ぱちりと瞼を開けた黒電伝虫が、極寒の気候に文字通り身を凍らせる事もなく、不揃いの歯が生えた口も開く。
 唇まで出来ている少し不気味な面のそいつが次に生み出した声色に、思わず鬼哭を握る指の先へ力が加わった。

『────しもし、おれはルフィ! 海賊王になる男だ!』

 モンキー・D・ルフィの声を真似て、黒電伝虫は第一声を放った。"麦わら"の肉声は女ヶ島にて本人が瀕死状態から意識を取り戻した直後の錯乱したものしか直接聞いてはいないが、間違いない。名乗ってもいる。

 あれ以来、新聞で存命が確認されたのは『十七点鐘』の一件だけだった。およそ二年に渡り何の動きも世間には報じられなかったが生きていたようだ。
 だとしても胸の傷は癒着が上手くいった場合でもそれなりの痕に──と飛びかけた思考を、別の音声が引き戻す。

『助けてくれェ〜! あァ…寒い…ボスですか…!? いやボスじゃ…… ──仲間達が…次々に斬られてく……! サムライに殺される〜! 其処、何処だ!? 誰でもいいから助けて…此処は"パンクハザード"、ギャアアア〜!!』

 "麦わら"と別の男の声が代わる代わる喋る。
 パンクハザードで使用している電伝虫は寒さで死なないよう防護ケースに入れて持ち運ばれている筈だが、吹雪の所為で念派を飛ばしにくかったのか、音声の合間には度々ノイズが入り込んだ。

 最後に血を吐く真似をして沈黙した黒電伝虫が語った内容に舌打ちしそうになるのを、奥歯を噛んで堪える。

 アルトの脚は贔屓目なしに馬をも越える速さだ。侍の襲撃騒ぎの折も、戦線から退いて報告に戻ってきたパトロール部隊の話を受けた俺がサークルと能力を使って現場付近まで向かうほんの五分足らずの間に、アルトは侍の元へ着いていた。
 その際に見知らぬ相手へ緊急信号を発する阿呆を見つけたなら、流石にやめさせているだろう。

 恐らくあいつが動いた時にはもう、よりによって無人でなければならない島の名を明言したこの通話は終わっていたのだ。

 先のやり取りを何故Gファイブの船が傍受し得たのかまで知りたいとは思わない。ただただ、此方にしてみれば不運だった。小電伝虫が飛ばせる念派の範囲は通常サイズの電伝虫に比べれば狭いが、それでも半径数十キロ先までは声を届けられる。
 パンクハザードへ侍が上陸した頃、麦わらの一味が近海を通り、またGファイブも遠くない場所に居た。タイミングが合ってしまっただけの、それ故此方も咄嗟の工作などしようもない事態。

「島の名前…"寒い"という気候…。声の主はこの島から信号を送った事で間違いないのでは?」

 この通信記録があるからこそ強気に乗り込んできた癖、俺の口からイエスと言わせようとする女海兵の確認には答えずに目線だけスモーカーへ合わせる。
 身体の向きは若干女側へ向けているものの、スモーカーの視線は俺の顔から外れようとしないが、そんな風に探られた程度でボロを出す程に柔なつもりは無い。

「"麦わら"のルフィは知ってるな? 二年前、シャボンディで起きた天竜人ロズワード家の一件でお前と"キッド"、"麦わら"は共闘してる。更には頂上戦争では、"赤犬"に追われる"麦わら"をお前は逃がした……!」

 だから何だと言うのか。今聴いた通信記録が本物だとして、麦わらの一味がパンクハザードに降り立てど俺が過去の縁からまたもや命を見逃すとでも思っているのだろうか。そんなものは相手次第だ。或いは、既に匿っていると疑われているか。

「用件は何だ。緊急信号の捏造はお前ら海軍の十八番だろう」
「残念ながらこの通信はウチで作った罠じゃない」
「どうだかな……俺も知らねェ話は終わりだ」

 少し視線を上向ければ、ほんの数十メートル離れた河岸に、甲板の三方向へ大砲を搭載した軍艦が見える。人影は無い。
 まさか船番を置かずに全員で乗り込んでくる気かと思わず眉を寄せそうになるが、無人なら無人で都合が良い。切断する必要が生じても、適当な箇所を斬ったところで損害を被る対象は無機物に限られる。

