「新年初売りセール……?」
「新年……?」

 墨で書かれた跡も真新しい木製の立て看板を前に、シャチと揃って首を傾げた。それと言うのも、俺達は最近の航海に於いて新年を迎えた覚えが無いからだ。

 目の前に伸びる大通りは左右に隙間なく屋台がひしめいて、呼び込みの声も疎らにしか聞き取れない程の人々で賑わっている。
 照り焼きの鶏もも肉が連なる串を忙しなく焼く屋台の方向から絶えず香ばしくも甘い匂いが漂うかと思えば、すれ違う幼子が大事そうに両手で抱える紙製の容器に収まったポップコーンへ艶を与えるバターの香りが鼻先を撫でて、光景も雰囲気も賑やかだ。
 何処かで楽団が演奏を始めたようで、トランペットとドラムの賑やかな音まで聴こえてきた。

「ロー、無事かな……」
「困ったら呼ぶだろ。お前を」
「いや俺を呼ばれてもお姉さん達をあしらうスキルは持ち合わせが無い」
「お前、迷惑そーな顔の演技とか未だに苦手だもんなー。向こうだって海賊に絡んどいてにこやかに対応されるなんて期待は初めからしてねェ分、お前の甘々対応で尚更意気込ませちまう事もあるんだぜ?」
「うーーーーん耳が痛い」

 島の港に在った案内板を頼りに我等が船長が向かったのは、この大通りを抜けた先に伸びる三叉路からしか行けない筈の生薬店だ。

 人が住む土地ならば、設備や品揃えに差はあろうとも、病院或いは薬店が存在しない例の方が少ない。特殊な習わしが根付いている場合も皆無ではないものの、錠剤や軟膏といった所謂"薬"の外観を持たないだけで、島の自生植物などを治癒に用いる文化と共生している事もよくある。
 とある島では単なる観賞用の花が別の島では砂糖漬けの菓子にされていたり、また他の島ではその根を乾燥させた物を煎じて薬湯にしていたという発見も珍しくない為、ローは寄港先に医療と関わる施設が在れば真っ先に寄りたがる。

 ただし今回は、ローが生薬店へと赴き、ハートの面子は各自で宿泊先の手配や消耗品の調達をしている間に、気付けば島内一の広さと長さを誇る主要道路が催し物の会場と化していた。昼からの開催だったのだろう。
 その上俺とシャチは、今しがた買い物した酒屋でローのファンを自称する数人の女性らに当人の居場所を聞かれている。教えはしなかったが、ローの二つ名を思えば現在地など易く看破されそうだ。

「船長がこんなに帰り遅いとはなァ。病院と違って、個人の薬屋ってあんまし混んでねェ場合も多いし、店の奴が海賊に怯えねェで話に付き合ってくれるタイプなのかもな」
「それだったらまあ、ローが良い思い出来るのは嬉しい事だけど……こんな事なら電伝虫持って行って貰うんだった」
「ん〜、オレちょっと見てくるわ。店に居て楽しめてんなら良し、オネーサマ方に絡まれてんなら悪し」
「後者なら引き剥がしてあげなよ。サングラス掛けてる人って相手の警戒心上げやすいらしいしさ」
「誰が不審者フェイスだよ。え、お前オレと初めて会った時どう思ってたの? ねェ? アルトさん?」
「チャラそうだなって」
「お前を不要に怖がらせなかったんならお兄さん良かったよ……」
「割とサングラス掛けてる人は見慣れてたし」
「お前昔はサングラス海賊団に居たの?」

 美食ハンターの活動の中で高級食材を手に入れた時、購入を望む料理店や富豪の元へ、品物を直接届けに行く機会が何度かあった。仲介業者を挟めば俺も手数料を引かれてしまうし、依頼人も万が一偽物とすり替えられては困るからと、双方の利害が一致して運送費などの諸費用の交渉が纏まった場合は良い稼ぎになっていた。
 相手が珍味好きの資産家であったりすると、出迎えから見送りまでサングラスにスーツ姿の警備員が終始背後に居る事が多かったので、冗談でなく本当に見慣れている。

