高い。大きい。そんな陳腐な言い様で語ったところで他者には全容を伝えられない程の巨体を有する生き物が、氷山の間から半身を覗かせている。
 不自然に俺達を覆った影の元を探して顔を上向けた先で目に飛び込んだその光景に、俺は無意識に口を半開きにしていたらしい。小さな雪が咥内に入ってきて気が付いた。

 あまりに高い位置に相手の頭部が在るので顔が分からない。
 冗談みたいに縦長な全長の"それ"が前に一歩踏み出すと、元の地面など何メートル下に在るかも予想出来ない程の雪原にも拘わらず、若干だが靴底へ振動が伝わった。

「うふふふ……、結構大胆なのね…」

 耳の中へ、冷気と一緒に女の声が流れ落ちた。

 反射的に音源の方向へ腕を振りそうになり、咄嗟に理性で留める。不自然に力の入った片腕の緊張を解くと同時に視界の左手で鮮やかな若葉色が広がり、そちらに視線を向けると一人の女性が立っていた。

 豊かな睫毛に縁取られた瞳とウェーブのかかったライトグリーンの長髪が印象的な美人だが、容姿以上に目を引くのはその格好だ。
 到着して数分しか過ごしていないローが早々に鼻の頭を赤らめ始めている程の極寒の地において、上半身はキャミソール一枚で、下もタイトスカートのみ。それなのに震えもせず平然としている姿に此方がつい眉を寄せてしまうが、俺の顔を見た女性は身体の後ろで腕を組みながら微笑んだ。

「ああ、服装で驚かせたかしら。私には今ぐらいの気候が適温なのよ……気にしないで。それより、話題の新"七武海"様とその御付きがどういった御用? 上陸に踏みきったからにはある程度の情報は得てるんでしょう?」
「最低でも数ヶ月、この地を隠れ家にしてェ。シーザーに取り次げるか」

 他人がやって来た事自体には驚く素振りもなかった女性が、ローの言葉を受けて少しばかり纏う雰囲気を変える。
 俺とローをそれぞれ三秒ほど見つめ、次に明後日の方向を見て黙考らしき間を挟んだ後、先程と似た笑みを口元に乗せた。

「良いわよ。隠れたい理由があるのなら態々余所に此処の事を言いふらしはしない筈だし、…私は貴方より弱いだろうし、ね。何よりシーザーの居城だと知っての侵入だもの、断っても良い事は無さそうだわ」

 そう承諾を告げた女性の身体が直後、溶け崩れた。

「!?」

 人としての輪郭が一瞬で原型を失い、半端にとろみのついた真っ白いムース状の見た目と化して地に落下したかと思うと、その儘ずるりと雪の中に入り込む。
 まるで幻惑の魔物にでも遭遇してしまったような薄気味悪い心地になるが、こういった人体の変形や異形化は悪魔の実の能力者にはありがちだ。こればかりは実際に目で見て慣れるしかないだろう。

 女性が消えてから間もなく、此方を窺うように動きを止めていた得体の知れない生き物が距離を詰めてきた。
 パンクハザードに先着している相手に手を出せば俺達の心証が悪くなるだけなので、具体的に被害を被る何かをされない限りは俺も大人しくしているつもりだが、本能的に身構えてしまうぐらいこの生き物は巨大だ。月並みな表現だが山が歩いているようである。

 近付くにつれ、その人間と同じフォルムを持った生き物が全身を長めの毛で覆われていると判る。無言で前屈みになったそれが家屋二棟分はありそうな片手を差し出してくると、いつの間にかその掌には先程の女性が座っていた。

「乗って? 研究所まで送るわ」

 断るでもなくローが足を踏み出したので後に続く。数メートルを進む間に今一度ローを起点にサークルが発生し、まだ肉眼で視認出来る距離に在る小船を包めるまで拡がった後、刺青の施された片手が捻られて俺とローの足元に着替え等々の入った荷物が一つずつ現れた。
 丈夫な革で出来た肩掛け鞄を拾い、斜めにかける。片方の肩へ荷を担いだローと揃って大木ほどもある指に乗り、掌まで移動して座るとゆっくり目線が上がり始めた。

「獣人か」
「ああ。ロックだ。もう一人スコッチってのが居る、此処の警備に雇われてるからその内会うだろう」

 上方を見て一言発したローに、この場の誰より低い声が返る。そもそもの図体の大きさが違うからかそれなりの大音量だが、静かな話し方なので喧しいとは感じない。
 もしも落下すれば地面一帯に雪のクッションが在っても骨の一本は折れるだろうという高さまで持ち上げられると、今度は景色が後ろに流れ出した。ロックの一歩は恐らく何メートルにもなる為進むのが速く思える。進む度に少し揺れるが、振り落とされてしまうようなものではない。

「で、お前は雪人間か」
「うふふ…。モネよ、よろしくねロー。貴方の話はよく聞くわ……勿論、アルトの事も」

 距離が空いているのと曇りとは言え逆光の所為で相変わらず顔は分からないが、シルエットからして帽子を被っているらしいロックの姿を物珍しさ故に眺めていると、再びローが呟いた。
 それに笑い声だけで答えた女性、モネの発言に首の角度を戻す。

「俺、そこまで個人的に新聞を賑わせた覚えはないんですが…」
「新聞以外にも情報が飛び交う場は在るわよ? お揃いのつなぎがトレードマークである筈のハートの海賊団に居ながら、貴方だけはいつも私服。武器も船長と似てる。結構邪推の的になってるけど、耳に入らなかったかしら?」

 悪戯っ子のように瞳を細めて首を傾げるモネの言葉に、心当たりはあまり無い。
 賞金首になってから上陸先で絡まれる機会は俄然増え、首の値段が上がる程に頻度も高まりはしたが、札付きというステータス以外の点に言及された事は殆ど無かった。童顔を揶揄される事が度々ある位だ。

「そう…。……守られてるのね」

 即答しない俺を見たモネが、指先で自分の首筋を叩く。俺の背後へ立った時に項の刺青を見たのだろう。
 どういう意味だ、と目で尋ねてみてもモネは微笑むだけで、この件に関してもう口を開きそうにない気配が窺える。

 謎々の答えを教えて貰えないような釈然としない気分についローへ視線を移すが、ローは何の話だとでも言うように肩を竦めるだけだった。

 



( prev / next )

back


- ナノ -