「つまらん問答はさせるな。研究所の中を見せろ」
「──今は俺の別荘だ……断る。お前等が"捨てた島"に、海賊の俺が居て何が悪い。此処に居るのは俺とアルトの二人だ。"麦わら"がもし此処へ来たら首は狩っといてやる、…話が済んだら帰れ」

 拒絶の即答に、下っ端海兵の幾人かが身動いだ。眼前の二人は動かない。

 スモーカーが僅かに下顎を動かす所作に合わせて歯列に挟まれた葉巻が揺らぎ、発言の為にか息を吸い込んだ事が葉巻の先に居る焦げの拡がる速度で知れた折。
 ──この場において聞こえる筈の無い、甲高い女の声による「きゃあああ!」という叫びが背後から届いた。

「恐かったよ〜! 氷った人達〜!」
「でも見て、ほら! 扉よ! 此処から出られる!」
「やった〜」

 複数の人間が一斉に駆ける、騒がしい足音。馬の蹄のそれは混じっていない。
 入り乱れる声の中にどうにも幼い子供のものが入り込んで聴こえ、スモーカーを前に顔だけでも振り向かせるべきか迷った直後、傍らの扉が内側から勢い良く押された。

「ハチャ〜! 外だ〜!」

 一頭の、服を着た寸胴体型の獣が飛び出して来た。と思えば何を血迷ったか上半身にビキニを一枚着けただけの女、背丈も図体も疎らな推定十代前半からそれ以下の子供が複数人、更には鉄製の四肢を携えた人間なのかサイボーグなのか判然としない男。
 それからつい数刻前に俺の能力で分割した筈の、しかし復元された侍の頭部を抱えた金髪の若い男が続々と屋内から現れて、寒いだの何だのと喚き散らす。

 何が起こっているのかさっぱり掴めない。そもそもこれだけの大人数が今の今まで一体研究所の何処に身を潜ませていたのか、直ぐには心当たりが浮かばない。
 子供達が揃って粗末な検査着に近い薄っぺらな衣服を着ている点からして、真っ先に連想するのはシーザーの顔だ。秘密裏に監禁していたとしても意外どころか腑に落ちさえする。

 俺だけでなくスモーカーも判断と行動に悩んだらしい一拍の間の後に、ふと橙色の髪を腰まで伸ばした女が獣に抱きつきながら此方を向いて、大口を開けると同時に目を丸くした。

「あ〜! アンタ見覚えある!」
「そうだ、シャボンディに居た奴だぞ!」
「まさか子供達閉じ込めてたの、アンタ!? この外道! この子達返さないわよ!」

 物言いと声、髪色で、横の女が"泥棒猫"であると遅ればせながら気付いた。であれば隣の獣も青い鼻から察するに麦わらの一味のあのトナカイもどきなのだろう。
 いつどうやっての事なのか、本当にパンクハザードへ上陸したばかりか研究所への侵入も果たしていたようだ。

 海軍が動くより先に、上級海兵の顔と名前を覚えているらしい"黒足"が全体へ向けて退却の号令を出した。慌ただしく走り始めた一同の背中が鬼哭の切っ先も届かない距離まで離れた頃に、じわじわと諦念が腹の底から滲み出てくる。
 これ以降はもう、嘘もハッタリも口に出す意味は無い。

「…………! 居るじゃねェか、何が二人だ!」
「……居たな…。今驚いてる所だ…」

 さしものスモーカーも今の光景から島内で何が起きているのか推察するのは難しかったのだろう、喧騒の中で苦情じみた一言が寄越される。

 それに返事をしつつ寒風に冷やされた手指を一度開閉し、鬼哭を左手に持ち換えた。
 こうなっては、海兵を一人たりとて逃がす訳にはいかない。応援を呼ばれるのも、シーザーの協力者だと誤解されるのも、児童誘拐という無実の罪で称号を剥奪されるのも全て御免だ。

 



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