湯気が昇るスープカップとバター風味のパンが乗る皿を手に食堂内を歩く。
 正午に差しかかる時刻である事も手伝って船員の大半が集う中、窓際の空席へと歩み寄って手前に椅子を引きながら向かいで同じように朝食を摂るアルトを見下ろすと、若干眩しさの強い朝陽を受ける表情は晴れているとは言い難かった。

「おはよう、アルト」
「…おはよう、ペンギンさん」
「どうした。浮かない顔だな」

 "麦わら"のルフィとジンベエを担ぎ込んで三日目であった昨晩、未だあらゆる延命装置を外せない容態の為に滅菌済みの手術室を出られずに居る"麦わら"の体力を能力で回復させるようにとアルトが船長から指示されていた事は知っている。その疲労が抜け切っていないのかとも思うが、見たところ別段顔色は悪くない。

 俺の声に反応して緩慢に顔を上げたアルトの手元、卓に置かれたカップの中にはまだブロッコリーのポタージュが半分程残っている。しかし湯気は一筋も立っておらず、暫くの時間此処に居るらしい事が窺えた。

「………、」
「ん?」

 アルトの唇が何か迷うように薄く開かれるも音は生まれてこないので、促すように首を傾げて見せる。
 あまり此方が構えてしまっても話しにくいだろうと食事に手をつけ始めれば、数秒の後にアルトが眉尻を幾ばくか下げた。

「……俺さ、蛇姫様に言い過ぎたかな?」
「一昨日の事か? 俺はそうは思わないが…お前がそう感じた理由は何だ?」
「ご本人から聞いたんだけど、姫様、ルフィの事が男として好きなんだって。両想いなのかまでは訊かなかったけど、どっちにしても、惚れてる相手が瀕死の重体だったら……心痛もそれなりだろうなって……。今この船内に姫様の身内も味方も居ないんだし、もうちょっと他の言い方もあったかなとか考え出したら何か……、さ」

 昇った血が下がったら物の見方が変わったらしい。

 元の性格なのか、本人から家族について聞いた事は無いが人からの教えなのか、アルトはこと女性の心身を尊重する節が在る。
 勿論軽んじるよりは余程良い事ではあるし、価値観は個人差もあるのでそれ自体をどうこう言うつもりはないのだが、アルトの場合は"女性"という括りに対してまでも些か寛容が過ぎるのだ。

 とは言えそんなお人好しな所が短所に直結する訳でもない。只々、俺達とアルトの年季の差であり、経験の差であり、肝に命じた教訓の数の差だろう。

 笑顔で接してきた女に隠れて海軍へ通報された事も、助けを求めてきた女が軍や賊の仲間であった事も最早数えきれない。
 そうやって危機に晒されては退け、追われては回避してきた結果、少なくとも俺達は相手の性別によって警戒の度合いを変える事はしなくなったというだけだ。並びに容赦の度合いも、だが。

「彼女がお前の想像通り傷心していたとして、だ。それはシャチを傷付けて良い理由にも免罪符にもならない。そして"女帝"が恋慕う"麦わら"が助かったのは運だけでなく船長の決断があっての事だし、アイツの命を繋げたのは船長の外科医療技術とお前の能力であって、彼女は救命に直接関わった訳でもない。だろう?」
「……うん」
「加えて目下、彼女に個室を与え、本来クルーが食う食事の一人分を分けてやってもいる。これは例外的と言うか破格の待遇だ」
「けど姫様、ルフィが安全に療養出来るように自分の島で匿うって…」

 行儀が良くないとは承知だが、ちぎったパンの半分をポタージュへ浸して口に運ぶ。

「それは彼女本位の決定だ。確かに軍の目を欺くには最適だとは思うが、船長だって助けたからには"麦わら"が完治、或いはそれに近い状態になるまで諸々の面倒ぐらい見るつもりはあっただろうさ。女ヶ島へ向かうのは"麦わら"と"女帝"にとっての利であって、俺達に何か益がある訳じゃない」
「…………」
「ま、どうせなら身の危険感じずに治療したいから船長も"女帝"の案に乗ったんだとは思うけどな。総合的に見て、彼女がシャチに怪我させたのはやり過ぎだ。お前が治してくれたし、もしもの話をしても仕方ないが……仮に傷の位置や深さが悪くて、シャチの脚の腱でも切れてたら? お前、同じように"女帝"に同情出来たか?」

 最初に細く息を吸った後は、なるべく諭すような声色を心掛けて話した。女性を大切に扱うのは基本的には良い事だが常に発揮するべき質ではない。どうもアルトはボア・ハンコックという一個人に焦点を絞ってしまっていそうで、少々心配になる。
 あくまで彼女も海賊であり、且つ肩書きが持つ権限を行使し日頃から略奪や襲撃を繰り返す猛者だ。

 最後の問いは我ながら些か意地が悪い内容だったが、アルトは暫し手元のカップを見下ろした後、納得の窺える面持ちで首肯を返して来た。

「……ごめん。甘い事言った」
「謝らせたかった訳じゃない。が、"女帝"も俺等と同じく武力で悪名を馳せた賊だって事は念頭に置いてくれ」
「うん」

 この一言で話に区切りがついた折、ふと後方で「キャプテンおはようございます!」と声が上がって振り向く。寝起きなのか刀を持たず帽子も被っていない船長が軽装の儘室内に入って来た所で、船長は俺と目が合うなり自分の背後を肩越しに指した。

「九蛇の旗を掲げた船が見えた、女帝屋を連れて操舵室に向かえ。合流方法を電伝虫で相談させろ」
「了解しました」

 もう昼間とは言え珍しく船長にしては早めの時間帯に起きて来たなと内心驚いたが、命じられた中身で腑に落ちる。
 伝声管を使って全室へと「九蛇海賊団の船が見えた」と伝えてしまえば当然ハンコックにもそれは聴こえる訳で、万が一彼女が"麦わら"のみを生かしてハートの海賊団は潰してしまおうと考えているのなら、直ぐ近くに自分の配下が居る状況を好機と見て奇襲に乗り出さないとも限らない。

 船長が敗けるとは思わないが無駄な争いもしたくないので、九蛇の船が見えたら口頭で報告を回し、"海賊女帝"を呼び出し周りをクルーで包囲した上で部下と電伝虫で話をさせ、それを録音する手筈になっているのだ。
 もし不審な動きをされたなら、"麦わら"を匿う旨なども含まれるだろうその会話記録を海軍基地へ通信を繋げた別の電伝虫のスピーカーに流してやる、と脅す事が出来る。

「ペンギンさん殆ど食べられなかったね、持ってく?」
「いや、やめておく。ポタージュはまだ熱いし、折角だからお前が食うと良い。自分の奴はとっくに冷めてるだろ?」

 そんな策をアルトは知らない。そういった遣り口や雰囲気に慣れさせるべきかとも考えたが今回は見送った。
 いずれ嫌でも慣れゆくが故に、もう少しの間だけ、アルトには青い儘で居て欲しいのだ。

 



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