 ただし報酬を出し渋った依頼主の差し金でその警備員らに襲われる、という事態には遭遇しなかった為、実はシャチとの組み手は少し苦手だ。相手の視線の動きが読めないだけで防御の難易度が上がる。
 サングラスの上から目頭を押さえる真似をする、という茶番を終えたシャチの背が人混みに埋もれてゆく。行き交う人々の中には子供連れも多く、邪魔にならないようにと端の屋台の横まで移動すると、独特の柔らかな香りが右から流れてきた。

 そちらを見ると、中にいた一つか二つ歳上に見えるポニーテールの女性と目が合う。
 その手が持つ試飲用だろう小さな猪口には焦げ茶色の液体が満ち、豪華にも細かな金箔が浮かんでいた。

「新年なので金箔入りですよ。良かったらどうぞ? 黒豆ほうじ茶です」
「黒豆? へえ。……あ、良い香り」

 木や土に通じるような、深みがあって何処か心を和らげてくれる香ばしい香りが立ち昇る。

「あの。新年セール、と言うのは?」
「この島は一昨日新年を迎えたんですよ〜。祖先の人が初めて降り立った日だとされてるのが由来でして」
「なるほど」

 猪口の縁に唇を寄せ、試しに半分ほど口に含む。中身は程好い熱さで、難無く喉を通るが、かと言って物足りなく感じる温度ではない。鼻から抜ける芳香の終わりに甘みが残る独特の味は、少し好みが別れそうだ。

 俺以外にも誰かが飲むだろうと断言は出来ないし、個人の嗜好品として買うとなると、茶葉は少々保管に気を遣う。
 紅茶であれば出涸らしもケーキやクッキーなどの菓子に利用してしまえるのだが、このほうじ茶の葉がそうした使い道に向いているかは分からない。俺が菓子作りは然程得意でないという理由もあるが。

「どうも、ご馳走様でした。美味しかったです」
「……あのぉ」

 女性の勧め方が決して強引ではなかったのでつい器を受け取ったが、セールストークが始まるようなら切り抜けなければなと思いつつ猪口を差し出すと、その手を両手で握られてしまった。

 好意的な感想を告げた事で購買意欲のある客と思われたのだろうか。だとしても客の手を握るのはやり過ぎなのでは、と返す反応に詰まる。
 一方の女性は屋台の正面を通る他の客ではなく完全に此方へと身体を向けて、道路側に一歩近寄ってきた。

「手配書、持ってます」
「はい?」

 唐突な報告に、俺の口から裏返る寸前の些か間の抜けた声が出た。

「貴方の、手配書。持ってるんです私。何だか最初に見た時、目が離せなくて。どんな人なんだろうってずぅっと思ってたんです。そしたら、そしたらこの島に来てくれて、私の屋台の所に来てくれて! 出店して良かった! しかもこんなに丁寧に話してくれて背が高くって、ああ髪短くしたんですね、そんな声だったんですね、これって、ふふ、きっと運命ですよね! ね!?」

 怖い。何がかと言うと、捲し立てる女性の瞬きがやけに少ない点が。

 目を逸らしてはいけないような気がして見つめ合う状態に陥っているが、相対する両目の瞳孔が心無しか開いていて、それにも若干怖気付く。以前に元の世界で、繁殖期と興奮状態のコンボが発動している雌の豹に草原で鉢合わせした時の方がまだ落ち着けていた。
 俺の背が高いというのは女性が小柄が故の主観だが、他は何か明らかに変な事を言われている訳ではない筈なのに、何だか怖い。否、運命云々の発言は決してありふれた台詞ではないけども。

 海賊の手配書を所持する事自体は罪に問われる例は少なく、人相を覚えていれば通報に繋がる可能性が高まる為、海軍の駐屯所によっては無料で希望の手配書を貰える所もある。持っていても可笑しくはないのだ。
 そして手配写真を見て何を思うかは個人の自由であるし、発言からして女性は俺に少なからず好印象を抱いてくれた事は伝わってくるが、俺個人の感想を述べるなら「全ては偶然」である。

「あの……手を……」
「大丈夫です! 洗いませんから! 記念ですもんね!」
「何で!? 何の!?」

 一先ず物理的に距離を取りたくて右手の解放を促そうとした矢先、訳の分からない宣言を放たれて敬語が吹き飛んだ。そもそも俺は用件を言い切っていない。何が大丈夫なのかさっぱり不明である。

