元帥の話は暫く続いた。血がどうの海賊王がどうのと語られる内容を俺なりに解釈すると、世界的な悪党の実子であるエースの絶命こそが海軍にとっては後世の為に重要、という事らしい。

 あくまで俺個人としては、エースという人間の背景についても白ひげ海賊団に関しても無知に近いが故に、海賊たるエースが処刑の運びになる事そのものを意外だとは思わない。ただ少し、理不尽だなとは感じた。

 皆や観客の反応からしてエースの出生にまつわる事実は世間にほぼ知られていなかったようだが、驚いた様子の見受けられないエース本人は何等かの形で知らされていたのだろう。
 産まれた時から父親の悪名が着いて回り、今や血筋を理由に見世物じみた刑に処せられるのはどんな心地だろうか。

 其処まで考えて、エースと同じ経験をした事の無い俺が想像だけで可哀想だつらそうだなどと思うのは彼に失礼に思えて、思考を止めた。

「何か腑に落ちねェか」

 バルコニー内に在る、一つのテーブルと二脚の椅子のみで構成されたテラス席で紅茶を飲みつつ映像を眺めていると、先程渡した珈琲のカップを片手に持つローが向かいの席に腰を降ろした。
 モニターを観なくて良いのか訊こうとして、本人が自分で構わないと思ったから着席したのだと思い至り、質問に答える事にする。随分と的確に選ばれた問いかけだが、俺が無意識に不満そうな顔でもしていたのだろうか。

「…俺がその"海賊王"って人がやらかした事も、処刑の様子についても知らないからこう思うのかもしれないけどさ。親のした事は子供には関係ないんじゃない? って思って…」
「知らねェって、…ああ、お前二十歳だったか。丁度ゴールド・ロジャーが死んだ頃に産まれたんなら、そりゃ処刑報道の記憶は無いにしても……本当に世間への関心が薄い奴だな。だからそれだけ健全な感想が出るんだろうが」

 俺があまりに世界情勢に疎いので、最近はローも皆も俺は「元から世間の動きに関心の薄い奴」なのだと解釈して片付けてくれるようになった。
 その理解──俺の側から正しく言うなら"設定"──に乗っかって、関心の有無については肯定も否定もしていない。
 皆からそう見えるのなら、俺にとっての事実もそれで良い。

 展望に配慮した結果か、俺とローが寛ぐこの席はバルコニーの中に作られた段差の上に据えられている。視界が何にも遮られない代わりに少々風が涼しく感じられる中、卓上に頬杖をついたローが鼻を鳴らした。

「いつの時代でも悪の遺伝子だの血だのが云々と騒ぐ奴は一定数居るが、ンな素質が細胞レベルで受け継がれるんなら世の中もっと犯罪者だらけだろうな。善行も悪行も当人の意思によるものだ、お前の言うように親の行いは子には関係ねェ。…普通はな」

 不意にローが小さく顎を動かしてモニターの方向を指す仕種をする。
 従って視線を広場に戻すと、それまで水平線だけを映していた筈の右の画面に変化が生じていた。虫、パンダ、キリン、水牛、象、鰐、蛸と様々な動物を模した船首を掲げる海賊船が、軍艦のすぐ手前まで迫っている。

「全船、白ひげ海賊団の傘下の船だ。まだ若ェ、若輩の部類とも呼べる火拳屋一人を救う為だけに、これだけの名だたる猛者が新世界から集う。傘下の連中は単純に火拳屋の人柄を気に入ったから助け出してェだけなんだろうが……少なくとも海軍はその理由を"海賊王"にこじつけてェんだろう。政府からすりゃ、海賊って生き物には薄汚く居て貰わなきゃ困るからな」
「自分達が武力行使で仕事をしやすいように?」
「それに加え、日頃から臭ェ物に蓋をしやすいように、だな。今回に関しちゃ全ての原因を火拳屋の血筋に押し付けちまえば軍には都合が良いし、海賊の流儀を知る筈もねェ民衆は勝手に想像を膨らませる。これ程の戦力を動員させる火拳屋が"海賊王"の息子とは恐ろしい、野放しにすればこれからの世界は更に戦火で荒れるに違いない、ってな。…白ひげ海賊団の旗の庇護下で安定した暮らしを維持してる島も少なくねェってのに、肩書きに踊らされる馬鹿ばかりだ」

 最後の台詞だけローの声が一音低くなったように聴こえて隣を見る。けれどもローの表情には変化の名残はなく、眼差しも液晶に注がれた儘だ。倣って俺も顔の向きを戻す。

 四角い画面の中では動きがあり、新たに帆船四隻が湾内中央に顔を覗かせた所だった。

 果たして船首と呼んで良いのか、一際大きな船の先頭に付属している鯨の顔を象ったオブジェの上に一人の大柄な男が現れる。真っ白な髭を生やした顔こそ老齢だが、その身体は其処らの若者より余程筋骨隆々として逞しい。

「あれが"白ひげ"?」
「ああ」

 "白ひげ"の口元が動く様が遠目ながら見て取れるが、シャボンディへ中継されているのは映像のみらしく何を話しているのかは判らない。別の画面に映るエースも強張った険しい顔つきで何事かを叫んでいる。

 次に"白ひげ"は自身の得物だろう刀とも槍ともつかない形状の武器を脇に置くと、両腕を前方で交差させつつ幾らか背を屈め、腕を左右に振り抜いた。

 虚空を薙ぐ、と思った拳がまるで見えない壁にでもぶつかったように不自然に宙で止まる。その両手を中心に何も無い筈の外気へ皹割れ模様が走り、目の当たりにした現象の異様さに俺が一度瞬きをした時には異変が起きていた。

 "白ひげ"達の船の両側の海面が丸々と盛り上がる。
 湾頭の陸地すらたわませながら波は密度を増し、範囲を拡げ、山のような体積に膨れながら横へ横へと進んで、遂には画面の外まで行ってしまった。

「……ロー、何あれ」
「海震だ、お前も船に乗ってたんなら覚えはあるだろ。あれは人為的な上に規格外だが」

 そんな覚えはないのだが、俺が漂流の末あの無人島に辿り着いたとローは思っている為無難に頷いておく。
 
 数十秒、見える範囲で特に変化は起きず時間だけが過ぎた。
 膠着状態がまだ続くのならローかペンギンに先程の現象について説明を求めようかとタイミングを図りつつ一応モニターを注視していると、ふと画面の中だけ若干明度が下がったように見えて目を凝らす。

「うわ、」
「…何だ、ありゃ…」

 俺も皆の呟きと同じ心境だ。大きい、高いと言った表現では収まらない、全貌が液晶からはみ出す程巨大な津波が島の両側へ、二枚貝が殻を閉じようとするかのように迫って来ていた。

 



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