危機感を低めやしないか、と言われて直ぐにローの言いたい事の全容を掴めはしないが、かと言って何も心当たりが浮かばないという訳でもなかった。

「まあ、その……怪我とか痛みをやり過ごすって言うか、即座にでも後々でもどうにか出来る能力だから、そういう意味じゃ攻撃の姿勢に撤しやすいとは思ってるけど…」
「…最低限の自覚は在るようだな。足りねェのは自制か」

 オーラの流れを滞らせないようにしつつも、治療の合間に耳半分で聞くのも不躾に思えて顔はローへ向ける。

 俺の「発」は道具を使わずして止血や麻酔が出来る点が長所であると同時に、短所にも代わり得る事は自覚していた。
 怪我に対して"香辛料無差別配布(ビビッドシャワー)"を使った場合、一時的にでも痛みを知覚しなくなる影響で咄嗟の挙動に遅れや崩れが生じる確率は格段に下げる事が出来るし、痺れこそすれ弛緩効果は伴わないので身体を動かすにも支障は出ない。
 ただし麻痺効果が持続している間は、仮に傷口が拡がろうと気付けない所が難点だ。痛感は身体が発する危険信号でもあるから、やたらに抑えてしまうのも良くない。

 併せて"見えざる繭(ソフトプリズン)"で血小板の結集と凝固を早めて止血を施す事も可能だが、此方の技に関しては発動限度回数が一日三回という制限がある。
 故に万が一の可能性を憂慮して、軽傷だとつい発動を見送りがちだ。より深手を負ってからでも処置は間に合うだろう、と怪我する事に鈍感になっている部分は確かにあるかもしれない。

 ローが俺のそんな過去における躊躇いをも見透かしているとは考えにくいが、自己防衛に対する意識の高低の度合いにムラがある事を見抜かれたのだろうか。
 極力苦痛を避ける努力は、勿論する。だが一つ痛手を負ってしまったなら以降のダメージ蓄積にはそこまで頓着しない傾向があるとは自分でも思っている。

「何故独断で動いた。お前にあれだけの脚力があると事前に知れていりゃ、助太刀のしようはあったぞ」
「でも口頭での説明だけじゃロー納得しないだろ? その辺の根とかを蹴り折って実践出来る暇もなかったし…」
「納得は出来かねただろうな。行動に関する納得ってのは結果を確認してから得られるモンだ。だが、お前の状況判断力を信用してはいる」

 座り込んでいる俺とは異なり、片膝を立ててしゃがみ込む姿勢で居るローの顔は相変わらず目線よりも上に位置していて、見下ろしてくる眼差しは厳しい。
 けれども俺は今怒られているのではなくて叱られているのだと気付くと、若干ながら感じていた気まずさが呼気と一緒くたに外気の只中へ溶け消えた。

 俺とてローという人間を信頼していない訳ではない。知っている部分より知らない部分の方が余程多いのはお互い様だし、俺より対人戦に慣れていて、且つ外科医であるなら人体の構造にも詳しいのだから、こと肉弾戦においては非常に心強い前衛だ。

 そう判っていて尚助力を求めなかった最たる理由は、俺の我が儘だ。

「……もしローが撃たれたら、って考えたら、つい…」
「そうなりゃ俺が何か判断を誤ったか運が無かったってだけで、お前がその結果を引き寄せる訳じゃねェ。第一当たり所が悪けりゃ終いだろ、俺もお前も」

 確かに銃弾と違って実体を持たないレーザーは、念で身体を強化したとしても防いだり弾いたり出来るのかは不明だ。それ以前に当たり所云々の箇所が正論なので何も言い返せない。
 俺は傷を治せる能力を有してはいるし、常人と違ってしっかりと「堅」を纏っていれば恐らく銃弾に貫かれる事もないが、それでも不注意で脳や心臓、首に深手を負えば即死する。

「……今後同じ事は繰り返さない」
「それが賢明だな。次は本当に刈るぞ」
「はい。ごめんなさい」

 申し訳ないな、よりも自分の行動は良くなかったな、というのが現在の気持ちだ。念能力のアドバンテージがある分、生身の皆より俺が前に出た方が良いと思ったが、くまの攻撃手段の全てを把握していた訳でもないのに軽率だった。
 謝罪には、ローはそれ以上表情を険しくする事なく頷きを返してきた。くまを破壊した事実を加味してくれたのかもしれない。

「船長、職人探しに行ってた奴等と連絡つきました! まだ商談の途中だそうで船は停泊箇所から動かしていません、直ぐに出せます!」
「どうせ海軍に盗聴されてる会話だ、そのまま小電伝虫を船と陸にある他の奴にも繋げ。上陸中の総員へ帰船命令、見張り連中には窓の施錠と潜航準備を指示しろ。望遠鏡で海軍船が視認出来るなら進行方向の調整も予めするように言え」
「了解です!」
「ベポ、持ってろ」
「アイー!」

 幾らかつなぎを汚したペンギンが此方へと駆け寄りながら張り上げた声に、ローが腰を上げる合間に答える。
 後続するシャチとジャンバールの背後には追っ手の兵達が揃って地面に伸び、身動きする者は居ない。キッド海賊団の面子は既に全員が北西の方角へ進んでいて、背中が小さくなっていた。

 ベポへ鬼哭を投げ渡すローの横を通り過ぎたペンギンが、俺を見て問うように眉を寄せる。怪我なら大丈夫だという意味を込めて首を縦に振るとペンギンの表情も和らぎ、顔の角度を戻して掌に乗る小電伝虫へ話しかけ始めた。

 視線が外されたのを機に俺も患部を確認する。
 幾ら痛みが無いとは言えまさか肉と神経が露出した内部を清潔でもない布で拭けないので、治癒の過程で放置するしかなかった内出血が赤黒い痣に似た外観で皮膚の下に認められるものの、きちんと表面の皮膚まで再生して癒着も済んでいる。

 これなら走れそうだと「周」を解除し、地面に手をついて立ち上がるべく足に力を入れようとした途端────全く別方向から力が加えられて、身体が浮いた。
 座った姿勢の儘で視界が上へとスライドしたかと思うと、肩から膝にかけて身体の側面が固いものに軽くぶつかり、俺より身長の高いローの顔が俺の顎下に来る。

「ちょっと、ちょ、ロー!?」
「煩ェ、耳元でデカい声出すな」
「すみません。取り敢えず降ろして、走れるから」
「馬鹿言え、その白い顔色でか。出血の所為で鉄欠乏性貧血に陥ってる可能性が高ェ……無駄に酸素が要る事をするな。お前の能力が体内での鉄分生成と赤血球の回復も即刻叶えるなら検討はしてやるが、どうなんだ」
「………いや、それは……あの…じゃあ、せめて担ぐとか背負うとか…」
「これが一番俺には負荷がかからねェし重心も安定する。逆の立場で想像してみろ」
「…………ですね……」

 男として産まれて二十年と数ヶ月、人生で初めて横抱きされた。

 



( prev / next )

back

- ナノ -