タタッ、と、勢い良く飛んできた水分が布に当たる小さな音が、右の肩辺りで弾けた。

「げっ」
「どうした?」
「コイツの血が着いた……」
「お前が返り血? 珍しいなァ」

 刃物や銃を持たない俺が、他人の血で自分を汚してしまう事はあまり無い。今も、右足を下から振り抜いて上背が二メートルを超えている賞金稼ぎの顎を蹴り上げたらその拍子に相手が舌か唇を噛んだらしく、口元から飛び散った鮮血が俺の服に付いてしまうという事故が起きただけだ。

 頭上では丁度月に雲が被さり、俺の服も黒い所為で肩口を見ても汚れは目に見えない。しかし確かに血の匂いはする。
 近くで別の相手を地に転がしたペンギンが励ますように反対の肩を柔く叩いてくれたが、直後にぎくりと身を強張らせたかと思うとその手に力を加えてきた。

「伏せろ! 船長のが来るぞ!」

 瞬間、迷わず身体を捻って受け身を取ると共に仰向けで地面に倒れ込む。
 ローの斬撃は目にオーラを集めて「凝」をしてさえ視認する事は出来ないが、辺りに響く複数の盛大な悲鳴でローが刀を振ったと知れた。

 場が俄然騒がしくなるも、まともに反撃出来る敵は残っていない筈だ。
 クルーの私物と同じ型の拳銃でもあれば弾薬だけ貰おうかと身体を起こし────即座に元の姿勢に戻った。

「こらー、アルトー。起きろー」
「半径十メートル以内の色んなモノを、ローが"シャンブルズ"で退かしてくれたら直ぐに起きる……」
「千ベリー」
「えっ…………、払おうかな……」
「払うな払うな。まァちょっとばかし数は多いが、もう全員黙らせたぞ」
「…………くっ……!」
「いや苦渋の選択迫られた顔をするな」

 空気はやや血なまぐさいが、薄紫に色付いた雲が棚引く夜空は存外綺麗だ。
 月も再び顔を出して周囲の明度が上がった為、殊更に先程の光景を改めて見たくなどない。足元から聞こえてきたローの絶妙な価格設定を受け入れたくなる。

「前から思ってたけど。ローの能力は夜中に見たくない」
「無茶を言うな。場合による」
「でも昼間や室内だとそれはそれで色々鮮明だからやっぱり見たくない」
「今も見てねェだろ。物凄ェ覇気の無駄遣いだな」
「寧ろこういう時の為の覇気だと思うよ!」

 結局手で目元を覆って立ち上がり、自分を起点に周りの地面へ俺個人の「円」の最大直径である二十メートルの範囲までオーラを拡げ、障害物を感知しながら歩く事にした。視界を塞いでいる為、俺の眼に映る景色は自らの掌のみだ。

 声の聞こえ方からしてローやペンギンが顔を此方に向けているだろう事が判る程度で、仮にも命を狙われる危険性のある海賊としては無防備が過ぎる格好だと承知しているものの、手は退かせない。特にローの近くには、今しがた肉体を分割された賞金稼ぎ達が転がっているのだ。

「俺はね、戦闘になった時クルーが怪我してもそれは自己責任であって船長が全ての責を負うべきでないってハートの思想は好ましいし、動線さえ確保されてたら寧ろ先陣切ってくれるローを頼りにしてるよ。でも輪切りはさぁ!? ちょっとさぁ!?」
「この前は薪みてェに縦割りにするなと文句を言って、今度は輪切りにするなか」
「我が儘言ってごめんなさい!」

 ローは本当に頼りになる船長なのだ。勿論クルー側も最初からローの戦闘力やフォローの巧みさを当てにしているなどという情けない事はなく、甘え過ぎも良くないが、相手が多い程に寧ろ強くなる傾向の能力者である。
 今日のように、地形を利用したつもりになって森の只中で囲んでくる集団も、文字通りの一刀両断で片が付いてしまった。ロー相手に中、遠距離戦は悪手だ。

 そして後に残るのは、物を話せなくさせられた無数の"何か"となる。
 他の皆は慣れたもので、人体パズルから毎回目を背けたがるのは俺だけなのだが、どうにも駄目なのだから致し方ない。食材の好き嫌いとは別で、所謂グロテスクな視覚情報に対する克服の工夫などしようが無いのだ。

「アルト。もう良いんじゃねェのか」

 胸元をぽん、と柔らかく叩かれる。
 確かに大体のモノは避けたり跨いだりして既に後方に在るようだし、これも意外と暗所で動く場合の訓練になるかもしれないが、集団行動の最中に個人で勝手にやる事ではない。手を下ろす。

「うん、──────」


「何だ? アルトがスゲェ勢いで船長追いかけて……、誰かの片腕落ちたぞ。さっきの連中か」
「船長が追い付かれるに千ベリー」
「じゃ、オレはその後船長がアルトに何か奢るに千ベリー」
「あの人がああいうからかい方すんの、微笑ましいなァ」
「これで何年か経ってアルトが死体とか輪切り平気になったら、それはそれで複雑そうな顔してそうだよなー」
 



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