企画 | ナノ

 ついてねぇ、とその場に項垂れたくなった。
 インターハイも終わり、疎かにしていたモデル業に精を出していると、ある日マネージャーから今度特集が組まれるからロケに行くぞみたいなことを言われた。俺は軽い気持ちで「いいっスよ」と二つ返事をした。仕事については自分よりもマネージャーが把握しているし、バスケを優先させたいという気持ちをよく理解してくれている彼に任せれば大丈夫だという信頼もあったからだ。簡単に言えばマネージャーに丸投げしたのだが、これほど聞いておけばよかったと思ったことはない。
「何日か泊まりになると思うから、荷物まとめとけよ」手帳を忙しなく確認するマネージャーとは裏腹に、俺は呑気に欠伸を噛み殺しながら尋ねた。「はぁ、そういや場所どこっスか?」
 まさかロケ場所が、行ったこともないような田舎だと誰が考えただろうか。場所を告げられてピンとこなかったので地図を確認したら、大分東のほうで驚いたのは記憶に新しい。
 片道六時間かけて着いた現場で、少しばかりの休憩を取った後さあ早速撮影を始めようとすれば、何だか不穏な空気。

「機器のトラブル?」

 訊いてみれば、肝心なカメラの不調ときた。スタッフ達がてんやわんやと動き回っている。「直るまでもう暫くかかるから、その辺散策してきたら?」というマネージャーの心遣いに甘え、俺は暇つぶしがてら辺りをブラブラすることにした。
 ゲーセンも、コンビニも、カラオケやスーパーも何もない。あるのは木と、草と、見渡す限りの山や田んぼ。踏みしめる大地はコンクリートではなく砂利道で、所々土が柔らかい部分もあった。都会育ちの自分には、大自然に囲まれているというだけで珍しいものであったが、それも一瞬のこと。どこまでも変わらない景色に早々に飽き始めている自分がいた。突き抜けるような青空には太陽が、日差しで殺しにきていると感じさせる程輝いている。「あっちー……」人知れず呟き、じんわりと滲む汗を拭う。部活中の暑さも大概だが、この炎天下も中々だ。

「……あれ?」

 ふと、辺りを見渡す。右を見遣れば、青々とした山が。左を見れば、一面に広がる畑や田んぼ。ぶわっ、と一気に背中に汗が噴出した。暑さのせいだけではないそれに、俺は慌てて携帯を取り出した。「け、圏外……!?」一本もアンテナの立っていない液晶に、無駄だとわかりつつも携帯を振ってみる。圏外なのは相変わらずだった。
 今まで自分が歩いてきたであろう道を振り返る。携帯をもう一度確認する。圏外。俺はついてねぇ、と呟いた。まさかこんな、誰も歩いてないようなド田舎で迷子になってしまうとは。

 とりあえず、迷ってしまったものはしょうがない。誰かに道を聞くしかないと俺は頭を振った。歩いていればそのうち誰かとすれ違うはずだ。うん、きっとすれ違う……と、自分に言い聞かせて俺は来た道を戻るように歩を進めた。ふと視界に古い造りの民家が過ぎる。顔を上げてよく確認すれば、来た時は木々に覆われて気付かなかったが、奥には赤い屋根がちらちら見えていた。誰かいるだろうかと淡い期待を抱き、まるで誘われるように庭へ足を踏み入れる。
 ちゃぽん、と水が揺れる音がした。ぎくりと身を固くし、無意識に息を殺す。ガシャガシャと氷が擦れるような音が耳を擽った。音がするほうへ目を向けると、小柄な女性が縁側に座っているのが見えた。白を基調とした花柄のワンピースを膝までたくし上げ、氷水の入った大きなタライに足首を浸からせている。真っ白な、汚れ一つない滑らかな肌に自然と目がいった。小さな膝小僧は可愛らしい丸みを帯びており、足首は掴んだら折れそうな程細かった。ぴちゃん、跳ねた雫が彼女のふくらはぎを伝うのを見て、乾いた喉がごくりと音を鳴らす。
 不意に彼女が顔をあげ、ばちりと視線が交差した。――あ、やばい。みるみる目を見開く彼女に、俺は焦ったよう

