数分で行き着いた建物は氷山に隣接し、大部分が雪と氷柱に覆われていた。定期的に掃除はしているだろうが追い付かないのか、廃墟だと言われても頷ける外観だ。
 迷わず近付いたロックの腕が一棟の二階部分に在るバルコニーまで伸び、手すりの内側へモネが降りた事で俺達も後続する。

 屋内へ一歩入った途端、体感する寒さが格段に軽減されて思わず深く息を吐いた。雪混じりの強風を浴びなくて済むだけで快適だ。

「モネさん、ソイツ…!?」
「ありゃ"七武海"のトラファルガーじゃねェか…!」
「オイ、隣に居るの確かトラファルガー・ローの船の奴だろ? 賞金首の筈だぞ…」

 横合いから次々寄越された声に右側を向くと、変わった出で立ちの男が数人居た。
 光沢を持つバルーンに似た物体に下半身をすっぽりと覆われ、その前面には玩具のレバーのような物が左右に二つ取り付けられ、ワイヤーかテグスに繋がれた風船も左右に一つずつ付属している。

 更に背後にも男達の身長と同程度のサイズの風船が繋がれており、不思議な事に彼等は浮いていた。床からせいぜい二十センチ位ではあるのだが、風船で宙に浮くなどまるで幼子が童心に抱く夢の具現化だ。

「お客様なの。"マスター"に知らせて貰える? 私は先にこの人達を第一研究室へ案内するから、合流を頼んでちょうだい」
「……分かりました」

 マスター。主人または主君の他に、精神的な意味での指導者を称する場合もある呼び名だが、実際にこの単語のみを自らの呼称に据えている人間に出会ったのは初めてだ。自称と他称とどちらが先だろう。何にせよシーザーは自信家と言おうか、自己顕示欲の強そうな男に思える。

 怪訝そうな面持ちは変えずに首肯を返した男達が手元のレバーを弄ると、身体ごと風船がくるりと半周回り、方向転換を叶えた。
 その儘ふわふわと通路を漂い始めた集団とは逆側に歩を進めるモネの後に続いて歩きながら周囲に目を遣ると、思ったより清掃が行き届いているらしい天井や壁が視界に入る。

 廊下には監視用の映像電伝虫は見当たらない。通り過ぎる扉はどれもしっかり閉ざされて生活感のようなものがあまり感じられず、施設然とした雰囲気が強い。床の素材は硬く、足音を殺すのは難しそうだ。

 ほぼ等間隔に並ぶドアを幾つか横目に過ぎた所で、その列が途切れた。少し距離を空けた先に一際大きなドアが在り、他より大分広い部屋だと一見して判る。
 この建物はこれまでに訪れた島に比べて俺が元居た世界にかなり雰囲気の近い造りだが、流石に声紋や指紋を用いた認証機器の類いは開発に至ってないようで、物々しい入り口には鍵穴が一つ付いているだけだ。

「どうぞ。外の寒風は堪えたでしょう、お茶でも飲む?」
「気持ちだけ受け取っておく」
「すみません、右に同じく」
「そう? じゃあ座って待ってて貰えるかしら……マスターはほんの数分で来ると思うわ」

 扉を開けながら振り向いたモネの言葉には直ぐ様ローが断りを返し、俺も倣わせて貰う。素直な気遣いから来た台詞であれば有難いが、滞在交渉も済んでいない中呑気に茶を啜る気分にはなりにくい。
 此方の答えにモネは気を悪くした素振りもなく部屋の中央を指して微笑んだ。

 室内は広間と呼べる程の面積だ。真ん中にソファーが三つコの字型に置かれ、壁際には本棚、薬品棚、バーカウンターが据えられている。
 広さに対し空きスペースがかなり多いが、モネは此処を研究室だと言っていたので必要に応じて機材を広げたりするのかもしれない。分かりやすく黒と黄色の縞模様で外枠を囲まれた別室の扉も見えた。

 バーカウンターの椅子に腰掛け、卓に置かれていた羽根ペンや羊皮紙を手に取るモネを視界の端に映しながら止めていた足を再び動かす。
 ソファーの一つにローが座り、さて俺はどうしようかと歩みを鈍らせた。

 船長であり"七武海"でもあるローが当然交渉を担うのだが、俺がその隣に同席するとローの箔を剥がしてしまいそうな気がする。馴れ合うつもりはないし、シーザーにもある程度の緊張感を持ってローと接して貰いたい。
 簡単に言うならローを舐めて欲しくないのだ。いかにも、な雰囲気を醸しておいて損は無い筈である。

「オイ、」
「ん?」

 ソファーの背凭れの後ろで立っていれば良いかなと考えたところで呼ばれ、特に言葉が続かないので背中を屈めてローを覗き込む。
 肩越しに俺を見上げたローの指が座面を指している様子が視界に入り、目下の思考とは真逆の指示に思わず首を傾げた。

「良いの?」
「俺は間違ってもシーザー相手に畏まった態度なんざ取れねェからな。噂の内容だけでも向こうがイイ性格してそうなのは明らかだ……中和役が居た方が良い」

 果たして俺の存在が実際に中和なり緩和なりに一役買うかはさておき、ロー本人から隣に座れと言われたなら頑なに断る理由は無い。
 ソファーを回り込み、立て掛けられた鬼哭と俺の刀がぶつからない程度の距離を空けて右隣に腰を降ろした折に、上方から硬い物音が聴こえた。

 見上げれば室内の壁面に沿って斜めに伸びる階段の最上部、踊り場の扉が開いている。
 けれども人の姿は無く、代わりに流線を描く不定形の靄が塊で流れ込んで来たかと思うと、向こう側の景色が見えない程に密度の濃いその靄は独りでに階下まで一直線に飛び降りて来た。

「ようこそ、と先ずは言っておくべきか? 自力でオレの所在を調べ上げたばかりか乗り込んで来るたァ、やんちゃな評判は本物みてェだな…」

 靄に三箇所、逆三角形の角の位置に亀裂が入る。
 それは目と口に変わって、空洞のような口が独特のキーが高い声を生み出した。能力者だとは知っていても大分強烈なヴィジュアルに思わずまじまじと見つめてしまう。スモーカーと言いこの男と言い、身体が人間らしい形状を失っている時はどんな感覚を体験しているのだろう。

 シーザー・クラウンと思わしき靄の集合体は滑空して此方に近付き、次第に縦長に輪郭を纏めつつも、ぽっかりと吊り上がった形に開いた眼窩に浮かぶ橙色の瞳を此方へと向けた。

「取り敢えずはその努力を労る意味でも用件を聞こうじゃねェか。何が目的だ?」

 



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