「シーザーの野郎、侵入者の顔を八分割したと言ったら、対面に難のある状況を作った責任として使用航路と上陸動機の聴取はこっちでやれと返してきやがった」
「そりゃそうでしょうよ…グロいの弱い人なら泣いて気絶するよアレ……」
「仕事増やされたんで、身体が刀持ってる儘な事も、あの男がワノ国の侍だろう事も言わなかったがな」
「ローってシーザーの事すげー嫌いだよな」
「そう言うお前は」
「今のところ人生で一番いけ好かない」

 部屋に戻れば既にローも来ていた。コートをハンガーにかけながら面倒くさそうに眉を寄せるローの言葉に、我ながら珍しくシーザーの意見に同意しつつ頷く。今しがたその八ピース顔面パズルに絶叫したばかりだ。
 けれどもこれは、好都合かもしれない。

「あのさ。侍さん、自分の八歳の子供を探して上陸したって言うんだけど…」
「……ァあ?」

 ローの口から、語尾の上がった疑問の声が上がった。完全に威圧の声色だが本人は単に驚いているだけである。
 この様子だと、ローにだけは幼子の漂着が伝えられている等といった事もないのだろう。

 倣って上着を脱ぎながら告げた言葉に、ローは鬼哭を椅子の背に立てかけようとした姿勢で一旦動きを止めて宙を見遣り、次にテーブルの木目へ目線を落とす。

「……嘘だと決めつける理由も、本当だと信じられる根拠もねェな。仮にガキが居るっつう証言が事実で、例えばパンクハザードの目の前で船が難破したんだとしても、煮えたぎる側にしろ流氷だらけの方にしろ、島周辺の海中に人間が落ちたらその場で即死だ。シーザーが撒かせてる毒ガスもある」
「……あ、そっか」
「波に流された子供が自力で泳いで島に上がるのを見たから自分も上陸した……と言われても、ああそうかとは思えねェ。先に上陸手段を喋らせた方が良いかもな」

 島の周囲の環境を上陸初日以来は見ていなかったので念頭から退いていたが、言われてみれば近海はとても人が泳げる環境ではない。
 侍の男の衣服が全く濡れていなかった点からもそれは読み取れた事だが、初対面の際は話し合いが成立しない状況に多少焦れていて、ローが合流してからは顔パズルに気を取られて思い至るのが遅れた。

 やはり幾らか、俺は目に映るものから情報を読み取ろうとする意識に欠けているかもしれない。パンクハザードの地において緊張を弛めたつもりはなかったのだが、同じような毎日を繰り返す内に知らず知らず今の環境に意識が慣れてしまっていたのだろうか。
 シーザーの根城に泊まっているだけでも何が起こるか分からないのに、実際に生じた不測の事態に際して目先の事にしか対応しなかった。詰めが甘い。

 先程ローから受けた指示は男の頭部を三階の部屋へ運ぶ事であったものの、それにプラスアルファの成果を付けて持ち帰る事は出来た筈だ。一方で俺の報告を受けて直ぐに思考を纏めたローは流石である。

「じゃあ俺もう一回三階に行って、」
「待て、このお人好し馬鹿」
「ひぃっ冷たっ!?」

 抜かった己に対する悔しさもあり、コートハンガーの傍を離れる。
 そして男を収容した部屋へ戻るべく身体の向きを変えた途端、背後からハイネックの襟ごと首を掴まれた。手袋をしていないローの手は掌も指も冷えきっていて、項を侵す冷たさに一瞬で二の腕へ鳥肌が立つ。

「首冷たい冷たい!」
「あったけェ…」
「何で掴み直すの!?」
「今日はもう部屋を出るな」

 襟越しに触れていた指までもが服の中へと入ってきて、更に冷たく感じる面積が増える。最早制止ではなく悪ふざけだ。
 ものの数秒で体温がローの掌へ奪われ、指先にも徐々に伝わって混ざりゆくのを体感として知覚しつつ悪戯から逃れようと首の後ろに在る腕を掴むも、同時に寄越された言葉にはつい動きが止まった。今の儘では俺が自力で振り向けないからか漸くローの五指が離される。

「三階奥の一室が特殊な素材の壁に囲まれてる、っつう事を口滑らせて俺にバラしたのは他でもねェシーザーだ。自慢混じりにいつだか言ってたそれを覚えてたんでな……今回は侵入者による無差別刺傷の混乱を研究所内になるべく広めないように、犯人の迅速な収容を優先した、っつう名目で三階へ入った事を不問にさせた。テメェの失言が元だからアイツも文句は言わなかったが、俺達がB棟三階フロアは出入り禁止である事は変わらねェ。次に行くのは、聴取を行うとシーザーに予め言ってからだ」
「…その聴取は今日じゃ駄目なの?」
「駄目だ。一日放置して心身弱らせてから尋問しろだと。見張り連中にも今頃は伝わってる。……お前、居るかも分からねェそのガキを探すだとか安請け合いしちゃいねェだろうな?」

 一瞬ぎくりとした。
 だが俺は息子の捜索を約束してはいない。その子供の名前も容姿も聞いていないし、男から捜してくれと頼まれてもいない。気にしてみる、と告げただけだ。

 何を最優先事項に据えるべきかは理解している。が、人を「お人好し馬鹿」と呼んだローにその勘の良さから懸念を抱かれてしまっても仕方ない程度には、侍男の発言に気を取られている自覚もある。

 けれどもローとシーザーの間で成立したやり取りからして、今日中に俺が出来る事はもう無い。これ以上我が儘を言ってみたところで何にもならないだろう。

「してない」
「…………。なら、良い」

 約束はしていない。目を見て頷き返すと、ローは一、二秒だけ此方を見つめてから視線を外して椅子に腰掛けた。
 帽子が外され髪が露になり、つばとの隙間に入り込んだ雪で一部だけ濡れているのが分かる。寒さの所為で耳も鼻の頭も赤みが引いていないがそれは俺も同じだろう。

 この研究所には自然発生する吹雪の風力を利用してエネルギーを生む装置が多く、暖房器具も基本的にはスイッチさえ入れれば二十四時間稼働してくれる。
 壁面の四角いスイッチを押し、室内の空気が暖かいと感じられるであろう約十分後を待ち遠しく思いながら、昼食の支度に取りかかろうと腕捲りをした。

「今日の昼は魚介パスタで良い?」
「ああ。…ドレスエビねェのか」
「今あるのはホタテとムール貝と普通のイカと……あとはソフトシェルクラブだね」

 あ、ドレスエビの産地勘ぐってたけど味は気に入ったんだ。とは口には出さなかった。

 



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