に「あの、」と声をかける。

「あ、ぇっ、きゃあああっ!」

 俺の声を聞いた瞬間、彼女は飛び上がらんばかりに驚き、そのまま塗れた足で奥へと引っ込んでしまった。俺は慌てて縁側まで近づくと、「す、すいません!」謝った。何故だか見てはいけないものを見てしまったような罪悪感が胸を渦巻いていた。「道に迷っちゃって、あの、本当不審者とかじゃないんス!」

「……え、と……どちらさま、ですか……?」

 俺の必死さが伝わったのか、彼女は障子から隠れるように顔を出してくれた。俺は警戒させないようになるべく笑顔で、怪しまれないように順を追って自分のことを説明した。仕事の撮影でこっちへ来たこと。機器のトラブルがあったこと。辺りを散歩していたら迷ってしまったこと。自分の拙い説明に、もっとちゃんと勉強しておけばよかったと後悔した。だが彼女はきちんと耳を傾け、小さいながらも相槌を打ってくれた。

「お話はわかりました。さっきは失礼な態度を取ってしまって、すみません」

 静々と頭を下げる彼女に、俺は慌てた。悪いのはむしろ驚かせてしまった俺である。そう告げると、彼女はきょとんと目を丸くした後、ふふっと笑みを零した。「そうですね。勝手に庭に入ってきたのは、あなたのほうです」
「す、すいません……」よく考えたら自分のしたことは無断侵入だ。

「でも、お仕事の撮影で来たって……芸能人の方ですか?」
「や、そんな大層なもんじゃないッス。ただのモデルなんで」
「へえ」

 彼女はしげしげと俺を見つめた。「すごい。モデルさんなんて初めて見た」と瞳を輝かす彼女に、妙に居心地が悪くて座りなおす。嫌味でも羨望でもなく、純粋な眼差しがくすぐったかった。俺の心情なんざ知らず、彼女は「そうだ」と呟くと立ち上がって奥へと引っ込んだ。数分も経たないうちに皿に綺麗に切り分けられた西瓜を手に、「よかったらどうですか」と俺に勧めた。

「美味そう! え、いいんスか?」
「はい。貰い物ですが、一人では食べ切れなくて」

 一人、と言ったときに一瞬だけ、彼女の表情が曇ったことを俺は見逃さなかった。

「俺、黄瀬涼太っていいます。名前聞いてもいいスか?」
「苗字名前です」

 名前ちゃん、と反芻するように口の中で呟く。「撮影の都合で、何日かここに滞在するんス。また来てもいいッスか?」そう尋ねると、名前ちゃんはちょっとびっくりしたように瞬きを数回繰り返すと、「是非」と顔を綻ばせた。少し嬉しそうに見えたのは、俺の願望だろうか。齧った西瓜は今まで食べた何よりも甘かった。
 あれから名前ちゃんに描いてもらった地図を頼りに、無事現場へと戻ることが出来た。マネージャーからは怒られたが、俺はニヤけそうな顔を我慢するのに必死だった。化粧っ気のない、香水の匂いもしない。豊かな黒髪は一度も染めたことのないようで、艶やかな光沢を放っていた。純朴だが地味ではない、そう、美人な名前ちゃんに、俺はひっそりと「来てよかったかも」と呟いた。マネージャーに話をちゃんと聞け、とさらに怒られたのは言うまでもない。