 世間から見てその姿勢が良いか悪いかはさておき、「応援している」といった類いの言葉を民間人から掛けられる事はある。特に新聞を読み込んでいたり、海賊に興味があって情報収集を半ば趣味にしているような人は、ハートの海賊団が過去起こした事件で人死にが殆ど無い点に着目してくれる。

 中でも、二年前のルフィやキッドと共闘したとされている"天竜人"の件は、"天竜人"の横暴を目の当たりにした経験を持つ人から好意的に話題にされる事が何度かあった。女子供に暴力を振るう記事も無いお蔭で、女性からも比較的声は掛けられやすい。
 近頃は多少は躱す事になれたつもりで居たが、経験値不足だったらしい。返す言葉が全く浮かばない。

 最初に手をそれとなく離してしまえば良かった、と苦い後悔が湧く。
 手から生み出す粒子を麻痺でなく強烈な眠気を誘う性質に構築しておけば、と思考があらぬ方向へ飛びかけて────視界が一瞬暗転した直後、身体全体が浮遊感に襲われた。

「え!? …………!」

 頭上と視界を占める、綿雲が点在した青空は本物だ。宙に放り出されたと理解して咄嗟に顔だけ地面の方を向かせると、ほんの数メートル下に此方を見上げるローが映る。
 それだけで不測の事態に跳ねた鼓動は落ち着きを手繰り寄せ、家屋の屋根に座るローの隣へ両足でしゃがみこむように着地した。

「ありがと、助かった……。何処に居たの? さっきシャチがローの事探しに行ったよ」
「今しがた此処に来た。祭りを避けるつもりで選んだ横道の途中で女共に絡まれて、しつこかったんで逃げたが……お前もまた妙なのに捕まってたな」

 ローが俺の背後を顎で指す仕種をする。
 振り向けば、先程の屋台から身を乗り出して辺りを見回す女性の姿が眼下に確認出来た。思わずローの反対側に移動してしまう。

 ついでにと立て膝で座るローの空いている手に自分の片手を重ね、オーラを送り込んで回復させながら俺も一旦腰を落ち着かせる。

「最初は普通だったんだよ、でも段々話が通じなさそうな雰囲気になってさ。こっちの話聞いてくれないし……久々に割と本気で困った」
「ああいうのは近付かないのが最善だ。目が合ったら合ったで、話したら話したで詰め寄ってくるぞ」
「モテる男はアドバイスの引き出しの多さが違うねー」
「…………」
「やめて、鬼哭の先で脇腹ぐりってすんのやめて」

 やけに実感が込められた響きに聞こえた台詞へ軽口を返すと、鞘の先端を肋骨の下の柔い所へ押し当てて捻られた。距離を取ろうにも回復途中なので手を離せないのに、擽ったくて背筋が勝手に反る。
 反対の手で鞘を掴んで抵抗はしつつも、時折ローがこうして気の置けない構い方をしてくれるのは嬉しい。正式にハートの海賊団クルーになったばかりの頃であっても今のような、じゃれ合いと呼べそうなやり取りは無かったから尚更だ。

 現在でこそ自然だ、当たり前だと感じる事も、不慣れであったり新鮮に思う時期は必ずあった。

「もういいぞ。今日はそんなに能力を使っちゃいねェ」
「そう?」
「もしさっきの女が血眼でお前を探し回る事があっても、能力を使ってまで対処はしねェよ。傍から見りゃあの女の態度は普通とは言い難ェからな……多少ぞんざいにあしらっても騒がれねェだろ」
「さっき、此処まで声聞こえてたの?」
「いや。だが商売にしちゃお前に対する距離の詰め方が明らかに妙だった」
「そうだよね、アレ近過ぎだったよね……」

 能力の解除を促されて手を離す。この島には今朝上陸したばかりだし、叶うならログが貯まるまで心穏やかに過ごしたい。

 何せ文字通り世界を渡ってローと出逢った身なので、正直"運命"を信じたい気持ちが少しも無いとは言えないのだが。
 あの女性と再会はさせないで欲しいなと、実在するかも解らない神様に胸の内で願った。
 



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