「冥界…って言うと聞き慣れないかもな、要はあの世の事なんだが、其処の番犬であると言うのが一般的なケルベロスの説明だ。ケルベロスという名称自体は『底無し穴の霊』という意味だが、基本的には首が三つ生えて、竜の尾と蛇のたてがみを持つ犬の姿を指す。伝説上の生き物だ」
「えっ…つまり俺は人外認定されたの…?」
「違うと思うぞ?」

 ケルベロスとは何だ、との質問に答えた結果、口から魂の欠片でもはみ出て来そうな程覇気に欠けた顔で呟いたアルトに苦笑を添えて答える。確実に味方よりは敵が増えた己の立場を、理解は出来てもなかなか納得しかねているようだった。

 あれから道行く通行人に食事の旨い店を尋ねて行き着いた店で、ベポを連れている為に少々好奇の視線を浴びながらも昼食を摂っている。
 この店は確かに茹でたてのパスタが美味で、普段ならばアルトは美味しいものが食べられるだけで機嫌が上向きになるというのに未だ浮かない顔なのだから、余程賞金首になるのは嫌らしい。嫌がった所で指名手配は取り下げられやしないが。

「冥界の主、つまり死を司る存在がハーデースと言う男性神だ。ケルベロスはそんなハーデースの忠犬だと言われている」

 そう言葉を付け足すと、アルトより先に船長が反応を示した。少しばかり面白がるような色を瞳に湛えて眉の片方を上げる表情に俺も肩を竦めて見せる。
 対してアルトとベポ、シャチは単なる蘊蓄を聞いているといっただけの顔で「ふうん?」と首を傾げた。

 ベーコンと丸茄子のトマトソースパスタをフォークに一口分だけ巻き付けて口に運び、咀嚼を終えてからつい無意識にフォークでアルトを指しそうになって手を降ろす。以前船長が同じ仕種をしてアルトに注意されていた事を思い出した。

「今の所、死と言う単語を二つ名に宛がわれている海賊は船長だけの筈だ。…アルトは恐らく、船長と共闘した所を海兵に見られた。アルトが船に乗ってから海軍を相手取るのは初で、つまりハートの船員として目撃されるのも初。一人だけ服装も違う。よって船長の言った通り実力を危険視されたのと同時に、それで船長の隠し玉……表立っては動かない懐刀か何かだと思われたんじゃないか? 少なくとも俺はそう見ている」
「……あ、あー、番犬っつーか、忠犬で、だからケルベロス!?」
「いいなあアルト、何か格好いい」
「単純にアルトの脚力を化け物並みだと思っての命名なら、他にも例えようはあるからな。これ位読んでもあながち外れていないかもしれん」
「海軍からすれば皮肉のつもりだろうが、生憎と事実だな」

 俺の補足で比喩と暗喩の意味合いに気付いたのか、バゲットを齧っていたシャチがすっきりとしたような顔でアルトと船長を交互に見る。個人的な興味から齧る程度に調べた事のある神話についての知識がこういった機会で活きるとは思わなかった。

 ホタテの貝柱と茸のペペロンチーノを食べていた船長が唇の端に笑みを刻んで零す言葉に釣られ、此方も笑ってしまう。
 けれども俺の見解を話して以降妙に大人しくなった気のするアルトの顔を何気なく横目で確認した途端、食事中だと言うのに俺は軽く噴き出す羽目になった。

「…何て顔してるんだ、アルト」

 まるで大好きな親に褒められでもした幼子のようだ。眉だけなら困ったように下がっているのだが、自分の胸中の感情が落ち着いていないだけかもしれない。微かだが頬が上気して、何より雰囲気が嬉しさを語っていた。

「え、いや、だって……えー…」

 元より乗船に至る経緯から船長に大恩ある身と自分で思っているアルトだ、新参ではあるものの船長の役に立ちたいと思う気持ちの強さは俺達とそう変わらない事が予想出来る。
 それに俺の仮説が当たっていてもいなくても、アルトはハートの海賊団とその船長にとって有能であると世界政府に太鼓判を捺されたようなものなのだ。顔の割れたお尋ね者になるという点にショックを受けてはいたが、この事に気付けば大分心持ちは違うだろう。

「…お前、思ったより被虐嗜好な性格だな。そんなに俺の犬になりたかったのか」
「ローのその誤解の解き方なら知りたい」

 完全な真顔で返したアルトに、船長用の食事を作る時のお前に尻尾が生えていれば振っていそうだとは言えなかった。

 昼食を済ませて店を後にし、服屋や本屋が並ぶ通りに入る。

「……ん。アルト悪い、新聞買ってきてくれないか?」
「良いよ」

 道端に新聞を売るワゴンを見つけ、店員が若い女性な事もありあからさまに一般人には見えない俺達では必要以上に怯えさせるだろうかと懸念して、斜め前を行くアルトを呼び止める。
 小銭を渡せば不服そうにするでもなく素直に小走りで売店へ向かってくれた。

 そろそろアルトにつなぎを仕立ててやったらどうかとベポに言われた事があるが、ハートの名が新聞を賑わせるにつれクルー揃いのつなぎの存在も次第に広まってきている昨今、顔さえ相手に知られていなければ一般人を装えるアルトの出で立ちはこういうふとした時に有難い。

 アルトが会計を済ませる間にワゴン前を通り過ぎ、若干離れた位置で止まって待つ。一部を片手に戻ってきたアルトは釣り銭を俺に、新聞を船長に手渡した。早速読むつもりなのか今度は船長がアルトへ鬼哭を渡す。

「昨日発行された奴だって」
「情報の鮮度としてはまずまずか」

 今居る面子で、人間の中では船長の背が最も高い。故に横から無理に覗こうとしても首が疲れるだけなので船長が読み終わるのを待とうと前を向いて歩き出すと、五歩も進まない内に船長だけがぴたりと止まった。

「ロー?」
「キャプテン、どうしたの?」
「あ、ハートの記事でも載ってたんスか?」

 皆が口々に尋ねる中、船長は一面を凝視している。
 文字を追っているのか瞳が何度か細かく動き、次には少し意外そうな表情を浮かべた。

「マリンフォードで、海軍と"白ひげ"間の戦争が起きる」
『………、はァ、っ!?』

 俺とシャチの声が被さるが、船長は浅く眉を寄せてその場から動かない。まさしく寝耳に水の衝撃に困惑する俺の前で、船長は新聞を畳んで此方に投げて寄越しながら再び口を開いた。

「見物に行くか」

 驚き過ぎて呆けたシャチが顔面で新聞を受け止めた。

 



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