企画 | ナノ

 俺と名前は全くと言っていいほど似ていない。あ、でも、髪の色だけは同じだっけ。うちの家族はみんな身長でかいけど、名前は一番小さい。でも平均以上はあるらしい。でも俺からしたらチビだ。前にそう言ったら、「じゃあ私以下の女の子はなんなの」と怒られた。あと、小学生じゃないんだから女の子に向かってチビって言っちゃダメだとも怒られた。名前はすごく短気だ。

「敦がのんびりしすぎなのよ」
「そうかなぁ」

 名前の部屋のベッドに腰掛け、ぼりぼりポテチトップスを頬張る。名前はすかさず「カスが零れるからベッドで食べない!」と怒った。やっぱり短気だ。

「あんたねえ、高校生にもなってそんな体たらくでどうなの。彼女だって出来ないよ」
「みんなかわいーってお菓子くれるよ?」
「あんたは甘やかされすぎ!」

 丸めた雑誌で頭を叩かれる。地味に痛い。よく見たらそれは、名前がいつか買ってバスケ雑誌だった。「それあげる」と言われたが、何年も前の物だったので正直全然嬉しくない。体よくゴミを押し付けられた気分だ。
 名前がうるさいので食べかけのポテチトップスをミニテーブルに置き、ベッドに横になる。ふと背中側の壁に、落書きの跡を見つけた。ああ、これ。

「何みてんの」

 俺がじろじろ壁を見ているのが気になったらしい。名前は身を乗り出して俺が見ているモノを発見し、「あー」と懐かしむように声を上げた。

「これあんたが描いた落書きだったっけ」
「よく覚えてんね」

「覚えてるに決まってるでしょうが」名前は眉をしかめて腕を組み、仁王立ちで俺を見下ろした。「折角もらえた一人部屋を弟に落書きされちゃあ、忘れないわよ」
 あの時本当に悲しかったんだから、と唇を尖らす名前から逃げるように枕に顔を埋めた。そうだ、思い出した。たった数年先に生まれただけの名前が、俺よりもちっちゃいくせに先に一人部屋を手に入れて自慢するもんだから、くやしくなって壁に落書きをしてやったのだ。

「お姉ちゃんなんだから我慢しなさいとか言われてさぁ。悔しいやら悲しいやら」

 当時を思い出したのか、名前は懐かしむように、呆れたように笑った。俺はなんだか無性に恥ずかしくて、「あんまし覚えてねーし」と嘘を吐いた。わしゃわしゃと名前が俺の頭をかき回すように撫でる。「わがまま末っ子の敦くんのせいで、お姉ちゃんは昔から大変だったんですよ。わかってる?」

「知らねー」
「忙しいお母さんの代わりにお菓子買ってあげたり、ご飯作ってあげたり、汗くさいユニフォームを洗ってあげたのは誰?」

「……名前」と呟くと、よくできましたと余計に髪の毛をぼさぼさにされた。いい加減やめろと口を開こうとすると、不意にぽつりと名前が零した。「でも、もう今日で最後だから」

 乱された髪の毛を直すように、慈しむような手で名前は俺の髪の毛を梳いた。その左手の、薬指に光る銀色のリングに、俺は未だに慣れない。

「さて、荷造りしなきゃ」

 わざとらしく声を張り上げ、部屋のクローゼットを漁る。俺はその後ろ姿をぼんやり見ながら、殺風景になっていく名前の部屋を静かに眺めていた。見慣れた小さな背中は、明日から『紫原』ではなくなる。俺の姉の『紫原名前』は、いなくなる。

「名前、怒ってばっかだとすぐ離婚されちゃうよ」
「結婚式を目前にした姉に言うことか」

 これから名前は知らない家で、あの人と新しい生活を送り、新しい家族を作っていくんだろう。そこに俺はいないけど、仕方ないけど、どうしようもなく寂しかった。でももう、寂しいなんていえない。子供のままでいたら、名前に心配をかけてしまうから。

「きっとしあわせになれるよ」

 俺にできることは、優しい姉の幸せを願うことだけだ。小さくそう投げかけると、名前は肩を震わせてなにも言わずに頷いた。

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