コンコン、と鼓膜を叩く硬い物音で自然と目が覚めた。未だ残る眠気によって瞬きを繰り返しながらすべすべとした質感のシーツに頬を押し付けた儘で居ると、コンコン、と再度同じ音が聞こえる。

「トラファルガー様? いらっしゃいますでしょうか」
「………、ブイッ!」

 聞き覚えのある声が聞こえた事でそれが扉をノックする音であったと遅ればせながら気が付いて、いつの間にか隣で寝ていたローを横目に慌てて身体を起こすとベッドを飛び降りる。あのフロント係が部屋に来たという事はケビンとの連絡が着いたのだろうか。

 思わず扉の前まで駆け寄って、しかしこの身体では仮に真上に跳ねても前足はドアノブに掛からなさそうな事に気付く。おまけにノブの下にある内鍵はしっかり閉められていた。
 襲撃を警戒する賞金首としてはもう施錠は癖の一環と化しているかもしれないが、今ばかりはローのその周到さが恨めしい。

 ペンギンに撫でられ疲れてうとうとと転た寝してしまった事が悔やまれる。現在室内にペンギンが居ないという事は鍵が閉められたのはペンギンの退室後だろうから、その時に起きていれば俺が何かアクションを起こす事も可能だったろう。

「ブイブイ! ブーイ!」
「あ、トラファルガー様のお連れ様…? どうされました、何かございましたか?」

 俺の鳴き声しか聴こえない所為で何か誤解させたのかフロント係の声が若干焦ったような響きを帯びる。何もござらない、ただ待っていて欲しいだけである。

 振り向いてベッドを確認するが、寝起きの良し悪しにムラはあっても周囲の気配と物音には敏感な方であるローは、珍しく起きる気配が無い。
 シャボンディからこの島へ移動する最中誰も彼もが気を張っていたので流石にローも疲れていたのだろう。だとするなら寝かせてやりたいのは山々だが、今はスタッフに応対して貰わねば困る。

 今一度ベッドへ走り寄り、数歩手前で踏み切って上に飛び乗る。顔、胸、腹、脚と順に横たわるローの身体を眺めながら前肢を幾らか伸ばすと上体を低く伏せ──勢いをつけて頭から腿目掛け突っ込んだ。

「ブイブイッ!」
「ッ、!?」

 胸や腹では必要以上に痛い思いをさせそうだから、と腿に突撃したものの二十代の武闘派な男性の脚に余分な脂肪なんぞついている筈も無く、額に思ったよりも固い手応えと鈍痛を感じながら反動でひっくり返った。
 幸い場所がベッドの上であり、横向きに倒れ込むような形になったので大したダメージは受けない。九十度傾いた視界の中、寝ていた所に突然腿へ頭突きを見舞われたローは眉間に皺を寄せながら瞼を開いた。

 その灰色の眼が此方を向く。俺が言語不通なのを良い事に魔が差して「起きろこの野郎!」と言いながらタックルした事が雰囲気でバレませんようにと内心願いながら片足で扉の方を指すと、ローは決して良くない寝覚めにやや不機嫌そうな顔ながら、怪訝の色も織り交ぜて一方の眉尻を持ち上げた。

「…誰か其処に居るのか、」
「先程フロントでお話させて頂きました、当ホテルの者です。領主様のお屋敷と電伝虫が繋がりました為ご連絡を、と」
「………そういう事か。眠りこけてた俺が悪いな…」

 扉の向こうから返る応答に、今の俺ではドアの鍵を開けられず、また施錠の事実をフロント係に伝える事も不可能であると気付いたローは何処となくばつが悪そうに瞳を細めながら身体を起こした。

 これもまた癖だろう、枕元に立て掛けていた刀の鞘部分を淀みない所作で手に取り肩へ凭れさせながら扉に向かうと解錠する。受け付けの時も先程もローは同じように刀を担いでいたので今更スタッフも気にしないのか、開いた扉の先に居るローを見ても青年の顔色は変わらなかった。

「待たせたな。聞こう」
「使用人の方が受話器を取られましたので奥様に代わって頂き、トラファルガー様方の現状をお伝えしましたら大変驚かれて…ケビン坊っちゃんに事実確認をしたい、と仰られて一旦電伝虫の傍を離れられました。坊っちゃんは奥様に大層懐いておいでですから本当の事を明かしたのでしょうね。直ぐに奥様は電話口に戻られて、今から坊っちゃんを連れて当ホテルに向かうのでトラファルガー様方には申し訳ありませんが今暫く客室にてお待ち頂きたい、との言伝てをお預かり致しました」
「分かった、特に異存はねェ。お前には世話を掛けた」

 そう言ってパンツのポケットを漁ったローの指が少し皺の寄った二つ折りのベリー紙幣を抜き出す。それがフロント係のシャツの胸ポケットへ無造作に入れられると、何をされたのか直ぐには把握出来なかったらしい本人は一拍遅れてから慌てた様子で紙幣を取り出した。

「えっ、いや、受け取れません…! そんなつもりじゃ、」
「手間賃だ」
「でも」
「ブイー」

 俺も今一度床に降り立ってローの隣へ行き、良いから取っておいてくれという意味を込めて頷く仕種をする。
 ローは何もかもを素直に明かしはしないだろうが、仮に海賊である俺達が島民に領主の自宅の連絡先を尋ね回ったならこんなに早期の解決は見込めなかったに違いない。こうして青年が橋渡しをしてくれた事は俺だけでなく恐らくローも非常に助かったのだ。

 当人にとって過分に思えるチップを受け取る事に一種の抵抗がある気持ちは分からないでもない。だがこの青年はその金が此方からの好意であると分かってくれたようで、最終的には受け取った。
 深く頭を下げてから業務へと戻るフロント係の足音が遠ざかる頃に扉が閉まり、ローが此方を見下ろしてくる。

「お前…さっき結構な勢いで俺に体当たりかましただろ。図体が小柄な上に大して体重もねェんだから馬鹿な真似するな、妙な所痛めたらどうする」

 あっこれはモーニングアタックに対するお説教コースですか、と身構えそうになった俺の予想とは裏腹に、思い切り呆れた様相で溜め息をつきつつも膝を折ってしゃがんだローの掌が俺の頭に乗る。そのまま優しく左右に撫でられて、俺はいよいよロー哺乳類ラバー疑惑を内心で深めるのであった。


 

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