スーツとドレス、それぞれの衣装を纏った後ろ姿が見えなくなって暫し。この宿から城まではのんびりと歩けば二十分はかかる。

 そろそろ到着しただろうか。であれば、無事に城内へ入れただろうか。
 それなら一体いつ頃に、船長さん達は動くのだろう。夕食を作ろうと一階のリビングに降りてはきたものの取りかかる意欲が湧かない。

「アンヌ、そう気を揉んでばかりだと良くないよ。僕等がトラファルガーさん達に出来る事は終わったんだ。少し休みなよ」
「うん……」
「にしても、アルトさんてば化けたな。びっくりした。眉が少し太いのも寧ろ凛々しい印象になるし、化粧映えする顔立ちだったんだな。アンヌ良い仕事したじゃないか」
「……うん」
「……。マリアンヌ」

 幾分改まった語調で呼ばれ、知らず窓の向こうの夜道へと向けてしまっていた視線を室内に戻す。
 ウィルヘルムは呆れたような、けれども自惚れて良いのなら私を心配してくれている目の色をしてテーブルにつき、頬杖をついて此方を見ていた。

「彼等は海賊だ。しかも今までに海軍がわんさか集まったシャボンディもマリンフォードもくぐり抜けて、二人で合計三億近い額が懸けられてる賞金首だぞ。この国の警備隊が弱いとは思わないけど、何かあってもきっとあの二人には敵わないさ。だろ? 海賊の実力認めるのも変な話かもしれないが」
「…………」
「まあトラファルガーさんもアルトさんも揃って丸腰なのはちょっと心配だけど、作戦を聞く限り二人が危ない目に遭う可能性は低そうだし」
「それは、二人の正体が誰にもバレなかった場合でしょう?」

 ぽつりと呟くと、ウィルヘルムも惑った表情に変わる。私の言葉の通りであるからだ。

 ウィルヘルムが私を少しでも安心させようと言葉を紡いでくれている事は頭ではきちんと理解をしているし、これは最早八つ当たりにすら近い。
 けれども胸中の不安を無理矢理に打ち消してしまえる程気持ちを巧くは切り替えられなくて、つい反対意見が口をつく。安心したがっている筈なのに、自ら不安を育てるような話題を選んでしまう。

 この数日、船長さんもアルトさんも殆ど貸し部屋に籠って何かしらトレーニングをしていた。時折間食や飲み物を持って行ったけれど、特にアルトさんは熱心だった。
 時間帯こそ疎らでも毎日必ずヒールを履いて壁際のスペースで練習をして、空き時間には私がスリットのアレンジを任されたパーティードレスの試着をし、感想や意見を出して改良に付き合ってくれた。アルトさんに頼まれて書店で買った女性向けの雑誌の、舞踏会を特集したページを読み込んでいる姿も見かけた。

 その努力は傍に居た船長さんの方が余程解っているだろう。何より、私の心配は何処か薄っぺらい。
 此方から二人に縋っておいて、期待を課しておいて、半端に罪悪感も抱いている。任せたならば信じるべき所を、こうして案じてしまっている。

 きっと大丈夫。そんな風に自分に言い聞かせてやれる程、私は彼等を知らない。

「アルトさんはともかく、船長さんは変装してないもの。端正な顔立ちだから手配書を覚えている人が見れば気付かれる可能性だって高いわ」
「まさか海賊が礼服着て舞踏会に出席するだなんて誰も思わないよ。トラファルガーさんは今夜あの特徴的な帽子だって被ってないし……第一、心配し始めたらキリがない。ハートの海賊団が上手く隠し部屋の秘密を暴いてくれると信じて待つしか、」
「作戦そのものに不安はないわ! 兄様はアルトさん達が心配じゃないの!? 賞金首だと判明したら警備兵だって容赦しない、怪我するかもしれないじゃない!」

 私が作戦の失敗だけを恐れているとでも思っていそうなウィルヘルムの言い様に、思わず語気が荒くなる。向かい合うヘーゼルの瞳が少し困ったように揺らいでも私は発言を撤回出来なかった。

 幾ら協力関係にあるからと言っても、海賊の身を案じるだなんて本来可笑しな事だとは解っている。
 解ってはいるが私はもう、トラファルガー・ローとアルトという二人の人間と関わっているのだ。此方の事情に巻き込んで、期待を背負わせて、願いを託したのだ。

 もしも彼等が血を流す羽目になったなら、あの時アルトさんに手を伸ばした私にも原因が在る。それが恐ろしいのだ。

 ──コンコン、

 場の空気が張ったタイミングに合わせたかのように不意に響いたドアノッカーの音に、肩が跳ねた。反射的に息を詰めてウィルヘルムと無言で目配せをする。

 ──コンコンコン、

 今しがた二度鳴った硬質な音が、次は三回鳴る。船長さんから聞かされていた合図だ。
 友人が突然尋ねて来た訳ではなかった事に安堵しつつリビングを出て玄関に向かい、施錠していた扉の鍵を開けて手前に引き開けると同時に、背後でウィルヘルムが階段を昇る足音が聞こえた。

 扉の向こうからは数人の男性が顔を覗かせ、最前に居る防寒帽を被った一人が手提げ袋を掲げながら会釈を寄越してきた。船長さんとはまた異なる落ち着いた雰囲気を持つ所作につられて私も同じく会釈を返す。

「オズワルド兄妹で合ってるか?」
「はい」
「俺はペンギンと言う。宿を貸して貰えるとの事だが急に悪いな、助かるよ。船長から話は聞いているかと思うが一応身分証明をしておく」

 ペンギンさんが口を開けた袋の中を見下ろす。畳まれた衣服か何かが入っていて、出会った初日に船長さんが着ていたパーカーに描かれていた物と全く同じジョリーロジャーが刺繍されていた。

 小さく頷いて一歩後ろに下がり、室内への道を開ける。ぞろぞろと足を踏み入れるハートの海賊団クルーの最後尾の男性が入った所で、再びドアを閉ざして施錠した。

「この奥は私と兄の居住スペースになりますので、二階へどうぞ。念の為に外から見えにくい客室を兄がご案内します。部屋に在る備品は自由に使って頂いて構いません」
「分かった」
「ありがとなァ嬢ちゃん」
「サンキュー」

 ペンギンさん以外にも数人が似た袋を抱えて階段を昇ってゆく。
 晒されている腕の肌に刺青や傷痕がある人も居て、恐らく標準的な体型だろう兄より大分鍛えられていると判る体躯の男性達の背を見送っていると、じわじわと染みが広がるようにして再び不安感が頭を擡げ始めた。ただし今度はいよいよ作戦の実行が迫った事でもどかしさも混在する。

 私が助力出来る範囲は此処までなのだろうか。事の発端としてもう少し何か担えないだろうか。

 着替えを終えた船員達が階下へ戻るのを待つ間、自問ばかりを繰り返していた。
 



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