「そんな危うい賭けのような事をする訳にいきません! それこそが貴方達の罠で、此方が無関係の人を傷付けてしまう可能性だってあるんですから…!」

 気丈にも意見してくる大佐の眼鏡越しに在る瞳は不信感と警戒を内包しているが、己の上官が動かないので彼女も自分の武器には手をかけない。
 相手次第ではローや俺に心臓の持ち主を吐かせようと武力で突っかかってくる想定もしていたので、話が穏便に進んでいる現状に少し安心する。

 この場で最も発言力の強いスモーカーは暫し眼下の心臓の山を見下ろした後、全長が俺の身の丈程もありそうな十手を背中側に回して手を離した。ホルダーでも装着しているのか十手は其処に収まる。

 一先ず交戦の構えを解いたスモーカーに、周りの海兵が揃って瞠目する。部下の動揺の気配を背に受けているだろうにそちらには目もくれずローを見据えた鋭い双眸は、数秒の間を挟んでから視線の動きで背後を指した。

「このリストの真偽が明らかになるまで、てめェ等二人の身柄を丸腰で本部内に拘束しても構わねェと言うなら話は通してやる。土産をお偉方が気に入るかどうかは知らねェが、"死の外科医"の知名度は"七武海"加盟基準に達しちゃいるだろう」
「ああ、それで良い」
「スモーカーさん…!」
「中将殿!?」

 加入が叶わなかったとして俺とローが無傷で返される保証はなく、仮にそんな口約束を交わしても無法者との話など無かった事にされそうではあるが、海楼石を使った手錠なり部屋なりで動きを制限されても俺には効かない。ローの能力を使えば本部からの脱出も難しくはない筈だし、最悪海に飛び込む羽目になっても俺が泳げる。

 ローも折角中将の一人を頷かせておきながら異論を唱えるつもりは無いようで、浅い首肯で応えると足を踏み出した。
 海兵が皆して非難にすら近い視線を刺してくるが、他でもない上司が下した決定なのだから俺達を睨まないで欲しい。

 俺とローを挟んでスモーカーが先頭、女性大佐が後ろにつき、その後ろをぞろぞろと下級兵が着いてくる。正面玄関をくぐると、中将の後ろに続いて歩くローの姿を目にした海兵達がこぞって目を丸くした。
 俺達はどうみても逮捕されてなどいないが、武装してもいないし、海楼石での拘束すら無い。まさか迎撃に出た筈の中将が、丸腰とは言え船長と部下を自由の身の儘で連れ帰ってくるとは思わなかったのだろう。

 廊下を進み、階段を昇る間にも後方の気配は増え続けて、一枚の扉の前でスモーカーが足を止めた頃には三十人ほどの集団になっていた。

「犬っころは此処で待機だ」
「中将さん、その呼び方は出来ればやめてください…」
「たしぎ、お前がそいつを見張っておけ。ローは来い」
「……分かりました」

 俺の二つ名に対する揶揄のつもりか、まさかの犬呼ばわりで一言告げてきたスモーカーが次に女性大佐を見遣る。少々聞き慣れない響きだが「たしぎ」が名前だろう。

 長い廊下の向こうへスモーカーとローのみが歩み去る今、地位の低い兵は其処に同行出来ない事もあってか、この場に集まった全員の眼が俺に向けられている。露骨に罵倒されないだけまだ良いものの、決して気分は良くない。

「貴方達、見世物じゃありませんよ! 各自持ち場に戻ってください」
「しかし……たしぎ大佐、この男の監視にはもう何人か付けるべきでは?」
「自分もそう思います。海賊と同室など何をされるか…。せめて海楼石の手錠を嵌めた方が良いかと」

 こんな空気では手が出されなくとも非難の雨は浴びるだろうかと幾らか気分が落ちるが、彼等の言い分が理解出来ない訳ではない。
 何だかんだと俺自身も初頭手配から今日までの間に何度か懸賞金額が上がった、イコールそれだけの事はやらかしてきたので、海軍にしてみれば優位な立場から無抵抗の海賊の生死を左右してやりたいという欲が在っても可笑しくない。道徳や倫理の観点は横に置く。

 ただしそれなりに実績を積み、職務ひいては信条が故、はたまた自分が生きる為に海賊を手にかけたり捕縛した経験が多いであろう将校に何か言われるならともかく、戦歴の浅い一般兵にやたら上から物を言われるのは正直御免だ。目下進言している二人の男性海兵も、そもそもの発言が推察に欠けている。

「その必要はありません」
「しかし…!」
「拘束にせよ監視にせよ、必要であれば先程スモーカーさんから指示が出た筈です。私で事足りるとスモーカーさんが判断したのは、トラファルガーを含め二人に攻撃の意思が無いからです。それを無視して過剰に待遇を悪くしては、非情という点でそれこそ海賊と同じになってしまいますよ。……"ケルベロス"、貴方は此方へ」

 たしぎが案を退けても尚部下達は無言の者も含めて何か言いたげではあったが、話は終わりとばかりに促される。
 引き開けられたドアの中へ足を踏み入れるとたしぎも追って入室し、扉が閉まると共に小さく施錠らしき物音も聴こえた。

「………」
「………」
「…部下達の言動については、詫びませんからね」
「えっ? ああ、別に謝って欲しいとまでは思っていませんから構いませんよ。海賊が此処に居たらそりゃ嫌でしょうし」

 思ったよりきちんとした部屋である。ソファーとテーブルが一つずつ置かれ、コンロと流し台、食器が入ったバスケットまである。日頃も客人を一時待たせる際に使われていそうだ。

 そうして予想以上に此方の扱いがまともな事に若干驚いていた最中にふと声をかけられ、しかも内容が意外だったので思わず一声漏らしてしまったが、直ぐに頷きを返す。
 俺とて相手が海兵というだけで交戦に持ち込んだ過去は最早数えきれないし、個人ではなく身分だけを見ているのは軍も賊もお互い様だ。

「心配であれば、身体…と言うか、持ち物検査でもしますか?」

 けれども俺が問いを返すと、今度はたしぎが瞳を丸くする。
 かと思えば眉が少し寄せられ、真っ向から気の強い眼差しが寄越された。

 



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