赤々とした陽が街並みも雲も等しく照らして景色全体を緋色に染め、空の半分を群青色が侵食し始める中、逆光の所為で顔に影を被っているアルトの表情はまたしても魂を吐き出しそうな物になっていた。

「いきなり五十万持って来いだなんて何があったのかと思ったが、良い物買って貰ったじゃないか。手配祝いだな」
「重い。五十万、重い」
「錯覚だ錯覚」

 ほんの十数分前の話だ。
 船長から突如として武器店に大金を持って来い、という指令を受けて妙な事件にでも巻き込まれたかと中身の詰まった財布を片手に急ぎ足で向かった所、件の店に居たのは涼しい顔の船長と表情を強張らせたアルトで、店のカウンターに置かれた見事な木刀を視界に入れて大まかにだが察しはついた。船長がアルトに武器を買い与えようとして、品物が高額である事にアルトが遠慮したのだろう。

 武器は消耗品でしかない。銃なら火薬汚れが染み付いたり部品にガタが来たり、刀ならば刃零れもするし、手入れや戦闘を繰り返す内に少しずつ表面が削れる。
 他の鈍器も汚れや傷は付き物で、そういった使い込んでなんぼの品にやたらと金をかけるのは良いとも悪いとも言い切れない。ただ、きちんとした店できちんとした人間が手掛ける売り物は、良さと値段が比例する。

 船長が躊躇わず金を出すのだから、店主も船長も互いに相手を認めた結果だろう。聞けば黒光りする木刀は剛木"ダイヤ"から生まれた物だそうで、店主の計らいで値引いて貰えたとの事だった。
 素材の名前を聞いた時には"ダイヤ"を使った武器は作成に手間と時間がかかる事も相俟って相場は七十万前後であった筈なのに、と内心首を傾げたが、事の次第を聞いて正直俺が嬉しくなってしまった。

 そうして今現在、空き部屋の数に余裕があってランクもそこそこのホテルが確保出来たとの連絡を受けて先に宿へと代金を払いに向かった船長と別れ、今夜の食事処の下見をしているシャチ達の班と合流するべくアルトを連れて歩いているのだが、どうにもアルトの顔が曇りっぱなしなのだ。

「なァ。お前は人に贈り物をしようと思ったとして、金が惜しいから相手がどれ程良い奴でも安物で済ませようと思うタイプか?」
「いや、そこまで極端じゃ…。喜ぶ顔が見たいって思える人だとか、俺自身の気持ちによっちゃ金額はあんまり気にしないよ」
「そういう事だと思うぞ。お前だから船長も金を出してやりたい、良い物を買ってやりたいって思ったんじゃないか。あの人は値段を気にしちゃいないさ」

 そう言ってやると、アルトの面持ちが幾らか変わった。腕に抱えている木刀の収まる箱を見下ろし、何処か納得したような目の色で瞬きをする。
 船長は言葉より行動で示したようだし、俺の憶測も含めた意見ではあるが、的外れな見解と言う事もないだろう。確実に敵が増えゆく今後に向けて、それだけ船長がアルトの戦闘員としての働きに期待している証拠だ。

「ペンギンさん」
「何だ?」
「ごめん、シャチ達が荷物持ってれば手伝うつもりだったんだけど、先ホテル行ってても良いかな。…値段にびっくりして、恐縮して、この木刀の事ローにちゃんとお礼言えてないんだ」
「…ああ、良いぞ。繁華街はこれから混み出すし、どの道そんなデカい箱持ったままじゃ歩きづらいだろうしな」
「ありがと、後で埋め合わせするから何か言い付けて!」

 埋め合わせも何も先ずお前を荷物係には任命していないんだけどな、と駆け出した背中を見送る。

 アルトの反応や思考、気遣い、行動は随分と一般人寄りだ。勿論海賊とは言えハートの海賊団も他人同士の集まりで、一定以上の配慮をし合わなければ仲を保てやしないのだが、アルトは殊更利他的な面がある。他人の苦労は請け負うが、自分の仕事を他と分担して負荷を減らそうとする事が少ない。

 他人、しかし仲間であるクルーを頼るのは甘えでもなければ狡くもない、言わば身内であるからこその特権とでも言おうか。
 友人よりも更に一歩深い情で結ばれている、そんな感覚があるからこそ誰もが気安く他に泣きつき、誰もが笑って受け入れる。

 だがアルトはまだ俺達と出会って、ハートの海賊団船員になって日が浅い。此方側の調子に合わせて寄りかかってくれと言うのは流石に気遣いに欠けるだろうし、俺も己の何もかもを余す事なく晒け出している訳ではないのだ。

「急かしたい訳じゃないんだがな」

 けれども、だ。過去に縛られず、その頃の苦悩を滲ませず、笑って懐いてくれる後輩の我が儘ぐらい聞いてやりたい。
 アルトが近寄ってくるのを待っている俺達とは違って、アルトの方に近付いて此方の輪に引っ張り込めるのは今のところ船長だけだろう。アルトはクルーを満遍なく慕ってくれているが、船長にだけ毛色の違う敬愛を向けているのは傍目にも分かる。

 馴染んではくれている。だから次は染まってくれたら何よりだと、既に見えない姿が駆けて行った方向を眺めて自然と細く吐息が漏れた。

 アルトの手配書もアルトがハートの一員であると報じられた新聞も、全世界に配られている。今日までの道中でトラファルガー・ローの懸賞金が上がる度、その名が新聞に載る度に周囲の目と環境が変化してゆくのを俺達も見聞きして、或いは肌で感じてきた。
 会った事のない無数の人間が自分の顔と名前を知っている、特殊な立場にアルトもまた慣れなければならない。

 遠くない未来、その若さが反感や嫉みを買う事が恐らくある。その容姿から、見知らぬ女に一方的に声をかけられる事もきっと増える。
 海賊であるが故に不躾な視線を、無思慮な言葉を、理不尽な態度を、不特定多数の相手からこの先何度もぶつけられながら生きてゆく。

 そういった時にアルトの目や耳を塞いでやれるのは船長の掌だろう。アルトが着くのは船長の隣、はたまた一歩後ろ。
 ならば俺達はその後ろを歩いて、両者の背中を押したり尻を叩いたり、来た道を振り返るなら顔の向きを戻してやりたい訳で。

 先頭を歩かないからこそ出来る事もある。船長は目的の椅子を見据えて、アルトは船長の行く手に現れる障害物に噛み付くのなら、彼等の足元を整備するのは俺達の役目だ。

 そう思える位には此方もお前の甘さ弱さを出来る限りは受け入れて可愛がってやりたい奴ばかりなのだと、アルトが早く実感を持ってくれたら良い。指名手配を知った船内もホテルもお祭り騒ぎになると予想がついていないのは、恐らくアルト一人だけだ。
 
 



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