アルト。年齢、出身、ファミリーネーム不明の、ハートの海賊団クルー。二つ名は"ケルベロス"。
 何故か一人だけハートの海賊団の目印でもあるつなぎを着用しておらず、トラファルガー・ローの傍に控える姿が度々目撃されている。交戦経験の在る兵の証言を元にした推定では悪魔の実の能力者であり、武装色の覇気の使い手。何の実を食したのかもまた不明。
 素性を辿れどハートの海賊団加入より前の経歴が全く判らない事、それから彼が海軍との戦闘時に取る行動の特徴から、軍の間で比較的有名なルーキーの一人だ。

 直接相対したのは初めてだが、確かに人柄が掴めない。本部兵の白眼視には流石に居心地悪そうにしていたものの、彼等を睨み返すような事はしなかった。
 今もまるで世間話をするような調子で自らへの風当たりの強さを当たり前だと受容して、不機嫌に思っていそうな様子には見えない。物分かりの良さが、私の知る海賊達に比べてアルトという人物に違和感を覚える原因だろうか。

「……検査は、しません」
「へえ。ちょっと意外です」
「貴方が武器になりそうなものや、種類が何であれ電伝虫を持ち込んでいるなら、トラファルガーも貴方も即刻取り押さえられます。…あんな事までして本部に入ろうとしておきながら、そんなお粗末なミスをするとは思えません」

 決して口には出さないが、脈動する心臓が寄り集まった光景は些か堪えた。つい思い出しそうになる光景を追い払うよう軽く頭を振ってアルトに向き直る。

「貴方に、会ったならば訊いてみたい事がありました。……何故、海兵に対して手加減をするんですか」

 アルトの戦い方の特徴というのは、基本的には海軍兵に重い怪我を負わせないというものだ。酷くてもせいぜいが骨折で、それも手足ばかり。
 肋骨、背骨などの後遺症や致命傷に繋がりかねない部位は避けられ、頭を容赦なく殴られたという報告も知る限り聞いた事がない。腹を殴られても内臓破裂などには至らず痣どまり。
 更には首を締め上げられて昏倒、或いは悪魔の実の能力により呼吸困難に陥り戦う事も叶わず身体は無傷、という結果もかなり多いらしい。

 アルトと戦闘した兵の負傷報告のみそんな内容が相次げば、アルトが態と加減をしているのだと此方も察しがつく。帰還した兵は皆、手放しで生還を喜べはしない程悔しがるのだそうだ。

「全力で相手をすれば殺しかねませんから。俺個人も人を殺したくて海賊をやっている訳じゃないし、自分の気が重くならないやり方で自衛してるだけです」
「…貴方は相手の呼吸を奪うような能力を使うと報告を受けています。此方が一騎討ちを申し込んでもその能力で撹乱して、気絶させてしまうそうですね」
「そりゃ、俺は怪我したくありませんしね。…此方のそういった態度に不満や憤りを感じると言うなら、己が恥じないで済むだけの実力を身に付けた上で、当人達が俺へ挑みに来れば良い話かと。貴女がたの矜持を尊重する義理はありません」
「っ、………」

 私の問いに最初こそ不思議そうに首を傾げたが、以降アルトは全くと言って良い程表情が変わらない。双眸だけが、私が言い募る内に少しばかり細められた。

 この男の意見は間違ってはいない。彼に敗けたのは海兵が弱かったが故で、容赦されて悔しいのであればそうさせないだけの戦力になるよう鍛練に励めというのは、その通りではある。
 ただしどんな正論であれ、市民の生活や安全を脅かす存在である海賊から突き付けられると無性に歯痒い。

 海賊との戦闘を経て無事に帰着した海兵本人の心情さえ除けば、それぞれの家族や友人、恋人にしてみると彼等が生きて帰って来てくれる事が何よりなのは間違いない。けれどもあまりに淡々と返事をするアルトの態度はどうにも、何だかやりきれない気持ちにさせられる。

 本人への質問は叶い、返答も得られたもの、気分が浮いたかと言えばそんな事はない。
 海軍と見れば容赦なく凶刃を振るう海賊が蔓延る世の中で、どうしてアルトは手ぬるい方法しか取らないのか疑問に思っていたが、答えを聞いたところでアルトを見る目は変えられそうになかった。やはり賊に身を堕とした人間は幾らか良心が欠けているのだろうか。

 そんな思考が生まれてふと、砂漠の国で一国の危機を救う為に奔走していた麦わらの一味と、大罪人とは言え火拳のエースただ一人を救出するべく旧海軍本部へ集結した白ひげ一派が思い出される。
 芋蔓式に当時のマリンフォードにおける海軍の奮戦──出来れば私はそう呼びたい──も脳裏に浮かんで、余計な方向へと転がりそうになる心情を保つように一旦深呼吸をした。

「…どうぞ、かけてください。トラファルガーがいつ戻るのか分かりませんから」

 お互いに入り口付近で立った儘話をしていたので、遅ればせながらソファーを指す。幾ら犯罪者が相手でも流石に直立姿勢で待機させては酷だ。
 アルトは素直に頷いて踵を返し、壁に寄り添うように置かれたソファーへ腰を降ろす。そうして無言の数秒が過ぎた後、おもむろに私の方へと顔を向けて小首を傾げた。

「あの。大佐さん、座らないんですか?」
「えっ? いえ、私は仕事中なので…」
「中将さんは立ってろとは言ってなかったし、良いんじゃないですか? というか俺が女性を立たせて自分だけ寛ぐ野郎になりたくないんで、寧ろ座ってください」
「……は、…」

 恐らくは今、私は間の抜けた顔をこの男に晒している。
 心臓の山を目の当たりにする時もそうだったが、アルトはまるで私をただの女として扱っている節があると思うのは勘違いでも自惚れでもないだろう。敵陣の只中で困ったような苦笑を見せるアルトの言動は、やはり真意が読めない。まさか本心からそんな気遣いを寄越している訳でもないだろうに。

 何と言葉を返したものか迷っていると、その間も此方を見ていたアルトが緩慢な動作で腰を上げた。真っ直ぐ近寄ってくる様子に左腰の刀へ意識を遣るも、前置きなく右の手首を掴まれて今度はそちらに注目してしまう。

「ちょっと…、何するんです!?」

 腕を引かれてソファー前まで連れられ、足が止まって手首を離されたかと思うと次に両肩を掴まれ、上半身が少し後ろへ傾くように押された事で踏ん張りがきかずに半ば強制的にソファーへ腰掛けさせられた。
 殺気や敵意こそ感じないとは言え慌ててアルトの腕を掴んで自分の肩から手を退けさせながら見上げると、顔を合わせてから初めてアルトが含みのない笑みを口端へ乗せた。

「中将さんが戻って来た時、座ってる事に対して何か言われたら、俺に無理強いされたと言ってください。事実ですしね」
「…………」

 本当に、何を考えていて何がしたいのか読めない男である。


 



( prev / next )

back


- ナノ -