獣よりも余程分別の無い相手に向けた姿勢をこう表すのも不本意なのだが──"無礼"な言動を働いた剣士の青年に対して、"天竜人"が手持ちの拳銃を撃つ動作は存外遅くなかった。だが、青年の体捌きはその数倍早かった。

 一発目を前傾姿勢で避け、青年の動きを全く追えていない"天竜人"が二発目を撃つ時には間合いを詰め、三発目が放たれた頃には腰に下がる鞘の一つから鋼が顔を出す。勘弁して欲しい。

 両足にオーラを移動させて脚力と走力を増強してから強く地面を踏み込み、殆ど跳ぶように現場までの距離を埋めると、真横から青年の着ているシャツの襟を掴んで勢いを殺さず離れる。
 俺と全く同じタイミングで青年の首に細い腕が巻き付いたので思わず横を窺うと、酷く焦った顔をした可愛らしい女の子と視線が合った。

 不思議そうな表情でされるがままの青年を地面に押し倒しつつ、少女が上着の中からトマトジュースの瓶を取り出すと、一度俺を見てから目線の動きで背後の"天竜人"を指した。やろうとしている事の察しがついて俺も一つ首肯を返す。

「えーんお兄ちゃーん! どうして死んでしまったの!?」
「この馬鹿兄貴! "天竜人"様の御前を歩くだなんて、幾ら酒に酔ってたからって…馬鹿野郎!」
「……オイ…」
「ちょっと頼むからマジで黙っててくれ。ついでに目も閉じて。喋ったら物理的に黙らせる」
「……!?」
「お兄ちゃんじっとしてて、…天竜人様に逆らったの!? それなら死んでも仕方ない! うえ〜ん…」
「こんな愚行の末死んじまうなんて…!」

 俺が本気のトーンで馬鹿呼ばわりしたからか青年に薄目で睨まれたが、文句を言いたいのは此方である。海軍大将を呼ばれるなど御免だ。

 少女が開封した瓶を逆さにし、青年に頭からトマトジュースを浴びせて遠目には即死の傷を負ったのだと思わせるように偽装する行為を自分の身体で隠しながら、俺も少女と共に聞こえよがしに泣き真似を繰り返す。
 そうしていると、鼻水と一緒に頭の中身も流れ出していそうな面構えをした"天竜人"はあっさり眼前の劇を信じて、何処かへと去って行った。

 "天竜人"の姿が完全に見えなくなって、更に一分程が経ってから漸く民衆達が立ち上がり始める。
 芝生の上で息も絶え絶えに寝転がる中年の男が担架で運ばれたのを皮切りに周囲の雰囲気が少しずつ元に戻るのを肌で感じれば、やっと安堵を覚える事が出来た。

 ついでに気疲れも感じつつ二人から離れ、先程被弾して倒れ込んだ儘の男へ歩み寄る。

「何で邪魔した」
「邪魔とか言ってんじゃねェよバカ助! てめェ一体どういうつもりだよ、この島に"大将"呼び寄せる気か!? 海賊なら海賊同士の暗黙の了解って部分があんだろ!? ウチらにまで迷惑かけんな!」
「トマトジュース…」
「アタマ大丈夫か!?」
「まあ怪我はしてねェ」
「バーカ! 中身の話だよォ! てめーアホだろ!」

 まったくだ、余所の海賊が招いた厄にハートの皆を巻き込ませたくない。意外と口が悪い少女が尤もな言葉を並べて天然そうな青年を怒鳴りつけるのを、言ってやってくれ、と内心だけで煽りながら男の傍へ膝をつく。

 俯せに倒れた男の呼吸は荒いものの、思ったより血溜まりが小さい。恐らくは弾が体内に残っていて出血を抑える弁の役割を果たしているのかもしれないが、患部は腹だ。
 呼吸の度に筋肉が収縮する所為で絶えず激痛に襲われているだろうに、滂沱の涙を流す男の口からは真新しい鮮やかな緋色の血液と、連れ去られた婚約者の名前なのか「マリィ」という単語だけが途切れがちに零れる。

「俺の声聞こえる? 寝ちゃ駄目だよ、しっかり。直ぐ病院行くから」

 呼びかけつつ、失血の所為で冷え始めている指先を握って"有限の蜜(セルフチャージ・パナシーア)"を発動する。

 銃弾を摘出せずに傷口を治癒する訳にいかないので今出来る処置はこれ位だ。病院に入れば直ぐ様手術を受けるだろうから、それを持ちこたえられる程度には体力を養わせてやりたい。
 痛みとショックで青褪めていた青年の顔が少しだが赤みを取り戻すのを見下ろしていると、横合いから伸びてきた影が手元にかかった。

「で、お前は何やってんだよ!?」
「応急手当てみたいな、……えっ、…?」

 先刻よりも若干低くなった少女の声が頭上から聞こえる、と思って顔を上げる。

 けれども隣で腰に手を宛がい仁王立ちをして俺を見下ろしているのは、髪と瞳の色から服装まで少女と瓜二つの、しかし顔つきも肢体も大人のものである女性だった。
 少女とは明らかに別人なのに容姿だけは同一人物、という訳の分からない女性を見上げて首を傾げていると、俺の視線を受けた女性が不審そうに眉を片方上げる。

「何だよ」
「あ、えっと……さっきの女の子…は?」
「此処に居るだろ」
「はい?」
「鈍いな、ったく…能力だよ、能力」
「……あ、なるほど!」

 能力、と言われても尚直ぐには連想が働かなかったが、彼女が自分自身を能力者だと言っているのだと気付いて納得する。
 ロー以外の悪魔の実の能力者には初めて出逢ったから咄嗟にその可能性を思い付かなかった。あの少女がこの女性だというなら、自分の容姿を骨格レベルで変形なり変化なり出来る能力者なのだろうか。

 珍しいものを見たなあと半ば感心していると、不意に俺の手中から怪我人である青年の手が抜け出た。連動して自然と「発」も解除されてしまい慌てて顔の角度を戻す。
 青年が横たわっていた場所には二本の脚が在り、それを辿って目線を上げると剣士の青年が男を肩へ担ぎ上げていた。

「おい、病院何処に在る」
「病院!?」
「コイツを連れてく。撃たれてる」
「は? 放っとけ、そんな見ず知らずの男!」
「…お兄さん、病院こっち」
「お、そうか」

 珍獣でも見るかのような目を向けてくる女性に一応会釈をし、男の斜め前に立って先導する。不幸中の幸いは病院がほんの数メートル先に建っている事か。
 周りにちらほらと居た病院関係者も案内に加わってくれる中、背後から聞こえた女性の声に少し喉の絞まるような思いがした。

「呆れたぜ…! 海賊が人助け!? 聞いた事ねェよ!」

 言い様から推察するにこの剣士は海賊で、能力者でありそのような事を言うのなら彼女の身分もまた海賊だろうか。
 仮に女性の仲間が傷付けば手当てをするだろうに、今回の負傷者が一般人だというだけでそうも簡単に呆れてしまえるのなら、それは何だか寂しい事だと思う。

 



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