「……"ヒューマンオークション"…?」
『電伝虫がガラの悪い顔になってるぞ』
「俺が顰めっ面だからだよ」

 ローの真似をして薄笑いを浮かべる小電伝虫を見下ろす自分の眉間に皺が寄っている事ぐらい、言われなくとも判る。
 何とも下衆な催し物の名前を聞いて、珍しい食材とされるディケット鶏を買い込んだ事による気分の昂りなど一気に沈静してしまった。

『月に一度の開催日が今日だそうだ。こんな胸糞悪ィものもそうそうお目にかかれねェ』
「それが分かってて、何で見物に行こうって気に……」
『理由か? 好奇心だな。売り物は人間で買い手も人間、それをまるで他人事かのように眺めるのもまた人間。死なずに地獄が拝めるとしたら此処だろう』
「…………」
『会場は一番グローブに在る。お前も来い』
「……今まだ二十四番グローブだから、多少時間かかるよ」
『今日もチャリ乗ってるんだろ、気合い入れて漕げ。開始時刻は四時だ』

 不機嫌さを隠しもせずに返事をすると、何故だか電伝虫はやや口角を上げてから瞼を降ろした。通信が切れる直前にローが笑ったからだろうけれど何の笑みだろう。
 購入した荷物を座具の下にあるしゃぼん玉の中へ入れてから上着の中へ小電伝虫を仕舞い、若干重たくなった気分でボンチャリの運転を再開する。小腹が空いたからカフェにでも寄りたいと思っていたがその気も失せた。

「オークション、ね…」

 元居た世界でも、同じような場は在った。文化水準も気候も全部が異なりながら、何もそんな部分が似通わなくとも良いだろうに。

 俺が過去に闇オークションへ参加したのは二度で、いずれも先輩の美食ハンターや珍獣ハンターと共に、密猟されて裏の売買ルートに流された稀少生物の落札が目的での事だ。
 流石に生身の人間の売買こそ行われていなかったものの、有名な故人の遺骨や遺髪に始まり、現存数が少ない民族の皮膚だの奇病に侵された患者の頭蓋骨だのと悪趣味な品が並んでいた事は覚えている。今から向かう場所は、あれより格段に趣味が悪い。

 とは言えどローが来いと言うなら俺には断る理由も意味も必要ない。シャボンディに上陸して暫く経つが、ほぼ毎日ボンチャリを乗り回している内に無法地帯内の道は粗方把握したので、多少でも近道をしようと細い路地に入る。

 道を抜けた先にある大通りが視界に入った途端、前方から漂う異様な雰囲気に思わずペダルを漕ぐ足が止まった。
 見える範囲の通行人が全員揃って沈鬱な、或いは苦々しげな顔をして、地面に膝をついているのだ。

 一様に動こうとしない人々の中へ進み出るのは躊躇われ、ボンチャリを降りる。

 そうして何が起こっているのか様子を見ようと角から顔を覗かせると、跪く民衆の中で一人だけ動いている人間──奇抜としか表現のしようがない衣服を着た男が何かを蹴りつけた所だった。木刀でも打ち鳴らしたような衝突音が響く。

「……っ、う……!」

 白衣を着た男性が二人と、女性が一人。医療関係者であろう彼らの傍に、長い木の棒二本に布を巻き付けた簡易的な担架と、それから長身の男が一目で重傷と知れる程に口元も衣服も赤々と血で染め上げて芝生に横転している。妙な男が蹴りを与えたのはあの担架だろう。

 暴挙を行った男の片手には金属の輪が握られ、其処から三本の長い鎖が伸びていた。
 見たくもないのに、視線が行き先を追ってゆく。

 ──やや太い鎖は、背中に椅子の座具を取り付けられて全身を傷と血で薄汚れさせた、両手の指が無数の傷か何かで変色している四つん這いの男の首へ。
 細い二本の鎖は、露出の多い衣装を纏い口布とヴェールとで着飾った、しかし人形のように生気の失せた目をしている女達の首へと連なる。

「…………ぅ、……」

 まるで胸の内側を虫が這っているような、強烈な不快感が胃の辺りから喉元までせり上がって、思わず呻く。
 誰に言われずとも妙な男が"天竜人"であり首輪を嵌められた三者は奴隷だと分かったが、視覚が捉える現実に対して本能が嫌悪を訴えた。気分が悪い、という感想では済まない。

 あまりの光景に却って目が離せない中、汚ならしく鼻を垂らした"天竜人"がふと怪我人の介抱にあたる看護婦の女性を凝視する。
 かと思うと何の脈絡も無しに「妻にしてやる」と言い放ち、困惑も露な女の元へ婚約者だと名乗る若い男が駆け寄った。

「お待ちください! 彼女は私の婚約者で……!」
「またわちしの前で立ち上がる……!」

 ──ドン!

「キャアアア……ッ!!」

 重さのある銃声がその場に生まれた直後、ただ立ち上がったというだけの理由で銃弾を喰らった青年が崩れ落ちるのと、女性が悲嘆と絶望に満ちた叫びを上げるのは同時だった。
 女性の大きな瞳から瞬く間に涙が溢れ出して頬を濡らし、凶弾を繰り出した相手がかの"天竜人"だとも失念してか「人殺し!」と糾弾するも、誰に文句を言っているのかと脅しに近い問いを受けて口をつぐむ。震える手で口を覆って嗚咽をも堪える様子が酷く痛々しい。

「お願い…! 誰かあの人を助けて!」

 鎧と槍で武装した衛兵らしき人間に連行されながら、自身も殆ど誘拐と言える目に遭おうとしているのに、彼女が口にするのは婚約者の救助の嘆願だ。
 この場では誰一人、自由な発言も行動も許されない。"天竜人"には逆らうな、視界の中で動くなという注意点はペンギンから、そしてローからも言い付けられた俺も例外ではない。

「…地獄なら此処にもあるんですけど」

 この場に居ない船長へ向けて口の中で呟く。自分に全く関わりの無い他人と言えど、彼等が受けた仕打ちはあまりにも理不尽で非人道的だ。
 苛立ちを煮詰めたような気分のむかつきが収まらず、路地の壁面に背中を預け直して深く息を吐く。

 だが何回か深呼吸をして気を静めようとしている最中、不意に大通りがざわついた。

「ん? ………、っん?」

 もう一度角から顔を出す。見える光景には変化が起きていたが、俺にはそれがすんなりとは受け入れがたくて瞬きをして、今一度その変化を見つめる。

 酒だろうか、手にした瓶の中身を飲みながら淀みない歩調で大通りの真ん中を歩く短髪の青年が現れていた。まるで彼の視界には周囲の景色が一切入っていないのかと疑いたくなるくらい堂々と歩む姿に、"天竜人"も呆然としている。

 鍛えられた上半身を斜めに割る傷痕を携えて右腰に三本の刀を下げた青年は、"天竜人"の目前まで来て漸くその存在を認識したらしかったが、尚も言葉が出ない"天竜人"を見るなり、次の瞬間。

「……? 何だよ、道でも聞きてェのか?」

 やや強面な外見とは裏腹に、思いの外親切な台詞を、一般人に向けるような口調で生み出した。

 



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