元は政府の研究施設であったこの建物内には寝泊まりする為の設備が充実しているようで、二段ベッドの置かれた一室で過ごし始めて六日が経った現在、暮らす環境にそこまでの不満は無い。

 使い方はともかくとしてその頭が回るシーザーは水を温める機器を開発していて、資源である水自体も降り続ける雪を濾過して精製する為枯渇する心配もなく、好きな時に好きなだけ温かな風呂に入る事が叶う点は個人的に好評価だ。外に出れば寒風にたちまち身体を冷やされてしまうので有難い。

 最初の一日で研究所内部を歩き回り、次の二日目で研究所の周りをモネの案内で散策し、三日目には島の中央に位置する湖まで散歩した。
 反対側の炎の土地にはまだ訪れていない。遠目にも判る広範囲の陽炎と、至る所で家屋の残骸を舐め続ける炎の多さに、半端な装備で乗り込むのは危ういとローが判断した。

 四日目はかつてこの地で研究を行っていたベガパンクという人物が人工的に生み出した生き物であるドラゴンが、処置室で鎮静剤を投与される所を見学した。
 大人が背中に何人も乗れそうな体躯の皮膚には斑模様が浮かび、長い尻尾から頭部まで等間隔に棘状の突起が生え、背中へ蝙蝠に似た翼を生やした姿は絵本に描かれるそれと酷似していた。

 体毛も産毛もない爬虫類のように滑らかな肌へ注射器が打ち込まれるのを見て、改めてこの世界の妙に偏った技術力の発達具合を実感した日でもある。

 五日目の昨日、身体も現状の環境に馴染んだだろうという事で久々にローと格闘鍛練に励んだ。パンクハザードまでの航行道中は船内に得物を振り回せるだけのスペースが足りず、出来る範囲でのストレッチや運動がせいぜいだったからか、思いきり動けるのは幾分楽しかった。

 ローに木刀を買って貰って二年近く経てど、俺の太刀捌きはローと比べてまだまだ劣る。
 その代わりに「凝」の加減は更に慣れた。木刀そのものが破損する心配はしていないものの、つい保険として薄くオーラで覆いたくなるのだ。

 そして六日目の今日、"材料"調達完了の報せをシーザーから受け、俺とローは手分けして元囚人達と集められた動物の腹囲を測っていた。
 断面の直径サイズが近い者同士を組み合わせないと何かの拍子に剥離する場合もある為、先に全員分のウエストを調べる必要があるらしい。

 俺の仕事は一部屋に集めた動物達に"香辛料無差別配布(ビビッドシャワー)"を経口吸引させて動きを鈍くさせ、可哀想ではあるが「練」を行いオーラで威圧し、戦意も喪失させた上でメジャーを手に胴周りを測る事だ。

「ごめんなー、ちょっと触るよ」

 最も数が多いのは馬だ。ただでさえストレスに弱い生き物だと聞いた覚えがある気もするのだが、囚人等に首から下を接合した後は上手く生きていけるのだろうか。
 そもそも移植した四本の脚は人間と馬のどちらの意思で動くのだろう。まさか接合と共に神経まで繋げられるのか。

 ローの能力の詳しい作用や細かな条件などは俺も知らないので首を傾げつつ、栗毛の馬の首を撫でてから傍を離れる。言葉を話せない動物へ一方的な事をするのは少なからず良心が痛むし、あまり長く接すれば情が移りそうだ。早く済ませたい。

「で、最後お前かー…。……デカいなあ…」

 室内の壁際、物資運搬用の檻の内側に、尾を含めて全長二十メートルはあるのではという程巨体の鰐が居る。
 人間の中で一際大柄な"茶ひげ"と渾名のつく男性が縦にも横にも大きめな体格なのでこれぐらいの生き物が必要なのは確かでも、正直怖い。爬虫類のぎょろりとした目玉や皮膚の質感が好きになれない。世の中で一番嫌いなのは蛙だが。

 少し痺れさせただけでは不安なので口を縛りたいが、実験体の拘束に使われる革製バンドは長さが足りず、ロープと鎖しか用意されなかった。鰐を相手にする事自体初めてなのに不安だ。
 取り敢えずは檻の外から口を開けさせて、様子を見ながら殺してしまわない程度に痺れ粉を吸わせたい。最初に吸わせた分の効力はそろそろ時間切れだ。

 ──ッガァアン!

「うわっ!?」

 ぼんやりそんな思考を巡らせていたら、突然鰐が尾を振って檻にぶつけてきた。
 鋼鉄の檻全体が若干揺れ、轟音に緊張と興奮を煽られた他の動物達が鳴き出す。身体の大きさの違いか、この鰐は麻痺効果が失せるタイミングが他より早かったらしい。

 俺の"香辛料無差別配布(ビビッドシャワー)"は変化系と放出系を掛け合わせた念能力なので粒子自体を俺の意思で任意の位置へ撒く事は出来ず、確実性を求めるなら対象に接近する必要がある。こんな巨体を持つ鰐ならば顎の力も相当な筈だし、万が一噛まれれば箇所が何処であっても食い千切られる。

 バガン! と派手な音を立てて今度は鰐が頭突きをする。一撃で檻の鉄棒が曲がった。
 今しがたまで自分の身に起きていた不調がストレスや不安感に繋がってしまったのか、グルグルと喉を唸らせる鰐は落ち着きがない。

「参ったな……、鰐に臆病な個体が居るとも思えないし」

 他の動物は本能が危機を察してか自ら遠巻きに後退ってくれているが、俺がオーラを拡げる範囲を誤れば彼等にも再び痺れ粉を吸わせかねない。度重なる不可解な息苦しさは理不尽な苦痛と心痛を与えてしまうだろう。

 撒いた粒子は俺のオーラが及ばない範囲、つまり「円」の最大直径より遠くまで漂うと自動的に消滅する。その制約を利用し、「円」の形態でオーラを伸ばす長さを調節して粒子の有効範囲をも好きに定める事は可能だが、最小限の面積で済ませるにはやはりギリギリまで接近しなければならない。

「、あっ」

 次の手に迷った間に鰐が再三檻へと体当たりし、鉄棒の何本かがひしゃげて外れてしまった。
 鰐からすれば此処は絶好の餌場だ。ガランガランと喧しい音を立てて転がる柵に反応して、未だ麻痺が取れていない筈の動物達が更に鳴く。

 可哀想だが殴ってでも失神させるしかないかと四肢へオーラを振り分けようとするも、不意に鰐が「ギャウッ!」と声を上げた。

 



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