「"天竜人"?」
「ああ、この島に時々来るんだよ。あんま見ていて気持ち良いモンじゃあねェが、取り敢えず膝ついてじっとしときゃ目は付けられないだろうさ。まァお前さん二枚目だし、後ろの兄ちゃんは色男だからな。女の"天竜人"に気に入られちまえば話は別かもしれねェが」
「ハハハ勘弁して欲しい」

 俺へのお世辞はともかくとして傍目にも顔が整っているローがそんな理由で妙な事に巻き込まれては堪らないので本心から乾いた笑いを漏らしつつ、話し相手の男性に五百ベリーを渡す。
 シャボンディ島内での移動手段である、しゃぼん玉に多様な形状のプロペラ付き座具を取り付けた「ボンチャリ」の販売と貸出を行うこの店の店主である男は貸出代金の硬貨を会計用の箱に入れると、「気ィ付けろよ」と笑いながら手を振った。

「あのさ、ロー。"天竜人"って?」

 シャボンディに上陸して十数分。
 ハート一味の面子が船の見張り、コーティング職人探し、食料の補充と複数の班に別れて活動する中、俺は医学書を買いたいというローの意向に添って買い物に付き合いがてら、この広い諸島を徒歩で物色するのは疲れそうだからとボンチャリを漕ぐ係を請け負った。

 三十二から三十四までの三つの区域を丸ごと使って造られた遊園地目当てで外海から訪れる客は非常に多いらしく、その浮かれ気分の客を首尾良く捕まえる為か三十番台のグローブには様々な店が軒を連ねているそうなので、先ずはそちらの方向を目指してペダルを漕ぎ始める。

 宙に浮くしゃぼん玉の上に設置された座具は不思議と安定し、地面との摩擦が無いからか思ったよりも弱い力で進む事に感心しつつ背後に問いかけた。

「マリンフォードの更に先、レッドラインの平地に在るマリージョアの町に住む連中を指す言葉だ。およそ八百年前に世界政府組織を創設した人間の血族であり、末裔にあたる。言うなりゃ世界最高位のお貴族様ってところか」
「お偉いさんなの?」
「一応な。噂を聞く限りじゃあくまで血筋が神格化されてるだけだろうが…与えられている権力がえげつねェ。何となく、という理由で人を何人殺そうが許されるが、誰かが"天竜人"側に掠り傷一つでも付けりゃ海軍本部の大将が駆け付ける」
「えっマジで」

 海軍本部における階級の種類とその序列はペンギンから教えて貰い、頭領とも言える元帥の次が大将だと覚えている。
 巷では最高戦力とも称される三人の猛者が務めているらしいが、掠り傷でそんな人間を引っ張り出すとはそれだけの価値がある人々なのか、はたまた価値があるのだと民衆に知らしめなければならないのか。いずれにせよ、この大陸と海とを含めた全世界の頂点に位置する存在が"天竜人"とやらな訳だ。

「今の政府や軍って根腐れしてんの?」
「………」

 前方に目立つ建物も人も無く開けた空間が続くので足は止めずに振り向いて言葉を返すと、念の為後方へ気を配れるようにと後ろのスペースに横向きで脚を組みながら座っていたローが俺を二秒くらい見返した後、俯き加減に喉を鳴らして笑い始めた。

「図書館でもそうだったが……お前、意外と口が悪いな」
「正直者って言って」

 ローの笑いに合わせて、肩へ担がれた刀──鬼哭の鞘に結ばれた赤い飾り紐が小さく揺れる。

 話を聞いて思った事をその儘口に出したものの、こうも露骨な言い様をする人間はあまり居ないのだろうか。
 俺はこの世界での常識や暗黙の了解だとかを頭に入れ始めたばかりで、その点だけは恐らく小さな子供並みだ。一般的に使うべきでない言葉や取るべきでない態度、というものが、然して身についていない。

 更に言うと、正直な話──俺自身が余所者であるという感覚が抜けきっていない。どうにもこの世界と自分の存在を関連付けずに物事を考えてしまう時があり、今の発言もそれによるものだ。
 俺の現状にも決して無関係ではない話なのに、何処か他人事の心地で聞いていた。

 だが、俺の居るべき場所が元の世界だとも最早思っていない。念能力が存在しておらず、存在したとしても認知どころか発見もされていなさそうなこの世界では、俺が巻き込まれた念トラップの研究も再現も出来やしない。片道運行のロケットで別の惑星に飛ばされたようなものだ。
 恋人は居なかったし、家族は十代中頃に両親が病で他界している。もう墓参りが叶わないと思えば寂しさも申し訳なさも胸腔に湧き出しはするのだが、帰還を望む理由に位置付けるには少々弱い。言ってしまえば、未練が無いのだ。

「…何だ?」
「ん? 尾行して来てる奴居ないかなって後ろ見ただけ」

 四つ年上の、友人でもないが主人と称して良いものかも分からない男を数秒だけ見つめてから顔の向きを戻す。
 仕事ではなく一個人として誰かの下につく人生を視野に入れた事すら無かったが、いざ「専属」の型に嵌まってみたら思っていたよりも誇らしくて、自分の感情ながら実はそれにも少々戸惑っていたりする。俺は尽くすタイプだったのだろうか。

 俺の命も俺の人生も俺自身のものではあるが、それをローが預かってくれているというのは束縛や拘束といった風には感じない。トラファルガー・ローの名前を持つ人間について俺が知らない事はまだまだあるだろうが、だからと言って不安が誘発されもしない。

 不思議な感覚だなあ、とぼんやり己の内側を覗きながら「35」と数字が描かれた大木の傍を進んで行くと、右手に土産物屋の屋台が見えてきた。

「グラまん、グラせん、グラチョコ…甘い物の店だね」
「いらっしゃい。まんじゅう試食するかね?」
「え、良いんですか? ください。はい、ローも」
「俺は要ら、っ、………」
「そんな顔しないでよ、…あ、美味しいこれ。皮が黒糖の味する」

 ハンドルは俺が握っている。好奇心から屋台に近付くと、店番の男性が小さく切られたまんじゅうの乗る皿を差し出してくれた。
 二つ取り上げ、振り向きざまローの口元を目掛けて下から放る。多分断ろうとしたのだろうローは持ち前の反射神経が反応してか思わずといった風に唇を開け、飛来した欠片を綺麗にキャッチした。

 口の中に物を入れた儘で喋るな、と今までに俺が再三言ったお蔭か眼差しで不満を訴えられる傍ら、ローの口はしっかりまんじゅうを咀嚼してから飲み込む。それから灰色の瞳が販売用のまんじゅうの箱を見下ろしたので、腰のベルトに革紐で繋げた財布を開けた。

「おじさん、二箱ください」
「ありがとよ」

 俺ローのそういうところちょっと可愛いと思う、と言ったら刀で小突かれそうな気がするので黙っておく。

 



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