「用は一つだ。此処に暫く滞在してェ」
「パンクハザードに滞在を?」
「ログの取れねェこの島に来るのも苦労した、元政府の秘密施設だからな…。この研究所内には、現在にも続く世界政府の研究のあらゆる証跡が残ってる筈だ。この研究所内と島内を自由に歩き回れりゃそれで良い。こっちも役に立つ何かをする。互いにつまらねェ詮索はしない」

 最後の台詞だけは条件や頼みでなく断言の様相だが、シーザーは口を挟まず耳を傾けている。

 靄が段々と色付いて明確な輪郭を成し、顔のパーツと髪、服の全容が次第にはっきりしてきた。照明を受けて濃い紫を浮かばせる黒に近い長髪は癖がある。
 かなり大柄らしい事が判り始めたシーザーに対し、おもむろにローが組んでいた腕を解いて人差し指を向けた。

「────勿論、俺が此処に居る事も他言するな。"ジョーカー"にもだ」
「……訳知りじゃねェか。…何故そこまで知ってる」

 そんな会話が交わされる頃には、シーザー・クラウンの容姿は殆ど露になっていた。
 煤けた色合いの山羊のような角を頭に二本生やし、唇をも上下共に葡萄の果皮を貼りつけたかと思う程の鮮烈な紫に染めた顔は、悪役面という表現が似合う。眉も眦も口角も吊り上がり、目付きに意地の悪さが透けていた。

 人を外見で判断するなとは言われるが、そもそも良い評判を聞かない男の顔立ちがこれでは初見で内心の印象を決めてしまっても無理からぬ事なのではと思いたい。白のローブの下には黄色い布地にストライプ模様の入った派手な柄の服を着ているのに、服装よりシーザーの顔に目が行く。

「何も知らねェド素人が飛び込んで来るのとどっちが良い?」
「シュロロロロ…! なるほど、同じ穴の貉ってヤツか…。信用は出来ねェが害はねェかもな。なァ、モネ」
「……"ノースブルー"出身"死の外科医"、能力はオペオペの実。医者なのね。…この島には毒ガスに身体をやられた元囚人達が沢山居るけど、治せる?」

 特徴的な笑い声を上げたシーザーが一歩動く毎に、フード付きのローブに似た外套の裾や袖がゆらゆらと棚引いては靄と化して、不規則に分離する。スモーカーは平常時であれば細部まできちんと形を保っていたが、同じロギア系でも身体の造りが違うのかもしれない。
 一度として同じ動きをしないそれを眺めていると、左側から聞こえていた筆記具を扱う音が不意に止んだ。

 突然提示された相談にローが顔だけ振り向かせ、俺も自然と倣う。モネが能動的に話の路線を変えたのは少し意外だった。

「それは条件か」
「相談、かしらね。脚の不自由な姿はさっき見たでしょう? 皆あんな状態なのよ……もし彼等が歩けるようになれば警備も強化出来るもの」
「…結論から言えば可能だ。方法は限られるがな。その処置が家賃に代わるなら請けよう」

 俗に言う瓶底眼鏡の奥から瞳を覗かせたモネの言葉に、ローは一拍置いてから了承を示した。先ずはこの地に留まる事が叶わなければどうにもならないのである程度までの努力は惜しまないつもりなのだろう。

 すんなり纏まった話だが、今のやり取りにシーザーは参加していない。まさか断るとも思えない内容だけど、と首の角度を戻すと、シーザーはソファーの傍に直立し、毒々しい色の唇をへの字に曲げて目線を宙に浮かせていた。

「お前が此処に滞在する……、その代わりに部下共に足をくれる……。そりゃあありがてェよ。…だが、お前は俺より強い! この島のボスはオレだぞ! 此処に滞在したけりゃあ、お前の立場を弱くすべきだ」

 何処か芝居がかって聴こえる口調で呟いたシーザーの、これまた紫色の手袋を嵌めた片手がローを指す。
 その発言に俺は自制するより先に若干目を丸くしてしまったが、幸い橙の眼は此方を向いていないので恐らくバレていない。

 長は自分だと主張し、推測だが己のイニシャルらしき「CC」のアルファベットを手袋に白抜きで刺繍するような人物が、素直にローとの実力差を認めるとは思わなかった。閉鎖的な環境も手伝って慢心と驕りに浸っているかと思いきや存外冷静な部分も在りそうだ。
 とは言え本当にシーザーが自らを戦闘面でローに劣ると考えているのか定かではないが、それだけ"七武海"の肩書きは相手を警戒させるのかもしれない。

「別に危害は与えねェ。どうすりゃ気が済む…」
「こうしよう、トラファルガー・ロー…! オレの大切な秘書、モネの"心臓"をお前に預かって欲しい…。良いな? モネ」

 静観に徹していた俺も、この案には素で驚いた。
 咄嗟にモネを見遣るが、シーザーの放った言葉の意味を正しく理解しているのか比喩だと思ったのか、ペンを走らせる手を止めて再び振り向いた顔に動揺や疑問の影は無い。

「……ええ、良いわよ」
「その代わりに…お前の"心臓"をオレに寄越せ! それで契約成立だっ! 互いに首根っこを掴み合ってりゃあお前は妙な気を起こせねェ、オレも安心だ…! シュロロロロロ…!」

 そうしてモネは、あっさりと首を縦に振って見せた。それを境に勝ち気な笑みの潜む声を張ったシーザーが次に紡いだ言葉の羅列に、一瞬胃が縮まるような感覚を覚える。

 ローを覗き込むシーザーの薄ら笑いが視界の端に映るが、ソファーの背凭れから目が離せない。きちんとシーザーを見てしまえば間違いなく今の俺は不満を目で語ってしまう。
 瞼を伏せ、なるべく何気ない動作で俯き加減に体勢を直すと、ローが脚を組み換える様子が横目に知れた。

「お前がどうやって"七武海"加盟を叶えたか、その方法は知ってるぞ、ロー? まさかてめェ自身の心臓は取り出せねェなんて事ァねェよなァ?」
「……分かった。呑もう」

 浅い溜め息を一つ伴って、ローも頷く。とても落ち着いた声色で、渋りも焦りも感じられない。
 歳が四才違うだけでこうも振る舞いに差が出るものだろうか。あと四年経って俺が今のローと同い年になった時には、もう少し自分の中の芯が太くなっているのだろうか。

 ローの生死をロー以外が握るだなんて単純に嫌だなあ。などと、口に出せる筈もない。苦い気持ちが胸腔に広がる。
 その最中、ふと上から刺さる視線を知覚して顔を上げた。
 



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