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 背もたれに体重をかけて、ぐっと背を伸ばした。凝り固まった筋肉をほぐしつつ壁に掛けられている時計を確認する。よし、もう少しだ。自分に渇を入れるように頬をピシャリと叩いた瞬間だった。ピピピピピ、軽快な電子音が耳を突く。

「マナーモードにするの忘れてた……」周りに同僚がいなくてよかった。キョロキョロしつつも携帯のディスプレイを覗き込むと、表示されていたのはとても慣れ親しんだ名前。

 通話ボタンを押せば、『あー、俺』と間延びした声が聞こえた。まるで流行の詐欺のようだが、自分にこんな風に電話をかけてくるのは一人しかいない。「達海さん?」

「どうしたんですか、いきなり……」
『俺さ、腹減ってんだよね』
「は?」
『だからなまえ、タマゴサンド買ってきて』
「えっ、あの達海さん、今めちゃくちゃ仕事中で……」
『よろしくねー』

 ブチリと一方的に電話を切られ、ツーツー、という虚しい電子音に思わずうな垂れてしまった。相変わらずマイペースすぎる人だ。

 だが放っておけば、またお菓子とかで食事を済ますかもしれない。私は再度時間を確認し、途中作業のパソコン画面に視線を遣り、「もう!」と勢いよく机を叩いて立ち上がった。「ひぃっ」背後から情けない悲鳴が聞こえ、ハッと振り返ると湯呑みを持った部長が固まっていた。

「すいません、そろそろ上がらせて頂きます」
「あ、うん、いいよ。苗字君はよく働いてくれてるしね」

「お疲れ様ー」と湯気で眼鏡を曇らせつつ、部長は笑顔で手を振ってくれた。ああ、なんて良い人なのだろう。良い人すぎてこれ以上出世しないよねとかヅラだとか噂になっている人だが、今度から「地毛だよ」と訂正してあげよう。真実かどうかはわからないが。


 ヒールを鳴らしながらも急ぎ足でコンビニへと駆け込む。全く、どうして達海さんの我侭に付き合わなきゃいけないんだと思いつつもタマゴサンドとドクターペッパーを買う私は末期だ。その事実に、またうな垂れそうになった。

 ETUのクラブハウスはコンビニからすぐ近くなので、私は歩くスピードを緩めた。走ってでも行ったら、絶対にからかわれるに違いないからだ。と、そんなことを考えているうちに馴染み深い芝生が見えてきた。今は誰もいないが、普段はETUで活躍するプロのサッカー選手達が切磋琢磨し合っている。そしてそれを見守る、監督も。

「あれ、なまえさん?」
「うわぁっ!」

 急に声を掛けられ、恥ずかしくも声を上げてしまった。バクバクと暴れる心臓を押さえつつ後ろを振り返ると、向こうも驚いたのか目を白黒させていた。「こ、こんにちは、有里ちゃん」

「すいません、驚かせてしまって」
「いや、私こそ……」

 私が頭を下げると、「どうして謝るんですか」と有里ちゃんが吹き出した。何故笑われるのかよくわからなかったけど、私もそれにつられて破顔する。ふと有里ちゃんの視線が私の手元に映る。それを見ただけで「あぁ、」という表情をした有里ちゃんはきっと私が達海さんに呼ばれて来たことを察したのだろう。

「最近めっきり大人しいなーって思ってたら、なまえさんをパシ……いえ、なまえさんが買ってきてくれてたんですか」
「別に言い直さなくてもいいのに……」

 実際その通りだし、と乾いたように笑えば有里ちゃんは心底同情するような目で私を見た。やめて、そんな目で見ないで。
「あれ? そういえば」有里ちゃんは顎に手を当てて首を傾げた。「達海さん、さっきフラフラ出てったけど……」

「え」
「本当についさっきまで部屋にいたんだけど……」

 てっきり部屋で大人しく待っていると思い込んでいた私は、開いた口がふさがらなかった。何故達海さんが出歩く可能性を考えなかった、わたし。

 探そうかと言い出す有里ちゃんを宥め、私は一人クラブハウスを後にしようとし――立ち止まった。「もしかして……」


 風で靡く髪を押さえながら、必死で下を見ないように梯子を上る。高所恐怖症には屋上はきつい。ここにいなかったら本気で帰ってやろう、と梯子から顔を覗かすと、大の字で寝転がる人の姿。

「……寝てるし……」

 音を立てないように梯子を上りきり、手をついて寝ている達海さんの元へとにじり寄る。見慣れたジャージ姿に無防備な寝顔。それをじーっと見つめつつ、ポケットを漁る。いつもは入っているのだが今日に限ってペンがなかった。残念だと肩を落としていたらびゅうと強い風に吹かれ、寒さに身を震わせる。いけない、このままでは達海さんが風邪を引いてしまう。

「達海さん、起きてください。たーつーみーさーん!」

 肩を揺らしてもむにゃむにゃ寝言を言うだけで全く起きる気配がない。むぅ、と眉間に皺が寄る。「……タマゴサンド、食べちゃいますよ」

「えぇー」
「あ、起きた」

 食べ物に釣られた三十五歳はダルそうに上半身を起こすと、くぁ、と欠伸を噛み殺した。「俺のでしょ、それ」

「寝た振りなんかするからです」

 人が仕事を切り上げてわわざ買ってきたというのに、随分な態度だ。いつものことだが。

「だって寝た振りしてたらキスしてくれるかなって」飄々と言ってのける達海さんに、私は素早く「しませんから!」と否定する。下手に口ごもると厄介なことになるのは経験済みだ。達海さんは不満そうに唇を尖らせていたが、私の頬が赤いことに気づくとニヒーと厭らしく笑った。

「じゃあいいや」

「え?」何が? と尋ねる前に強い力で腕を引っぱられる。わ、転ぶ。反射的にぎゅっと目を瞑るが、訪れたのは柔らかい衝撃だった。視界に飛び込んできたETUのロゴに、自分の状態を察する。「えっちょ、達海さん!」

「んー」
「なんですかコレ!?」

「昼寝」達海さんは片腕をぎゅっと腰に廻し、もう片方で腕枕してくれた。私に。

「さ、さっきまでしてたじゃないですか!」
「昨日徹夜したから眠いんだよ」

 眠そうな目が至近距離でぶつかった。よく見ればちょっと充血していて、嘘を吐いている様子ではない。本当にこのまま眠りそうな達海さんに慌てて「じゃあせめて部屋で寝ましょう」と言えば「誘ってんの?」と返される。

「違いますよバカ! 風邪引いたら元も子もないでしょ」

 離れようと達海さんの胸に手を当てて引き剥がそうとするが、それを不満に思ったのかさらに強い力で引き寄せられる。現役を退いたといっても所詮男と女。力の差は歴然だった。

 暴れても無駄だと悟った私は、力を抜いて逃げることを諦めた。けれど達海さんは腕の力を全然緩めてくれないし、私は達海さんの首元に顔を埋めるような体制なのでどんな表情をしているかもわからない。鼻腔を擽る匂いが無性に懐かしかった。ああ、達海さんの匂いだ。


 ――そういえば、最近忙しくて全然会えなかったなぁ。


「……達海さん、お腹空いてるんじゃなかったんですか」
「ん、治った」

 空腹って治るものなのだろうか。けれど敢えて何も言わずに、その代わり、達海さんの背中に腕を回した。





かわいい嘘を丸呑み
20101103⇒
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