意外にも、言い出したのは達海くんのほうだった。
「初詣に行かない?」
炬燵でぬくぬくと年越し蕎麦を食べ、紅白を見て、適当にチャンネルを回していたらあっという間に年が明けていた。その直後に冒頭の達海くんの言葉である。蜜柑を食べていた私の手が止まった。「……正気?」
「正気、って何だよ」 「い、いやだって! 仕事以外は寒いからって言って部屋に籠もりっきりな達海くんが『初詣に行かない?』って!? どうしたの、甘酒飲みたいの!?」 「違う」
俺のこと何だと思ってんの、と半目で睨まれたので、私はソッと目を逸らした。
「行きたくないなら別にいいけど」達海くんはもそもそと炬燵から出ると、いつも着ているジャケットに手を掛けた。もしや本気なのか。私は慌てて「私も行きたい!」と言ってマフラーを巻いてコートを着る。達海くんは私をチラリと見ただけで何も言わず、待っててくれた。
神社へ向かう道中、「なんで突然行きたいなんて言い出したの? 寒いの嫌いじゃなかったっけ」と私は尋ねた。達海くんは「んー」と悩む素振りで首を掻いた。
「嫌いだけどさー。最後にいつ行ったか忘れちまったから」
初詣なんて、と続ける達海くんの言葉に私はようやく気付いた。そういえば、達海くんがイングランドから帰ってきて初めて日本で向かえる元旦だ。
気づかれないようにこっそりと達海の背中を盗み見る。現役時代よりも少し痩せたその背中に私は目を細めた。手を伸ばせば簡単に届く距離。けれど何故だか、手を伸ばすのを躊躇してしまった。
今までは、どうだったんだろう。どんな思いで一年が巡るのを感じていたの? 私が知らない十年の間、傍で誰が――私は思考を中断するように頭を振った。
でも、と今度は不安が過ぎった。達海くんは、この人は、いつまで私と一緒にいてくれるのだろう。またいつか、いなくなってしまうのだろうか。
「……なに?」
「えっ」達海くんが突然振り返り、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。もしや見ていたのがバレたのか、と内心焦るが達海くんの視線が下に向いているのに気付き、倣うように視線を下げる。達海くんのジャケットの裾をしっかりと掴む、私の右手が目に入る。
「ごごごごめんなさい!」
慌てて裾から手を離すと、一気に顔が熱くなった。まるで幼い子供のようだ。穴があったら入りたい。
「別にいいけどよ」達海くんは呆れたように溜息を吐いて、引っ込みかけてた私の右手を包み込むように握った。「こうすればいいじゃん」
そう言って私の手を引きながら歩き出す達海くん。私は目を丸くしてしまったけど、何となく不慣れな様子の達海くんに思わず笑みを零してしまった。歩きづらいなら離してもいいよ、とはとても言えなくて、ニヤける顔で距離を一歩詰めた。
「……多いな」
ようやく神社に着いた時の達海くんの第一発言である。なんかもう、既に帰りたそうだが私は人混みの中ぐいぐいと達海くんを引っ張った。「元旦は毎年こんな感じだよ」
どうやら財布を忘れてきたらしい達海くんの分のお賽銭を取り出し、二人で拍手を打つ。私は目を瞑って、今年も家族みんな健康でありますように、とかもう少し給料上がりますように、とかETUがいっぱい勝ちますように――と神様に怒られそうなぐらい沢山のお願いごとをした。横目で達海くんを見上げれば、同じように手を合わせて目を閉じている達海くんが居た。
――給料とか上げなくてもいいので、達海くんがいつまでも元気でありますように。
付け足すようだが、結局私の一番の願いはそれだった。い、いやだって、達海くんは未だにコンビニ弁当やらお惣菜ばっかり食べるから不安なのだ。健康は食事から。今は私が食事を作っているが、私が作れなくなったら結局は自分で改善するしかないのだ。
「達海くん、何をお願いしたの?」 「なまえとセッ」 「それ以上言ったらぶっ飛ばす」
冗談だよ、と達海くんは唇を尖らせて顔を逸らす。「あ、甘酒配ってる」逸らした先に甘酒を配っているテントを発見し、達海くんは私が言う間もなく甘酒を貰いに行った。逃げたな、と私は思ったが溜息を吐いて大人しくそこで待つ。すぐに達海くんは両手に紙コップを持って戻ってきた。
「ほい」 「ありがとう」
手渡された紙コップからは、暖かい湯気が上っている。指先を温めてから火傷しないように慎重に飲むと、程良い甘さが口内に広がった。
「あったかいねぇー」 「んー」
寒さで冷え切った体には、これ以上ないくらい打ってつけだった。私はまさに生き返った心地だったのだが、達海くんの間延びした声に首を傾げた。達海くんはもう飲み終わったのか、上の空で紙コップの端を咥えて上下に揺らしていた。
そんな子供みたいなことしないの、と注意しようとしたとき「あのさ」と達海くんが口を開いた。
「うん?」 「なまえだけだからな」
主語が抜けた言葉に、私は一瞬理解できなくて目を見開いた。「さっき変なこと考えてたろ」達海くんが私の頭を小突き、むすっと唇を尖らせた。そこでようやく、達海くんに全て見透かされていたことを理解した。
「私も、達海くんだけよ」
不覚にも目頭が熱くなった私の頬を、ごつごつと骨ばった指先が優しく拭ってくれる。唯一私を幸せにしてくれるその掌は冷え切っていたけれど、確かな温もりがあった。
手のなるほうへ 20110104⇒back |
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