「何と禍々しい気よ……! しかし如何に手練れと見受けども、丸腰の相手に刃を向けるは本意にござらん! 小僧、退け!」
「俺もそんな自殺装備の相手を雪の中に埋めるのはちょっと良心痛みます。…いい加減こっちの話聞いてくださいってば。もし遭難や漂流の所為で意図せず此処に辿り着いてしまったんなら、せめて貴方が殺されないように掛け合いますよ」

 武器を下ろしてくれと二度頼んだにも拘わらず応じる素振りはなく、素足に下駄を履いて身体に纏うのは着物一枚という凍死の未来へまっしぐらに進む出で立ちの儘で臨戦体勢を解かない姿に、俺の口調も些かぞんざいになる。

 常人ならとっくに低体温症なり凍傷なり患っていて可笑しくない気温と天候なのに、大したものだ。伸ばされたもみあげ以上に目立つ、頭頂部で短い棒のように太く結わえられた髪とその格好からして出身はワノ国だと思えるが、鋼の肉体を作る秘術でも在るのだろうか。

 思ったより話し合いの成立に苦労している状況に溜め息を漏らしつつ、一応ただ腕が立つだけの不運な人間である可能性も視野に入れて言葉を足せば、男の殺気がふと引き締まったような感覚を受けた。

「仮に貴様のその言葉に嘘偽りが無くとも、拙者に容赦は無用。訳あって、そして意思を持って上陸した次第。目的を果たす為ならばこの刀が血に濡れる事も厭わぬ!」
「……困った人だ。俺もそれを聞いてじゃあどうぞ、って道空けてあげられる立場じゃないんですよ。その目的とやらは何なんです」
「……拙者の強味、更には弱味にもなり得るものだ。明かせぬ」
「…………」

 ふう、と吐き出した呼気が、靄に変わる間もなく風に拐われて口元で散り散りになった。
 切っ先を降ろさず、口を割らず、敵意も収めない。身体や衣服は濡れていないので炎の土地に侵入して湖を渡った結果この雪原に来たようでもなさそうだし、夏島仕様の衣服で強行しなければならない火急の用があるのだろうか。

 実は海兵で、シーザーの潜伏を聞きつけ捕縛にやって来たというなら見上げた正義感だが、それなら俺の顔に反応しないのは不自然だ。
 自惚れる訳ではないが俺も億を越える懸賞金を恩赦によって取り消されているので、誤って逮捕及び攻撃対象にされないように、ローが"七武海"へ加入した時点で海軍全兵に手配書が配布されて顔を覚えられている筈である。

 となると、男を別の呼称で指そうとすれば選ばれるのは簡潔に"敵"となる。
 取り敢えずはオーラの状態を「纏」へ戻して出方を見るか、と僅かに腰を落とした折、男の視線の焦点が俺からずれた。

「っな…何だ、この島はあやかしが集う土地なのか……!?」

 向かいの口からそんな台詞が零れたと同時、背後からドーム状の蒼い膜が現れてほんの二秒で俺も男もすり抜けると、数十メートル奥で拡大を止めた。
 初見では何とも奇妙な代物に見えるであろうその領域に対して男が自分の行動を決めるより早く、半ば蹴るように軸足で地面を踏んで横っ飛びに跳ぶ。

 両足が平らな新雪の地に着地したタイミングで男もサークル内から脱出した俺に気付いたらしく、三白眼が此方を向く。
 注意と意識の逸れたその体躯を、不可視の斬撃が切断したのは直後の事だった。

「ぬあ……!? 何だこれは、一体何が!? 拙者の身体は…っ!?」

 首と胴を斬られ、三つのパーツに分断された男が頭部を雪に埋もれさせる。
 上半身も追って地に落ちはしたが、驚く事に直ぐ様手をついて起き上がった。しかも刀を放していない。ローの斬撃を喰らった相手の中では飛び抜けて順応性が高いのではないだろうか。

 本人が身体の感覚をどうにか元に戻そうとするからなのか、次には上半身が宙に浮き、本来の位置とそう変わりない高さで留まる。
 初めて遭遇した事態に思わず後方を振り向くと、納刀した鬼哭を手に歩いてくるローの姿が数メートル先の近さまで来ていた。

「ロー! これどういう事!?」

 止むどころか弱まる事すら稀な強風に遮られないよう声を張る。俺が伸ばす指の先に在る光景は勿論ローにも見えていたのだろう、ローは更に此方へ近付いてから鬼哭を雪中へと倒れない程度に深く突き立てると片手で雪を掬い、反対の手を雑に回した。

「視界が…!? 貴様、髷を掴むとは無礼な! どんな妖術を使ったかは知らぬが、貴様が刃を振るう姿は確と見た! にも拘わらずどういった訳か、拙者には五体の感覚が在る……! 刀を持ちながら相手を真に斬らぬなど狂気の沙汰にござる! 武士なれば真っ向から斬り結べ!」

 雪と入れ替えられ、ローに結った頭髪部分を持たれた生首が、己の現状も省みず騒ぎ立てる。
 勝ち気の一言で済ませて良いものやら悩む程に、何と言うか、我の強い人である。こうも一方的に且つ圧倒的に負ければ大概の相手は観念するのだが。

「うるせェ」
「ふごっ!?」

 手元に移動させるなり喧嘩腰で物を言われたからか、ローが手首を振って男を顔から落とした。

「よく"七武海"相手にあれだけ言えたな、この人……」
「俺の意思から外れて身体が浮いてんのは初めて見た。その気になりゃ自由に動ける程度にしかバラしてねェし、高さからして元々胴が在った場所だ。案外そう在ろうとする意思の成せるモンかもな」
「そんなアバウトなものなの?」
「悪魔の実だと称される物を食って得た能力が生む超常現象に、納得のいく説明がつく方が珍しいぞ」

 呼吸は出来ても自力で動けない所為で何やら呻いている男を余所にサークルが再び肥大し始め、十秒以上をかけて端が視認不可能なぐらいに範囲を拡げてゆく。

 膜が大きいあまり膨らみが進行しているのか止まっているのかも見た目には判らなくなった頃、ローが片手を動かした瞬間に、その場を動けずに居た下半身が視界から消えた。

「え。湖直下コース?」
「向こうの土地に飛ばした。復元させる訳にもいかねェが、此処に残しておいても遠からず身体機能に異常は出るだろうから取り敢えずの処置だ。何だってこんな気の違った格好してやがる」
「何か急ぎの用っぽい雰囲気はあったよ」
「…パンクハザードの現状を知らねェで乗り込んできた阿呆か」

 環境に対して快適の文字が寄り添えないこの島では、衣服と備品による対策をきちんとしていなければ何処に居ようとも体力の消耗は避けられない。特に雪山地帯は短時間での凍死が有り得る。
 下半身だけでもこれ以上冷える心配の要らない炎の土地に在れば多少違うのかもしれない。あちらも発汗による脱水と疲弊が不可避の為、五十歩百歩ではあるが。

 相変わらず宙をうろついている胴体を見つめた儘、念の為後ろ向きに歩いてローの傍へ行く。雪に埋もれた頭と鬼哭のそれぞれを引き抜く音を捉えたと同時、腕を掴まれて視界がぶれた。

 



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