夕陽が顔の半分以上を既に地平線の下へと隠し、上空を覆う群青の膜が街全体の色調を変えてゆく。
 そろそろ夕刻五時になろうかという中で前方に伸びる林道の先にぽつぽつと橙色の灯りが点き始める現在、昼間に比べ涼しい空気が頬を撫でる屋外で掌に乗る小電伝虫を見下ろす。舞踏会の開始まで三十分を切っていた。

「裏門? 想定してなかった訳じゃねェが、意外だな。正門に配置して客に安心感を抱かせようとするかと思ったが」
『正門では招待状の他に手荷物のチェックもするんですが、防犯対策はそれで良しと思っているようで……食事もナイフが必要ない物を用意してるとの事です。なので賊の侵入が危ぶまれる裏門に警備隊長を配置するんだそうですよ。あ、隊長の名前はダリウスです』
「仮にも自警を担う奴等がよくそんな事情まで喋ったな」
『シャチが結構良い仕事してくれました。アイツは見聞きした事にはしゃいで褒めそやす態度が自然なので、取材を繰り返す内に警備隊連中の一部が気に入ってくれたみたいです』
「上出来だ。頃合いを見て準備に取りかかれ」
『アイアイ。二十分ほど経ったら移動開始します』

 念波の接続が切れて目を閉じた小電伝虫を懐に仕舞い、首周りへ布地が添う不慣れな感覚に無意識に喉元へと触れる。
 滑らかな生地で作られたネクタイの結び目をなぞってから背後に向き直ると、沈黙を守り続けている宿屋の扉を引き開けた。

「あああロー待って心の準備が!」
「長ェ。いつまでやってんだ、腹括れ。普通に似合ってるぞ」
「そりゃどうも……」

 ノブを掴もうとはしていたのだろう、中途半端な位置に片手を浮かせたアルトが情けない声を上げる。
 見たままの感想を告げてやると弱々しい語調の返事が寄越されたが、女装が似合うと言われて喜ぶ男はそうそう居ないので当然の反応かもしれない。

 アルトが自ら選んだドレスは胸元があまり開いておらず、肩から手首にかけて袖には総レース素材が使われ、身体が纏うシルク生地は控えめな光沢を持つ紺一色というシンプルな品だった。胸にチューブトップと呼ばれる女性用下着を着け、詰め物をして体型を偽装している。
 背中は肩甲骨の輪郭が若干覗く程度には開いているものの、身体が男のものであると易々看破されてしまうような見た目ではない。

 喉仏を隠す為にシルクのリボンを首に何周か巻き付けてサイドで蝶結びを拵え、その結び目の中央にコサージュを着け、喉仏と首の太さを誤魔化している。その他装飾品と言えそうな代物は首のコサージュから垂れ連なるパール飾りと耳朶を彩るイヤリングのみになるが、これ位で充分なように思う。

「調節は済んだのか」
「マリアちゃんがやってくれた。脚を動かせる範囲が限られちゃうからどうしても歩く時は小股になるけど、女のフリするんだし寧ろその方が良いよねって事でこうなった」

 無地であるアルトのドレスには一箇所、印象を地味の一言で終わらせない工夫がしてある。脚の左側、腿の半ばから裾まで縦一直線にスリットが入っていたのだ。
 流石にそれを堂々と着こなす気概をアルト本人は持ち合わせておらず、俺もそのまま着ろとは言えずに妹へアレンジを頼んだのだが、動きやすさや見た目に関して二人であれこれと昨日まで悩んでいた。

 結局昨夜、でなくば今朝出来上がったのだろう。スリットの腿から膝上にかけ片側にパールを模した飾り釦が縫い付けられ、もう一方の側にはそれを嵌める為の穴が作られて、それ等を閉じる事で肌を露出させる面積が減っていた。これだと確かに脚を動かせる範囲は限られる。

「布同士を縫い合わせた訳じゃねェんなら、いざとなりゃ脚は出せるな」
「えっ……出す必要性に迫られる場面あるの」
「作戦が成功すれば現場は混乱でそれなりにごったがえす。悠長に歩いて逃げられる状況にはならねェ筈だし、そんな服じゃまともに走れねェだろ」
「……………」
「女みてェに横抱きで連れ出してやろうか」
「やだよ。走らないといけなくなったら半分だけ釦外す」

 外の空気に触れた事で躊躇が吹っ切れたらしいアルトがピンヒールを履いた足を踏み出す。連日の練習により姿勢も大分安定し、小ぶりなパーティーバッグから連なるチェーンの持ち手を腕に引っかける仕種にもぎこちなさはない。
 小石や枝こそあまり落ちていないものの市街地のようには舗装されていない道を歩き出したアルトを横目に一度頭上を仰ぐ。宿屋二階の窓から此方を見る妹と目が合った。

 兄妹には『作戦』を伝えたからだろう、憂いの滲む眼差しを気まずげに逸らす様子を一瞥して俺も顔の角度を戻す。

「これはお前が持っておけ。受け付けで提示が必要になる」
「ん、じゃあ鞄に入れとく」

 兄妹に贈られた招待状を道すがらアルトへ手渡す。出席する場合は参加人数と参加者の名前を当人が紙面に記入するものであった為、オズワルド兄妹の名前を城側に知らせる事なく偽名を使う事が出来る点が幸いだ。

 普通ならばこれだけ大掛かりな催しでは参加者の名簿を作って入り口で招待状と照らし合わせそうなものだが、今回の舞踏会ではチラシを読む限り二時間ごとに参加者の入れ替えを行う。長々とは楽しめない代わりになるべく参加人数を制限しない形を取っており、入場も招待状の提出だけで済む。
 入退場時の整列に際する誘導や案内の手間を考えると、逐一確認に時間を割いていられないのだろう。此方としては有難い。

「しかし、メイクとはよく言ったもんだな」
「どういう意味の感想?」

 普段よりも近い位置に在るその顔を見下ろしながら呟けば、アルトが眉根を寄せる。

「良い意味だ」
「……本当にー?」
「嘘ついてどうする、門前払い喰らいてェ理由もねェだろ」
「そうだけど。……もう既に顔面が疲れてる……」

 化粧道具で肌の表面を整えられ、目の幅を広く錯覚させるアイメイクを施されて睫毛も長く伸ばし、唇には肌に馴染みやすいピンクとベージュの中間色を乗せたアルトは、一見すると背が高くて体型がしっかりしている女に見える仕上がりになっていた。肩幅が流石に同年代の女と比べて広いが、違和感を抱かせる程の差ではない。

 褒められたなら喜んでおけば良いものを、と言える事例ではない為二言目を継ぐのはやめておいた。試しに綺麗だとでも告げれば寧ろ拗ねさせそうだ。
 



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