dream | ナノ





 人間が一番幸福なときは、赤ん坊の頃に母親に抱かれているときだという。不安も恐怖もなく、ただ無償の愛に包まれ穏やかに眠る瞬間こそ、幸せなのだろうと御堂筋は思った。


 時計の針が何回十二の数字を差しただろう。御堂筋は暗闇の中、うっすらと浮かび上がる目覚まし時計を瞬きもせずじっと見つめていた。カチ、カチ、と規則正しく動く秒針に頭がおかしくなりそうだ。
 ――眠れない。
 早く眠らなければならない、そう思えば思う程頭が冴え渡っていくようだった。明日は何日だっただろう。何曜日だっただろう。部活はあっただろうか。部活? そうだ、自転車――ぶるりと足が震えた。御堂筋は飛び上がるように起きると、いそいそと寝間着を着替え、誰も起こさぬように細心の注意を払って家を出た。


 外は御堂筋が思ってたよりも明るく――明るいといっても、朝日が登る前だから薄暗い――御堂筋は自分の自転車に跨った。行き先など考えてはいない。ただ走りたかった。ペダルを漕ぐ音、息遣いの音、風の音、その全てが心地良い。何も考えずに走るのはなんて――「あ!」
 不意に聞こえた高い声に、御堂筋は思わずブレーキをかけた。声のした方に顔をやれば、犬のリードを握ったクラスメートが立っていた。

「みどうくん! おはよう!」満面の笑みで手を振りながら近づいてくる彼女に、御堂筋は内心うわぁ、と思ったが、逃げる暇もなく目の前にやって来たなまえに小さく「おはよう」と返した。

「みどうくん早いなぁ。毎日こんな時間から練習してるの? すごい!」
「今日はたまたまや」

 御堂筋は一刻も早くこの場から逃げ出したかった。無愛想に最低限の返事をし、相手から去ってくれないかという御堂筋の思惑とは裏腹に、なまえはにこやかに会話を続ける。

「早すぎて一瞬わかんなかったよ。声かけた後にみどうくんやなかったらどうしよーて思ったけどみどうくんでよかった!」
「ハァ」

 にしてもよく喋る女だ、と御堂筋は頬を掻いた。ふと足元に目をやると、茶色と白の模様の犬が興味深そうに御堂筋の足を嗅いでいた。試しに後ろに下げればそれを追うようについてくる。どうやら飼い主同様、逃がしてくれる気はないらしい。

「ぶっ」
「何がおかしいん」
「ご、ごめ、なんか可愛くて」

 なまえは口元に手を添え、肩を震わせた。可愛いと言われた御堂筋はどう反応すればいいのかわからず、とりあえず視線を地面に落とした。つぶらな瞳と目が合い、わんと吠えられた。

「この子シロっていうの」
「茶色も混じっとるやん」
「みどうくん、目の下に隈できてない?」

 いきなり飛んだ会話に御堂筋が黙り込むと、それをいいことになまえは御堂筋を覗き込むように顔を近づけた。

「やっぱり、できてる」
 近過ぎる距離に、御堂筋は一瞬心臓が跳ねた。「別に、関係ないやん」
「眠れないのね」断定した口調だった。御堂筋が口を挟む隙もなくなまえは畳み掛ける。

「眠れないから自転車に乗ってたんでしょう。みどうくんは気付いてないかもしれないけど、みどうくん同じ道をぐるぐる回ってたんだよ。私が見かけたのは偶然だけど、私がみどうくんに声を掛けたのはみどうくんが三週してきたあたりよ。ねえ、気づかなかった? 私が見てることも、シロが何度も吠えたことも」

 気づかなかった。御堂筋は二、三回ゆっくりと瞬きをした。

「みどうくん、」なまえは背伸びをして御堂筋に腕を回した。ぎくりと御堂筋の背が強張ると、さらに強い力で抱きしめる。

 とくん、とくん。彼女の柔らかい身体から規則正しいリズムが刻まれる。ああ、懐かしい音だ。自分はこれと同じ音を随分前に聞いたことがある――そう、色で例えるなら、黄色の。

「みどうくん、好きだよ」

 なまえに抱かれながら眠ることができたら、どんなに幸せだろう。御堂筋は静かに登る太陽を見つめながら、ぼんやりと考えた。





愛すべき明日
20120417⇒
back



「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -