陽が落ちるのが早いなぁ、と沈みゆく太陽を眺めながらなまえは思った。空は橙色に染まり、眩しさに目を細めた。明日はきっと気持ちのいい天気だろう。そうしたら溜まっている洗濯物をまとめて干せるし――とかくだらないことを考えつつ歩いていると、なまえの視界に一件のコンビニが飛び込んできた。
冷えてきたし、なんか温かいものでも買おうか。いやでも、入ったら余計なものまで買いそうだ。自分の浪費癖をよく解っているなまえは、コンビニの前を行ったり来たりして考え込む。傍からみたら不審者だ。すると、コンビニの自動ドアが音を立てて開いた。すぐ前で思案していたなまえは反射的にそちらを見た。「あ」視線がバッチリ合い、お互いに短く声を上げる。「あ、」
「こんばんは、窪田さん」なまえは小さく会釈する。窪田と呼ばれた男性も、「あ、はい……こんばんは」となまえに倣って頭を下げた。大阪ガンナーズのフォワード、窪田とは仕事上なまえはよく顔を合わせるのだ。友人とまではいかないが、顔見知り程度には覚えられているだろう、となまえは思った。
「買い物ですか?」なまえが窪田の手から下がっているビニール袋を指して言った。
「あ、はい」 「あんまり体に悪いもの食べないようにしてくださいね」
では、となまえは足を進めた。やはり家に帰って暖かなコーヒーを飲もう、と考えながら歩いていると、何故か横に並ぶように歩く窪田の姿があった。
「あ、あの……?」
まだ何か用だろうか、と尋ねそうになってハッと気づく。「窪田さんも家こっちなんですか?」
すると「あ……はい」という何とも微妙な返事が返ってきた。なまえはそうだったっけ、と首を傾げたが本人が言うのならそうなのだろう。そんなことを考えつつ窪田をじーっと見ていると、微動だにしなかった窪田が突然口を開いた。「この辺、痴漢が出たらしい、です」
「え、そうなんですか」初耳だったなまえは驚いた。「最近物騒ですものね」周りからよくぼんやりしてるだの危機感が足りないだのと散々言われるなまえは気をつけなければ、と神妙に頷いた。
「だから、送っていきます」 「えっ!」
突然の窪田の申し出になまえは素っ頓狂な声を上げた。予想もしなかった事態だ。
「そんな、悪いですよ」目に見えて困惑しているなまえに、「……迷惑、でしたか」とちょっとしょんぼり――といっても傍目から見れば普段通りだがなまえにはそう見えた――する窪田になまえはぐっと返事に詰まった。なんだろう、この母性本能をくすぐられる感じは。
「……じゃ、お願いします」根負けしたなまえは、丁寧にお辞儀をした。
「わはっ」 「えっ」
今のどこに笑うところが!? なまえは困惑し切った表情で窪田を見遣る。「あ、スイマセン」その視線に気づいた窪田はペコリと頭を下げた。別に謝らなくても大丈夫ですよと返せば、またわはっと笑われたのでなまえは再びおかしなことをしたのだろうかと首を傾げた。
窪田さんって何考えてるか解らない不思議な人だなあ、となまえはチカチカと点滅する電灯を眺めながら思った。彼はお世辞にもお喋りとは言えず、無口な方なので特にこれといった会話もない。けれど気まずさはなくて、むしろ――と、物思いに耽っていたなまえの耳にガサガサとビニール袋が擦れる音が聞こえた。
隣を見れば窪田が先ほどから持っていた袋に手を突っ込んで漁っている。何をしてるんだろうとぼんやり眺めていれば、窪田は紙袋に包まれた肉まんを取り出した。
「好きですか」 「え、あ、好きです」
突発的な質問も窪田らしい。なまえの返事を聞いた窪田は肉まんを半分に割って「どうぞ」となまえに向けて手を差し出した。ほかほかと湯気を立てる半分に割られた肉まんと、窪田の顔を交互になまえは見ていたが、小さく頬を緩めて肉まんを受け取った。「……ありがとうございます」
「わはっ」
また窪田が独特な笑い声を上げたので、今度はなまえもわはっと笑ってみた。
もうすぐ冬を迎える季節、通り過ぎる風は冷たかったけれど、二人を包む空気は暖かかった。胸がぽかぽか温かいのはきっと、肉まんのせいだけじゃない。
奇蹟の人 20101105⇒back |
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