
 壁に添って休憩用の椅子が等間隔に置かれ、立食スペースからやや離れた所には脚の長い丸テーブルが縦横三列で配置されていた。それぞれの場所に参加者が点在しているが、メイン会場は別室とあって決して混んではいない。

「てっきり全部の催しを纏めて一室でやるのかと思ってた」
「ダンスホールには楽器隊も常駐するからな。一緒くたにするには広さが足りなかったんだろ」

 このホール左手には別室へと連なる通路があり、脇にボーイが一人立つ。食事の存在を意に介さずそちらへ足を運ぶ参加者に「舞踏会専用ホールへは此方をお進みください」と案内している言葉の通り、廊下の先からは絶え間なく生演奏の音色が聴こえる。
 踊り疲れた客が此処に集まり始めれば人混みに紛れやすくなる代わりに動きにくくもなるが、今ローの脳内にはどんな案が浮かんでいるのだろう。

「……おー、……凄い」

 そんな思考も、行き着いたテーブルの上を見て一旦頭の隅に退いた。立食式の為フィンガーフードの割合が多いが、彩り豊かな品の数々が銀盆に飾られた光景はただ綺麗だ。

 フランスパンを土台にしたピンチョス、果物やクリーム系がクラッカーに盛られたカナッペ、真四角に切り分けられたサンドイッチなどが乗る楕円形のプラッターが食卓の中心線に添って隙間なく置かれ、カトラリーを要する類いの料理とデザートが周りを囲う。
 恐らく最初で最後の光景、しかもまだ客が少ない影響で殆ど手付かずの整然とした見た目なのに、電伝虫で撮影出来ないのが残念だ。

 一番目を引くビュッフェテーブルの中央、三段トレイに盛られた多種多様なプティフールまで一通りの品を眺める。何だか手を付けてしまうのが勿体ないが、高級だろう料理の数々を無料で味わえる機会を逃す方が更に勿体ない。

「えー、何これクリームが花になってる、可愛い」
「料理に対して可愛いって……お前、発言まで女みてェだぞ」
「そう言うトラファルガーさんは、料理見て『わーこれ可愛いー』って反応する女の子に覚えがあるんだ?」
「…………」

 会話の内容故に声量こそ小さいがしっかり笑みを含んだ声色でからかわれ、お返しに視線を合わせて態とらしく首を傾げながら言い返すとローの視線が少しだけ逸れた。
 酒場でもパン屋でもカフェでも、凝った仕事により生み出された料理に顔を綻ばせる女性は居るので、いつの間にかローの中へそうしたイメージが根付いただけかもしれないが。

 



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