 撮影の合間を縫って、少しでも時間が空けば俺はすぐ名前ちゃんの元へと向かった。名前ちゃんは俺が来るたび呆れたように「また抜け出してきたの?」と笑ってくれた。聞けば、彼女は俺と同い年だという。なら敬語を使う必要もないだろうと告げ、半ば強引に「涼太」と呼んでくれと頼んだ。名前ちゃんはそのときも、困ったように「じゃあ、涼太くんで」と微笑んだ。しょうがないなぁ、とでも言いたげな笑顔が俺は好きだった。媚びるでもなく、俺の話を楽しそうに聞いてくれる彼女に、俺は少なからず好意を抱いていたのだ。
「あ、麦茶のおかわり持ってくるね」空になったコップを持ち、奥にある台所へと姿を消す。手持ち無沙汰になった俺は、不躾と思いつつも室内を見回した。台所から僅かな物音が聞こえる以外、家の中はしんとしている。脳裏に「一人では食べきれない」と寂しそうに目を細めた名前ちゃんが過った。どうやら本当に、彼女はこの広い家に一人で住んでいるようだ。――だが、何故?
 ガシャン。突如響いた何かが割れる音に、俺は大げさなぐらい肩を揺らした。次いで何か、重たい物が倒れこむような鈍い音が続く。嫌な予感がした俺は、小さく断りを入れてから靴を脱ぎ音の出処へと向かう。
「名前ちゃん!?」嫌な予感は的中し、俺の目に飛び込んできたのは飛び散ったガラス片と、蹲る彼女。慌てて抱き起こそうとするが、寸前で乱暴に扱うと容態が悪化するのではと思い至る。どうしたらいいのかわからず、情けない声で彼女の名前を呼び続けると、「ごめんね」と小さく返事が返ってきた。

「今日は、調子いいって……おもっ……」
「喋んないで」

 自力で立ち上がろうとする腕をとり、細心の注意を払って彼女の膝裏に手を回す。空いてる片手で背を支え、「寝室は?」と尋ねる。力ない指先が示す方向へ大股で急ぎ、敷かれていた布団へそっと横たわらせた。抱えた時は動揺していたので気付かなかったが、俺は彼女の軽さに、肩の薄さにぞっとした。

「……迷惑、かけちゃった」

 水面に小石が投げられたような、小さく落とすような呟きだった。「気にしないで」と言うと、名前ちゃんは無理矢理笑おうと笑顔を作る。けれど頬は引き攣り、俺には何だか泣き出しそうにも見えた。

「身体、あんまり丈夫じゃなくて」
「うん」
「学校も、数えるぐらい、しか、行けなくて」
「うん」
「だから……友達って、呼べる人、いなくって……」

 名前ちゃんの声はどんどん小さくなり、最後はもう掠れてほとんど聞き取れなかった。つられるように俺の声も小さくなってしまう。
「りょうたくんがきてくれて、うれしかったなぁ」
 か細い声に、目を瞠った。彼女は今、なんと言った?

「でも……もう帰らなきゃ、なんだよね」
「あ、そう、っスね……」

 そうだ。撮影は今日の午前中でほぼ終わりだし、今夜は打ち上げをするとも言っていた。壁に立て掛けられた古時計を確認すると、時刻は五の数字を差している。そろそろ宿に戻らなければならない。そして――明朝には、出発しなければならない。

「雑誌、買うね。どんな写真撮ったのか、気になるし。他の写真集も買ってみるからね」

 無理矢理搾り出したような明るい声に、俺は何と言えばいいのかわからず、ただ「ありがとう」としか言えなかった。名前ちゃんと離れなければならないという事実が、寂しくて、悲しくて、どうしようもなくて。ただただ自分が不甲斐なく感じた。


 名前ちゃんはもう大丈夫だと言って起き上がると、「玄関までだけど」と言って見送ってくれた。彼女の顔色は先程よりはマシだが、決していいとは言えない血色だ。けれど俺に心配をかけさせまいと気丈に振舞うその姿に、
何とも形容し難い感情が込みあがってくる。

「さようなら。短い間だったけど、楽しかったよ」

 なんで、そんな。まるで今生の別れのようなことを言うのだろう。
 俺は自分でも眉間に皺が寄るのを感じた。何も言わない俺を不審に思ったのか、名前ちゃんはどうしたのと尋ねる。それを半ば遮るように、俺は口を開いた。「さよならなんて嫌っス」

「俺は、名前ちゃんともっと仲良くなりたいし、もっと名前ちゃんを知りたい。だからさよならの一言だけで終わりたくない」

 名前ちゃんは目を真ん丸くさせ、怖気づいたように後ろへ下がろうとした。けれど、それは許さない。逃がさないように彼女の細い腕を絡め取るように掴んだ。

「名前ちゃんも、そうでしょ?」

 確信を持った言葉に、名前ちゃんは瞳いっぱいに涙を溜めて、可哀想なぐらい顔を真っ赤にさせた。それが答えだった。




向日葵
20120906⇒
back
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -